文化 CULTURE

小倉柳村 覚書

2019.09.10
 小倉柳村は明治13年、14年に出版された東京名所絵で知られる絵師である。本名も生没年も素性も明らかになっていない。
 『浮世絵師伝』(井上和雄著 昭和6年発行)、『清親と安治』(近藤市太郎著 昭和19年発行)によると、柳村作として伝えられる絵は数えるほどしかない。東京名所絵の「湯島之景」、「浅草観音夜景」、「日本橋夜景」、「愛宕山之景」、「八ツ山之景」、「向島八百松楼之景」、「海運橋」、「御茶水之景」、「隅田川岸図」である。資料によっては「水道橋之月夜」、「品川之月夜」も柳村作とされる。作品も資料も極端に少なく、展示される機会も滅多にない。

 柳村は五姓田芳柳の門人と伝えられる。その真偽は定かでないが、西洋画を学んだことは確かであり、ほぼ同時期に活躍した小林清親の光線画に影響を受け、そこに独自の抒情性、神秘性を加えたのが柳村の画風と言えるだろう。光線画とは、『清親と安治』の言葉を借りれば、「西洋画の陰影を強調し、光線によって生ずる自然の美観を描き出す作品」である。おそらく柳村は、清親の光線画に触発され、東京名所絵を描いたものと思われる。

 柳村が傑出した才能を示したのは、夜景である。光と闇、そのコントラストのつけ方は、一見大胆だが実は繊細で精妙だ。有名な「湯島之景」に描かれた満月や待合を例にとってみても、そこから放たれる光は高台にいる二人の男性のみならず、絵を見ている我々をも照らしているように錯覚させる。無駄を排した劇的な構図は鮮やかな印象を与えるが、雲の散文的な形状や色合いが活きていて深い味がある。何時間でも見ていられる絵だ。

 「浅草観音夜景」、「日本橋夜景」には月は無いが、ガス燈、提灯、建物の灯などが光源となり、くすんだ紫、青のトーンが広がっている。どちらも上半分が空という構図だ。描線はクリアーだが、建物等は写実的とは言えず歪みがあり、また、人物の表情が不気味に見えるため、全体的に不可思議な異界感が漂っているように感じられる。迂闊に見ていると絵の中に吸い込まれそうになる。
 「八ツ山之景」、「御茶水之景」、「向島八百松楼之景」は洋画的なアプローチだが、日本的な簡素さ、統制された色彩が感銘を深いものにする。迷いのある筆致には見えない。「八ツ山之景」の満月の浮かぶ空や月光に照らされた水面の描写には、イメージを喚起させる抽象画に近い発想が息づいている。「向島八百松樓之景」の奇妙な夕日と水面も、常人のセンスから生まれたものではないだろう。

 そこで改めて問いたくなるのである、小倉柳村とは何者なのかと。写楽を筆頭に、プロフィール不詳の絵師は少なくないし、「作品が残っていればそれだけでいいではないか」という考え方もあるが、その絵が魅力的であればあるほど、誰が描いたのか興味を抱くのが人の好奇心というものだ。
 東京名所絵の届出には、「画工築地小田原町二丁目十四番地、小倉柳村。出版人同番地新井八蔵」とある。これは両者が同一人物であることを物語っているのかもしれない。まあ、仮にそうだったとしても、今度は新井八蔵が何者か分からないので、何の解決にもならないのだが、極改印をもとに調べていけば真相にたどり着けるのではないだろうか。
(阿部十三)


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