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手の届かない低嶺の花 〜若尾文子について〜

2011.02.10
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 若尾文子は手の届かない「低嶺(ヒクネ)の花」である。親しみやすく、誰にでも手の届きそうな雰囲気があるのに、周囲を見回しても、彼女のような女性を見つけることはまずできない。どこにでもいそうで、絶対にいない。それが、最初から縁がないと諦めることのできる「高嶺の花」に対するよりも、ある意味、烈しい渇望へとつながる。こんな恋人がほしい、こんな奥さんがほしい、こんな妹がほしい、こんな姉がほしい、こんな友達がほしい......。だけど彼女は一人だけしかいない。そして、実際は「高嶺の花」と呼ばれている美人女優たち以上に手の届かない美人だったりする。ある意味、残酷な話である。昭和31年のお正月、22歳の彼女宛に届いた年賀状は42,000通。異性だけでなく同性からのファンレターも数えきれないほどあった、という話もうなずける。よく女性美の基準は時代によって大きく異なると言われるが、若尾文子なら、昭和だけでなく、江戸時代でも、平安時代でも、人々の心を奪ったのではないだろうか。

 三島由紀夫や山川方夫といった著名な作家も、若尾文子に夢中になった。「氷いちごのような人」ーーこれは三島の言葉である。東大法学部で同窓だった増村保造監督の『からっ風野郎』というお世辞にも名作とは言えない映画で若尾と共演を果たした三島は、見ている私たちが恥ずかしくなるくらいの熱演を披露している。現場では増村に相当絞られたらしいが、三島があそこまでやったのは若尾がいたからこそだ、と考えるのはうがちすぎだろうか。
 むろん、私のような遅れてきた世代にもファンはたくさんいる。簡単に言うと、女優、若尾文子は人が可愛いと感じるもの、美しいと感じるもの、女性的と感じるものの原型をあらわしているのだ。男女問わず、日本人が憧れてやまない、いい女。こういう女優は何をやってもさまになる。可憐な娘でも、悪女でも、気位の高い女でも、愚かな女でも、愛に狂う女でも、演技とは思えないほど自然にはまる。だから『青空娘』のすぐ後に『妻は告白する』や『雁の寺』を観ても、不思議なほど違和感がない。

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 代表作は枚挙にいとまなしだが、コンビを組んでいた増村保造監督作品と川島雄三監督作品は外せない。増村の『妻は告白する』と『清作の妻』は、女優として一皮むけた若尾の熱演が見どころ。とくに前者は増村×若尾コンビの最高傑作と言っていい。一種の「憑依現象」が起こったラスト15分があるだけでも、この作品は永久に残す価値がある。若尾ファンの山川方夫は『妻は告白する』についてこう評している。
「この映画での若尾文子の美しさは、けっして彼女の年齢や技術や偶然だけのものではない。なによりもそこにむき出しにされた一人の『女』のすがたがあり、それに『若尾文子』の魅力が重ねられた掛け算のせいではないのか?」

 『妻は告白する』も『清作の妻』も女の暗く熱い情念が渦巻くドロドロした話だが、もっと過激で、呆れるほどドラマティックな作品が観たいという人には『赤い天使』『「女の小箱」より夫が見た』をおすすめする。『「女の小箱」より夫が見た』での若尾の妖艶なことといったら病的なほどである(ちなみに、この映画は岸田今日子も凄い)。
 川島監督ではやはり『女は二度生まれる』。男をひきつけずにはおかない、純情なのか魔性なのか分からない若尾の魅力をうまく引き出している。過去を持ちながらも新たな人生を歩もうとするけなげなヒロインを演じた川頭義郎監督の『涙』、妻のある男に身を焦がす悲しい夜の蝶を色っぽく演じた富本壮吉監督の『女が愛して憎むとき』も素晴らしい。若尾文子が女優開眼する上で大きな影響を受けたという溝口健二監督(『祇園囃子』『赤線地帯』)や小津安二郎監督(『浮草』)のメガホンの下でも、主役ではないが、精彩を放っている。
[若尾文子略歴]
1933年11月8日東京生まれ。1944年宮城県仙台市に移るが、興行中の長谷川一夫に会い、1950年上京。1951年大映に五期ニューフェイスとして入社。「十代の性典」シリーズで人気を博し、溝口健二の『赤線地帯』で女優開眼。溝口の弟子、増村保造とのコンビによる傑作多数。私生活では1983年建築家の黒川紀章と再婚、2007年死別。1980年代末から映画出演はなかったが、2005年に三島由紀夫原作の『春の雪』で久しぶりの映画出演を果たす。