映画 MOVIE

声なきものに光を 〜サイレント映画のすゝめ〜

2011.04.10
 声が聞こえないなんて、と不満を漏らす人もいるだろうが、顔の表情、体の動作、仕草、字幕で全てを表現するサイレント映画は、意外なほど雄弁である。声を媒介としない分、登場人物の心情がそのまま画面から迫り伝わってくる。そして絵画でも見ているかのように想像力が刺激される。1920年代を〈映画の黄金時代〉と呼ぶ人がいるのも、いまだに先鋭的な作品でサイレント的手法が好んで用いられるのも、ただの懐古趣味というわけではないのだ。

 「声が聞こえるようになったことで映画は格段に進化した。サイレントは過去の古くさい様式であり、トーキーへの踏み台にすぎない」ーーもしこう考えている人がいるとすれば不幸なことである。そんな物の見方は間違っているし、己の無知をさらしているにすぎない。サイレントがいかに豊かな世界を有しているか、それは作品を観てもらえば容易にわかることである。『カリガリ博士』でもいいし、『東への道』でもいい。『第七天国』でも、『戦艦ポチョムキン』でも、『ベン・ハー』でもいい。今観てもその力強さ、斬新さ、美しさ、芸術性に驚かされるに違いない。

 まだ生まれて間もない〈映画〉の可能性を無我夢中になって追求していた時代である。音で表現することが出来ない分、役者も必死だ。彼らは体を張って、いや、命をかけて演技していた。昔の監督は妥協を知らない独裁者ばかり。その命令は絶対である。今では机上でVFXを駆使して作れる危機一髪のシーンも、当時の役者は捨て身で挑むほかない。あの可憐そのものといった外見のリリアン・ギッシュですら、『東への道』の割れた氷上のシーンで命を落としそうになったという。あれは何度観ても鳥肌が立つ。今ではあんな撮影は出来ないだろう。

 サイレント映画のDVD化に関して言えば、紀伊国屋書店やIVCのおかげで10年前からは想像もつかないほど多くの作品が手に入るようになった。F・W・ムルナウ、フリッツ・ラングのサイレントを鮮明な映像で、しかも自宅で観ることが出来るなんて、学生時代の私には夢のまた夢。そのDVDを我が家の棚に並べた時は不思議な気分になったものだ。ただ、折からの不況の影響もあり、このあたりの商品が次々と廃盤になっているのが悲しい。まあ、サイレント映画が爆発的にヒットする日が来るとは考えにくいが、まずは知ってもらわなければどうにもならない。チャールズ・チャップリンやバスター・キートンの魅力は時代を超越しているし、子供たちにもダイレクトに伝わる。少しでも知ってもらえばそこから広がっていくはずだ。メーカーは不況だからといって諦めず、もっと工夫すべきだろう。

cabiria-dvd
 廃盤どうこう以前に、日本で一度もDVDになっていない大傑作もある。例えば1914年に撮られたジョヴァンニ・パストローネの『カビリア』。短縮版のVHSはあるが、DVDはリージョン1の米盤しかない。
 これはローマとカルタゴの戦争を描いた絢爛たるスペクタクル。イタリア映画祭2007(東京有楽町朝日ホール)で181分の復元版が上映された時は思ったほど話題にならなかったが、あれなんかもっときちんと宣伝すべきだったと思う。実際に観れば、誰もがその描写力、壮大なスケール、豪華なセット、美しい照明に目を疑うだろう。もちろん物語としても面白い。この作品はイタリアで空前絶後の大成功を収め、D・W・グリフィスに超大作『イントレランス』を作らせた。我々が「ハリウッドならではの派手なスペクタクル」と呼んでいるものの原点はイタリアにあるのだ。

 こんな調子で埋もれているサイレントを挙げていったらキリがない。元祖イケメンのルドルフ・ヴァレンティノ作品ですら、『血と砂』以外、日本ではDVDになっていないという有様。『黙示録の四騎士』『シーク』はどこへ消えてしまったのか。クララ・ボウを大スターにし、「イット・ガール」の起源にもなった『あれ(IT)』も、活気溢れる群像描写の中で男女間の機微をこまやかに描いたジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督の『紐育の波止場』も黙殺されている。これらはVHSが残存するだけまだ救いだが、私が所有しているテープはもう傷み始めている。そんなわけで、「どうせ出ないだろうけど」と諦め半分、DVD化を待っている。無駄な特典が付いた豪華版でも、私は買う。クララ・ボウのルックスは今でも通用しそうだし、大々的に販促ポスターでも作れば注意をひくと思う。

 憂うべきは邦画のサイレントである。フィルムが現存することが確認されている作品も、あまりDVDになっていない。現存しているかどうか不明の作品については、その後リサーチが進んでいるのか判然としない。
 私が最も気になっているのは溝口健二監督のサイレントの行方だ。作品数は60本を超えるが、そのほとんどが消失したということになっている。いくら戦災があったとはいえ、そこまで綺麗になくなってしまうなんて......。私は戦後に撮られた一部の溝口作品に対して溺愛といっても過言ではないほどの愛情を抱いているが、サイレント期の作品が観られない点で、同時代の人たちが語る溝口論には全然かなわないと感じている。いくら『残菊物語』や『元禄忠臣蔵』について語っても、「『血と霊』も『紙人形春の囁き』も『日本橋』も観てないお前に溝口の何が分かるんだ」と言われたら返す言葉もない。もっとも、観た人の大半はお亡くなりになっていると思うので、実際に言われることはないのだろうが、観られないというコンプレックスは消えない。残存している『東京行進曲』や『瀧の白糸』を観ると、ひょっとして溝口はサイレントの方が凄かったのではないか、と思うこともある。もし浮世絵みたいに外国のお金持ちが溝口のサイレントを持って行ったのなら、どこかで公開の場を設けてほしいものだ。
(阿部十三)


【関連サイト】
サイレント映画館
マツダ映画社
D.W.GRIFFITH MOVIES(動画)