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ダニエル・ダリュー 〜フランス映画史のヒロイン〜

2013.10.09
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 フランス映画史上、最高の美人女優といえばダニエル・ダリューである。人の外見をいい表す時に「フランス人形みたい」というフレーズをつかうことがあるが、彼女はそのフランス人形以上の美しさ、可愛らしさを併せ持つ銀幕の宝石だ。「美」の前に「個性的な」とか「知的な」と付け加えて「美」を相対化したり種別したりする必要もない。シンプルな意味で「美」なのである。そのために白痴美と揶揄されることもあったが、それも絶世の美女ゆえの宿命というほかない。

 デビュー作は1931年の『ル・バル』だが、出世作は1936年2月に公開された『うたかたの恋』である。当時、ダニエル・ダリューは18歳。オーストリア皇太子ルドルフの心中事件を扱ったこの悲恋映画で、彼女は禁じられた恋に落ちる男爵令嬢マリー役を演じ、スターの地位を確立した。以後、男性の憧れの的として、女性のファッションリーダー的な存在として、高い人気を誇っていた。

 若き日のダニエル・ダリューの美しさを堪能する上で欠かせない作品は、最初の夫であるアンリ・ドコアン監督の『暁に歸る』(1938年)と『Battement de cœur』(1940年)。両作には、彼女の容姿を最高のコンディションでフィルムに焼き付けようというドコアンの執念にも似た美意識が滲み出ている。また、惚れ惚れするようなソプラノの歌声も聴くことが出来る。かつて室生犀星が中毒になった「尻上がりのつうんとしたやうな声」である。
 ジャック・ドゥミ監督の『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)にカトリーヌ・ドヌーヴとフランソワーズ・ドルレアックの母親役で出演し、秘められた恋の思い出を歌っていたが、あれも吹き替えではない。歌手としてレコードもリリースし、1990年代にはプーランクの「愛の小径」を録音している。恋多き女性ダニエル・ダリューが歌った「愛の小径」は、ファンであれば感慨なしに聴けないだろう。

 昔、京橋のフィルムセンターで『禁男の家』(1936年)や『たそがれの女心』(1953年)が上映された時は、会社を抜け出して観に行き、仕事を忘れて夢中になったものだが、そういう風に観る者を虜にして、日常を遠くへ押しやり、非日常へと嵌り込ませる魅力がダニエル・ダリューにはある。

 彼女が演じる役柄は、主に不倫の恋のヒロインである。代表作の『うたかたの恋』、『暁に歸る』、『輪舞』(1950年)、『たそがれの女心』、『赤と黒』(1954年)、全てそうである。こういう役を演じる時の彼女の媚態には、えもいわれぬ芳香があり、しかも男を後戻り出来なくさせるような真摯さがある。
 『うたかたの恋』にはマリーがルドルフに「死ぬのは私が先」といい放つ素晴らしいシーンがあるが、その時彼女が目で表現する一途さ、虚ろに見えるほどの深さといったらない。その目は冷たいようでいて実は完全燃焼し、感情がこもってなさそうでいて実は死の覚悟までしている。

 将来的に希望がなさそうなことや世間的に見て愚かしいことであっても、恋の規律に従うことで全てが肯定された状態になり、毅然としている女性。その美しさやしたたかさを、ダニエル・ダリューはいやみなく、くどさもなく、巧く表現する。『チャタレイ夫人の恋人』(1955年)のラストシーンも象徴的だ。コンスタンスは夫に別れを告げて、不倫相手の森番のもとへ行き、相手を見つめながら、「私は義務を果たしたわ。あなたが決める番よ」という。高潔とも盲目ともいえるその表情の美しさは、明らかに森番の男の感情を圧倒している。

 『たそがれの女心』(1953年)のマダム役は、ある意味コンスタンスより狡賢く、策略家の一面を持つが、恋に関しては破滅的である。軍人である夫(『うたかたの恋』のルドルフ役、シャルル・ボワイエが演じているのは皮肉である)に気付かれているとも知らず、ダンディな外交官に惹かれて、「愛してないわ、愛してないわ」といいながら不倫のキスをする。彼女の恋は、品良く慎ましく見せつつ、周囲を巻き込んで燃えるだけ燃える。火遊びなどあり得ないのだ。当然、伊達男の心も燃え上がる。こういうムードを出せる女優はあまりいない。

 オムニバス形式の『輪舞』での役は、貞淑そうな人妻エマ。こんなことをしていてはいけないわ、もう帰らないといけないのよ、といいながら若い男アルフレートを引き寄せ、結果的に寝てしまう。そのくせ何も知らない天使のような顔をしている。そもそも貞操観念があるのかどうかもよく分からない。そんなタイプの女性を鮮やかに演じている。あえなく一回目のセックスに失敗したアルフレートは、スタンダールの『恋愛論』を引用して言い訳するのだが、その間のエマの表情が良い。話には全く興味がないのである。そして、時計をとる動作をして男の体にさわり、再度「きっかけ」を与えるところなど、自然すぎて笑いがこみ上げてくる。

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『自殺への契約書』(1959年)は、戦中にレジスタンスの同志を裏切った密告者を探るために、元同志たちがお互いを疑い、傷つけ合うワンシチュエーション・ドラマ。ダニエル・ダリューの役は、殺されたリーダーの恋人マリーである。終盤、密告者が暴かれると、元レジスタンスたちは(自分の手を汚したくないので)無理やり遺書を書かせて自殺させようとするのだが、そんな同志たちを尻目に、マリーは自らの手で速やかに裏切り者を処刑する。その時、裏切り者を見下ろすマリーの大理石の彫像のような立ち姿が、それまでの冗漫な演出を雲散霧消させるほど神々しい。周囲の男たちが卑小な存在にしか見えなくなる。後年、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『影の軍隊』でレジスタンスの闘士を演じるポール・ムーリッスとリノ・ヴァンチュラが出演しているが、彼らもダニエル・ダリューの前では形無しだ。

 究極の美貌、繊細な表現力、歌の才能、抜群の存在感を持つダニエル・ダリューのキャリアは長く、96歳の今も現役である。何かと変革の多いフランス映画史から見ても、ここまで活躍を続けている女優はほかにいない。フランソワ・オゾン監督の『8人の女たち』(2002年)では、カトリーヌ・ドヌーヴ、ファニー・アルダン、エマニュエル・べアール、イザベル・ユペールと共演しているが、皆好きな女優であるにもかかわらず、ダニエル・ダリューが出てくると、どうしてもそちらに目がいってしまう。彼女が出てくれば、彼女が主役。そういう女優なのである。
(阿部十三)


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[ダニエル・ダリュー略歴]
1917年5月1日、フランスのボルドー生まれ。1931年に『ル・バル』(ヴィルヘルム・ティーレ監督)でデビュー。1936年2月公開の『うたかたの恋』(アナトール・リトヴァク監督)でスターになり、ハリウッド映画『巴里の評判娘』にも出演。戦中、華やかな生活をしていたために対独協力の疑いをかけられたが、戦後も話題作、ヒット作、大作に出演し、フランス映画界を代表する女優に。21世紀になってからは『8人の女たち』、『ゼロ時間の謎』などに出演。私生活ではアンリ・ドコアンと離婚後、プレイボーイの外交官ポルフィリオ・ルビロサ、作家ジョルジュ・ミトシンキデスと結婚。