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パニック映画を観る 『ポセイドン・アドベンチャー』

2021.08.10
豪華で大掛かりなパニック映画

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 1960年代後半、映画界はテレビの普及によって勢いを失っていた。アメリカン・ニューシネマが流行しても、それは老若男女が楽しめるものではなく、映画館入場者は減る一方だった。そんな時期に、かつての華やかなハリウッドを取り戻そうとばかりに大金を注ぎ込み、人気スターを集め、豪華なセットを組んで製作されたのが、パニック映画である。

 パニック映画では、CGに頼らない迫力満点のディザスター・シーンと有名なキャスト陣が欠かせないが、それだけでは薄っぺらい内容になりかねない。大事なのは、人間ドラマとして厚みを持たせることである。そのためには危機を乗り越える試練を登場人物たちに課し、その苦しい冒険の過程で彼らの性格や生きざまを見せる必要がある。そうすることで私たちは感情移入し、緊張感や恐怖を持続させながらパニックの世界に入り込めるようになるのだ。

 火蓋を切ったのはユニバーサルで製作された『大空港』(1970年)である。パニック3割、人間ドラマ7割で、パニックものとしては物足りないが、この映画のヒットはグランドホテル形式(有名スターを多く出演させ、登場人物それぞれの人生模様を並行して見せる手法。1932年の作品『グランド・ホテル』に由来)が有効なことを証明し、大いなる啓示となった。

 その2年後に公開されたのが、ポール・ギャリコ原作の『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)だ。大波にのまれて転覆した豪華客船の乗客たちの運命を描いたスペクタクル大作である。上映されたのは1972年12月で、興収8456万ドルを記録。同年春に公開された『ゴッドファーザー』と共に、映画界を活性化させた。

 製作者はアーウィン・アレン。アレンはテレビ出身の監督兼製作者で、後に『タワーリング・インフェルノ』(1974年)も手掛けた人である。監督はロナルド・ニーム。ニームは『ミス・ブロディの青春』(1969年)を撮った人で、スペクタクルを得意としている印象はない。が、子供騙しのパニック映画に終わらず、人間ドラマとして見せることに成功したのは、ニームの演出があったおかげである。音楽担当はジョン・ウィリアムズ。海をイメージさせる素晴らしいテーマ曲だ。

豪華客船ポセイドン号の末路

 豪華客船ポセイドン号が1400名の乗客を乗せてニューヨークからアテネに向かっている。船長(レスリー・ニールセン)は微速で進むように指示するが、それは船が老朽化しているだけでなくバラストが足りないためである。しかし、航海の遅れを取り戻したい船主代理(フレッド・サドフ)は「全速前進させろ。さもないとクビにする」と船長を脅す。パニック映画には高確率で「歩く人災」と呼びたくなるようなロクでもない奴が出てくるが、ここでは船主代理がその役割を担っている(原作には登場しないキャラクターだ)。

 その晩、運命の時が来る。ポセイドン号で年越しパーティーがホールで盛大に行われている最中、クレタ島北西208キロ地点で海底地震が発生、船は巨大な波にのまれて転覆した。船内は上下逆になり、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化す。神頼みを否定する型破りな牧師スコット(ジーン・ハックマン)は先陣を切り、皆で船底の方へ上がろうと呼びかけるが、パーサー(バイロン・ウェブスター)はホールにとどまるように言う。わずかな乗客がスコットに従い、巨大なクリスマスツリーを使ってリネン室に上がる。その直後、小爆発が起きてホールに波が押し寄せ、大勢の乗客が溺死する。

 リネン室にいるのは、命令口調のスコットと反目し合う刑事のロゴ(アーネスト・ボーグナイン)と元娼婦の妻リンダ(ステラ・スティーヴンス)、ユダヤ人の老夫婦マーニー(ジャック・アルバートソン)とベル(シェリー・ウィンタース)、船に詳しい少年ロビン(エリック・シーア)とその姉スーザン(パメラ・スー・マーチン)、転覆の際に愛する兄を失った若い女性歌手のノニー(キャロル・リンレー)、孤独な中年の雑貨商ジェームズ(レッド・バトンズ)、ボーイのエイカーズ(ロディ・マクドウォール)、そしてスコット牧師の10名。彼らは生き残るために船尾のプロペラ軸室を目指す。

 ここから先は、すでに映画を観た人に向けて書くことにする。

 『ポセイドン・アドベンチャー』についてはすでに多くのことが語られている。聖書のモーゼの話、ノアの方舟の話、ソドムとゴモラの話が下地になっているというのは今やオーソドックスな解釈だ。さらに、ギリシャ神話も混じっている。ポセイドンは(原作でも言及されているが)地震を起こす神である。船の名前がポセイドンであることについては、見掛け倒しの老朽船が神の名を騙っていると見ることができるだろう。この船に対して、短気で凶暴なポセイドンが不快感を示さないわけがない。地震は起こるべくして起こったのだ。

 10人中、亡くなるのは4人。エイカーズ、ベル、リンダ、スコットである。このうちベルとリンダは人妻。スコットはスーザンに想いを寄せられていた。エイカーズは唯一青年らしい青年であり、誰かしらとカップルになり得る存在だった。つまり、夫婦関係が切り裂かれ、恋愛の可能性も潰されているのである。それにしても1400人の乗客のうち生き残ったのが6人だけとは生存率が低すぎる。

天使の存在

 ここで注目したいのが、冴えない中年独身男のジェームズである。雑貨商である彼はロマンスとは無縁な生活を送っている。そんな彼が、愛する兄を失って無力感に陥っているノニーを救うために全力を尽くす。しかし、その献身的な姿は、女と結ばれる男というより守護天使のように見える。

 思い返すと、そもそも「船底の方へ上がれば助かるのでは?」とスコット牧師に声をかけたのはジェームズであった。愛妻リンダを失い悲しみに沈むロゴに向かって、「刑事のくせに何をしてるんですか。行動してください」と発破をかけ、プロペラ軸室へのハッチを開けさせたのもジェームズだ。私はこのシーンを観た時、「人にやらせないで、自分が先導してハッチを開ければいいのに」と思ったが、ジェームズはそういう役割ではないのである。彼は人を導く天使なのだ(ちなみに原作に出てくるジェームズは妻帯者であり、船中で不倫していた。映画とは別人である)。

 天使はもう一人いる。ロビン少年だ。彼は常に無邪気に振る舞い、なおかつ冷静で、苦しい思いをしている様子がない。プロペラ軸の出口まで行けば脱出できると言う声も確信に満ちている。スコット牧師はその言葉を信じて進路を決める。船に詳しいとはいえ子供の言うことだ。普通の人なら疑問を抱くだろう。しかし、スコットはそれが正しいということを直感するのである。天使に導かれているかのように。

パニック映画、かくあるべし

 もっとも、この映画で最も魅力的な役割を担っているのは、生足が眩しい薄着の美女たち、ではなく、老女ベル・ローゼンである。太っていて、動作が鈍く、足手まといに思われていた老女が、水中で人魚のように泳ぎ、溺れかかっているスコット牧師を救うシーンは、神話を描いた絵画のように美しい。その彼女が亡くなることで映画は悲壮感を増し、さらにリンダ、スコットと亡くなり、最終的に愛する者を失った4人と2人の天使が残るという図式に着地する。

 スーパーマンは出てこない。登場人物たちにはそれぞれの立場があり、考えがあり、誰も間違ってはいない、という風に見せている。ホールに残った乗客たちの判断も一理あるし、常に自信満々のスコットに食ってかかるロゴの気持ちも分かる。スコットも完璧なリーダーではない。彼は神にすがろうとする弱者に冷たいし、感情的になりやすい。エイカーズが亡くなった後は、やたら怒鳴り散らしている。要するに不完全な人間なのだ。その不完全さが人間ドラマとしてのリアリティを生んでいる。

 「命というのは常に大切なものだ」ーーこれはスコット牧師とベルが口にする印象的な台詞である。人間の尊さ、愚かさ、儚さを描く『ポセイドン・アドベンチャー』。この作品には、観る者に「命を大切にしたい」と思わせる力がある。パニック映画、かくあるべしという模範を示した不朽の傑作と言えるだろう。
(阿部十三)


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