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デボラ・カー 〜『黒水仙』と『情事の終り』の名女優〜

2012.01.24
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 デボラ・カーに関する記事を読むと、必ずといっていいほど書かれていることがある。まずオスカーに6回もノミネートされながら一度も受賞しなかったこと。これは事実なので、情報として書かざるを得ない。ただ、その後にこう続く。「端正な美貌とエレガントな雰囲気が演技の幅を狭めていた」ーーこれではオスカーを獲れなかったのは彼女に欠陥があったからだ、と思われかねない。もしかすると、記事を書いている人はアカデミー賞に権威性を感じていて、本気でそう考えているのかもしれないが、私はこういう見方に全く共感できないし、デボラ・カーの記事についていえば、怒りすら覚えてしまう。彼女の美貌と雰囲気が演技に悪影響をもたらしていたとは、いいがかりも甚だしい。

 デボラ・カーがスターとして活躍したのは1940年代から1960年代前半の長期間。作品にも恵まれていた。『黒水仙』もあれば『Edward, My Son』もある。『地上より永遠に』もあれば『情事の終り』や『王様と私』もある。『お茶と同情』も『めぐり逢い』も『旅』もある。出演作の質の高さと知名度からいっても、彼女ほど代表作の多い女優はそうそういない。そして、どの作品でも好演、熱演が光っている。この事実だけでも女優としての力量が証明されているようなものである。

 最も有名なのは、バート・ランカスターと浜辺で激しいラブシーンを演じた『地上より永遠に』だろう。クールな美貌の内に乱れる恋情を表現して完璧だった。それまで主に上品な女性を演じてきた彼女にとって、この作品は大きな転機となり、女優として評価を高めることに成功した。当初、不倫妻役にはジョーン・クロフォードが想定されていたらしいが、それではいかにもイメージ通りである。デボラ・カーがやるからドキドキするのだ。ちなみに、当時、バート・ランカスターはデボラ・カーと映画を地で行く不倫交際をしていたという(バート・ランカスターとはこの後も何度か共演している)。

 ただ、『地上より永遠に』以上にデボラ・カーのファンが口を揃えて絶賛するのが、『黒水仙』と『情事の終り』である。
 『黒水仙』はヒマラヤの僻地に赴任した5人の尼僧の話。教育と信仰を広めようとする彼女たちが、相容れない文化と厳しい自然環境に苦しみ、次第に精神の均衡を崩していく。監督がマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガー、撮影がジャック・カーディフ、音楽がブライアン・イースデイルというだけでも、映画ファンなら興奮を抑えられないだろう。カーディフによる美しいカラー映像、イースデイルが紡ぐミステリアスなメロディーは絶品である。スターになる前のジーン・シモンズが脇役で出演し、セックスアピールを発散している点も注目だ。
 この中で、デボラ・カーは院長のシスター・クローダを演じている。冷静沈着な彼女も、ほかの尼僧たちと同様、精神的に追いつめられ、過去の恋人との思い出に苛まれるようになる。彼女以上にこの役をうまく演じられる女優が思いつかないくらいのハマり役だ。もう一人の主役ともいうべきシスター・ルースについても言及しておきたい。演じているのはキャスリーン・バイロン。もともと情緒不安定だったルースは、やがて狂人と化すが、その表情の恐ろしさといったらない。その辺のホラー映画を蹴散らすほどの怖さである。

 『情事の終り』はグレアム・グリーンの原作を映画化したもの。監督は「ハリウッド・テン」の一人、エドワード・ドミトリクである。
 人妻サラ役を演じたデボラ・カーの魅力は、最初の30分間に凝縮されている。初めて不倫相手のモーリスと一緒に数日過ごすことになり、花を抱えてやってくるサラの美しさと露骨にならない愛らしさが印象的だ。たまらずモーリスはサラの顔を両手ではさみ、キスをする。そしてこう言う。「すまない。君の髪を乱した」「いいのよ」モーリスは再びキスをする。このシーンで多くの男性は捌け口のない羨望を覚えることだろう。そして、なんといっても素晴らしいのが、爆撃後、モーリスの部屋から去る間際のサラの瞳。サラの真情が伝わってくる大事な一瞬である(しかし、それはモーリスには伝わらない)。
 ベンジャミン・フランケルの音楽は聴いていて恥ずかしくなるほど仰々しいが、ドミトリクの演出には才気が感じられる。ヒロインを一切出さずにシャンデリアの揺れだけを映す有名なラストも良い。
続く

(阿部十三)


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