音楽 CLASSIC

ディミトリ・ミトロプーロス 〜炎の聖職者〜 後篇

2011.03.13
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 まず第一にミトロプーロスの真価を伝えて余すところのない記録として、私は迷うことなくザルツブルク音楽祭でのライヴ盤を挙げる。オーケストラはウィーン・フィル。このオケはミトロプーロスのことを格別の敬愛を以て迎え、全幅の信頼を寄せていたという。この手のエピソードはたいてい美化されて伝わっているものだが、ミトロプーロスに関しては事実だったのではないかと思う。それくらい大変な熱演ばかりなのだ。例えば、統御不能な荒々しい怒りと陶酔感がみなぎるR・シュトラウスの『エレクトラ』(1957年8月7日収録)、天を衝く火柱のように荘厳なマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」(1960年8月28日収録)。多くの人はその音楽の前に言葉を失うだろう。

 私は長いことミトロプーロス関連のCDを4、5枚しか持っておらず、「鏡のような記憶力をもっていた」「同性愛者だった」「バーンスタインの師匠でありボーイフレンドでもあったらしい」という程度の認識しかなかったが、20世紀の終わりに『エレクトラ』と「千人の交響曲」の正規盤CDが発売されてから、俄然この指揮者に対する認識が変わった。「千人」の第一部の熱狂的なコーダを初めて聴いた時、私の中で何かがショートしてしまい、涙が止まらなくなったことを思い出す。オケも合唱も独唱陣も忘我の境地に達し一体となって燃え上がるーーこのような演奏はもう現実のコンサートでは聴けまい。そう感じると同時に、現実世界で四角いスピーカーを前にしている自分と、当時の聴衆の一人になりたいという欲求で体が引き裂かれる思いがした。

 マーラー作品のライヴ録音では、ケルン放送交響楽団との交響曲第6番「悲劇的」、亡くなる2日前に同オーケストラを指揮した交響曲第3番というのもある。どちらもコレクターの間ではつとに名高いもの。まだマーラーが難解とされていた時代、その交響曲を多くの人に聴いてもらいたい、理解されないかもしれないけど後世に伝えなくてはならない、という使命感が当時の指揮者たちには強くあった。この「悲劇的」なんかを聴いていると、そういう情熱がひしひしと伝わってきて胸が熱くなる。

 死の約1ヶ月前、1960年10月2日にウィーンで披露されたマーラーの交響曲第9番も、マーラー演奏の最高峰として数えるべき名演である。ここでのミトロプーロスは容赦なく深く、限界まで深く、作品の内側に手を伸ばし、マーラーの息づかいをとらえている。その手の動きに導かれ、ウィーン・フィルはまるでひとつの呼吸器官となったかのような振幅をみせる。こういう濃厚な演奏を聴いた後は、エネルギーを激しく消耗してしまい、一日何もする気がなくなってしまう。CDで聴いてもそんな有様なのだ。実際に会場でこの演奏を聴いた聴衆は、一体どんな状態で帰路についたのだろうか。

 話がマーラーに偏ってしまったが、ワーグナー指揮者としてのミトロプーロスの豪腕ぶりにも言及しておきたい。私が大好きなのは、メトロポリタン歌劇場での『ワルキューレ』の白熱ライヴ。カットされているし、お世辞にも良い音質とは言えないが、ミトロプーロスのドラマティックな指揮に火をつけられてオーケストラと歌手が完全燃焼し息切れ寸前になり、観客が熱狂している様子が記録されている。これをワルキューレ演奏の極北と評しても差し支えあるまい。


【関連サイト】
ディミトリ・ミトロプーロス 〜炎の聖職者〜 前篇
ディミトリ・ミトロプーロス(CD)