音楽 POP/ROCK

アノーニ 『ホープレスネス』

2025.08.24
アノーニ
『ホープレスネス』
2016年作品


anohni j1
 毎日暑い。かつてないほど。理由は明白だ。なのに暑さを日々報じるニュース番組はほとんど触れない。参院選でもマイナーな争点にすらならなかった。もういい加減本気で対処しないことには、人類が滅亡するかもしれないのに。
 言うまでもなくその理由は気候変動であり、いかに深刻な問題であるかも随分前から分かっていた。きっかけは1997年に採択された京都議定書だったと記憶しているが、2000年代に入ると、気候変動に具体的に言及するポップソングも聴かれるようになる。バッド・レリジョンの「Kyoto Now!」(2002年)然り、ビースティ・ボーイズの「It Takes Time to Build」(2004年/今は亡きアダム・ヤウクが〈俺たちが選んだわけでもない大統領が議定書を無視した〉とラップしていた)然り。そして2010年代後半になると、チャイルディッシュ・ガンビーノ(2018年の「Feels Like Summer」)からポール・マッカートニー(2018年の「Despite Repeated Warning」)、ビリー・アイリッシュ(2019年の「all the good girls go to hell」)に至るまで様々なジャンル/世代のアーティストが気候変動を論じ、インディロックの世界ではワイズ・ブラッドの『Titanic Rising』(2019年)やザ・ウェザー・ステーションの『Ignorance』(2021年)など気候変動を主要なテーマと位置付けたアルバムも制作され、The 1975やビョークが環境活動家のグレタ・トゥンベリとコラボを行なったことも記憶に新しい。

 中でも個人的に、現時点で最も音楽的刺激に富み、メッセージの説得力と危急性が抜きん出ていると思う曲を選ぶとすれば、迷わずアノーニ(旧名アントニー・ヘガティ)が2015年のCOP21開催に合わせて発表した「4 Degrees」を挙げる。タイトルの〈4度〉とは、IPCC(世界気象機関と国連環境計画が設立した気候変動に関する政府間パネル)が2014年の報告書で示した気温上昇の4つのシナリオのうち、最も著しい上昇幅。気候変動による深刻な影響を避けるには次の100年間の上昇幅を2度以内に抑える必要があり、4度を超えると半数の動植物の種が絶滅する可能性があるという。アノーニは敢えて、〈それはたった4度〉と皮肉を込めたリフレインを配し、川には無数の魚の死骸が浮かび、野原で動物たちが水を求めて鳴き叫ぶアポカリプスを描くのだ。

 この曲はまた、それまでアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズのリーダーとして活動していた彼女(トランスジェンダー女性である)の唯一のソロ・アルバム『Hopelessness』(2016年)を形作る、11のプロテスト・ソングのひとつでもある。英国に生まれ大学時代からニューヨークで暮らし、パフォーマンス・アーティストとして活動を始めたアノーニが、ザ・ジョンソンズを率いてファースト・アルバム『Antony and the Johnsons』をリリースしたのは1998年のこと。以来、フェミニストの視点に立った地球環境やジェンダーにまつわる問題提起を作品の中でも外でも重ね、生物の大量絶滅に関するドキュメンタリー映画『Racing Extinction』(2015年)のテーマ曲「Manta Ray」を手掛けて、アカデミー賞候補にも挙がった。そんな彼女がプロテスト・アルバムを構想したのは、本作の収録曲「Obama」でも触れている通り、リベラルなアジェンダを実現できなかった第2期オバマ政権への失望感も無関係ではなかったと察せられるが、どうせプロテストに徹するなら可能な限り間口を広げようと、ハドソン・モホークことロス・バーチャードとワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパタン、ふたりのエレクトロニック・プロデューサーをアノーニは起用。クラシカルなアレンジを取り入れたザ・ジョンソンズのインディロック路線とは一線を画し、トラップや1980年代のシンセポップの要素を取り入れた、往々にしてダンサブルなエレクトロニック・ポップ路線でアルバムを統一した。かつ、「4 Degrees」然りでできるだけシンプルに核心を突く表現を用いて、メッセージを伝えようと試みたのだ。打ち込みサウンドと彼女のマジカルな歌声との相性の良さは、過去にハーキュリーズ・アンド・ラヴ・アフェアらとの共演曲によって証明されていたが、本作でもシンセティックな音と並置することでソウルフルな深みが引き出され、神々しい後光で包み込んでいるかのような感覚さえある。

 曲ごとのテーマは環境問題に限定されてはいない。まずアフガニスタンを舞台にしたオープニング曲「Drone Bomb Me」は、ドローン攻撃による民間人の巻き添え死に着目。米軍も深く関わった紛争を背景に、アノーニ曰く、ドローン攻撃の巻き添えで家族を殺されて生きる意思を失った少女が、どこか遠く離れた基地で無人機を操作している兵士に〈私もどうぞ吹き飛ばして〉と、懇願している。また、「4 Degrees」を挿んで3曲目の「Watch Me」では個人情報監視社会の恐ろしさを取り上げて、自分のプライバシーを知り尽くす国家安全保障局のエージェントにダイレクトに歌いかけるのだ。〈ダディは私を愛している、いつも見守ってくれているんだから〉と、まるで自分を見守る父親であるかのように。

 次いで、「Execution(=処刑)」で目を向けるのは死刑制度。ご存知の通り一部の州で死刑制度を維持している米国は世界でもごく僅かの死刑存置国のひとつだが(曲の途中で死刑を廃止していない国の名前を並べているのだが、残念ながら日本は入っていない)、ゆえにこの曲では死刑を究極のアメリカン・ドリームと位置付け、死を待ち望む囚人をナレーターに据えている。「Drone Bomb Me」及び「Watch Me」と同じく、人権侵害の加害側と犠牲者の関係性を歪んだ依存的愛情の形として提示しているのだ。

 愛情と言えば、ブレイクアップ・ソング仕立ての5曲目「I Don't Love You Anymore」は、何かしら信じていたものによる裏切りを歌っているように聞こえなくもないが、これに続くのがまさに裏切りの歌。前述した「Obama」であり、歌詞から察するに、内部告発者が罰せられることになったウィキリークス事件が、アノーニの心に特に重くのしかかっていたらしい。また「Crisis」は、そのオバマ政権も含めて9・11事件以降の米国政府がとった政策――虚偽の根拠をもとに戦争を仕掛けたり、グアンタナモ基地で他国民を裁判にもかけずに無期限に拘留して拷問したり――が相次ぐテロ事件やイスラム国のような組織の台頭をもたらして、暴力のサイクルを生んでいると指摘。アウトロで〈I'm sorry〉と何度もつぶやくアノーニは、なぜどこかで過ちを認めてこのサイクルを断ち切れなかったのかと、為政者たちに疑問を突きつける。

 そして彼女は終盤の3曲で再び環境問題に立ち返り、資源の枯渇に瀕する地球を、虐げられ病に侵された女性に準えた「Marrow」では、〈We are all American now〉と宣言。つまり、自由や平等ではなく、弱肉強食の終わりのない利益追求という負の米国的価値観が今や世界を覆ってしまっているのだと説き、「Why Did You Separate Me From the Earth」と表題曲では、自然とのつながりを断ち、他の生物への影響を省みずに破壊の限りを尽くす人類の貪欲さを嘆く。だがアノーニは自分自身もその〈人類〉に含めることを忘れない。そう、本作は単に政府を糾弾するアルバムではなく、自らの加担を認める内省のアルバムでもあり、これ以上失うものがない絶望的状況であることを受け入れて初めて、リセットが可能になると諭しているように思うのだ。

 そのリセットに際して、〈もう二度と乱暴な男を産むことはない〉と繰り返し誓って家父長制を拒絶するフェミニスト・アンセム「Violent Man」に、どうやら彼女はひとつのサジェスチョンを託している。創造し治癒する女性性の力こそが状況打破の重要な役割を担っているのではないか、と。それはちなみに、本作に続いて登場したアルバム『Utopia』でアノーニの盟友ビョークが辿り着いた回答でもあり、彼女は当時、トランプ大統領は家父長制の最後のあがきの象徴なのだと話していた。あれから10年近くが経ち、滝のように流れ落ちる汗を拭きながら過ごしている2025年の夏現在、最後のあがきは思っていたよりも長続きしている。
(新谷洋子)


【関連サイト】
ANOHNI(YouTube)

『ホープレスネス』収録曲
1. Drone Bomb Me/2. 4 Degrees/3. Watch Me/4. Execution/5. I Don't Love You Anymore/6. Obama/7. Violent Men/8. Why Did You Separate Me from the Earth?/9. Crisis/10. Hopelessness/11. Marrow

月別インデックス