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「ベスト・キッド」シリーズについて語る [続き]

2012.03.20
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 周知の通り、「ベスト・キッド」シリーズは「4」まで存在する。さらに2010年にはジャッキー・チェン主演でリメイクもされた。私は「1」と「2」までは観ていたが、それ以外の3作を観ておらず、つい最近、ソフトをまとめて購入した。
 「2」の冒頭は「1」からの続きで、大会の後、ジョニーがクリーズ先生に破門され、痛めつけられている。前作の威勢はどこへやら、悲しい役回りだ。
 本編は半年後から始まる。ダニエルとアリの交際は終了。彼女は大学のフットボール選手に恋してしまったらしい。
 ミヤギは父親の危篤の知らせを受けて沖縄へ向かい、ダニエルもそれに付き合うことに。かつてミヤギが沖縄を離れたのは親友サトウの許嫁であるユキエと恋に落ちたためだった。ミヤギは苦悩し、一人故郷を去った。サトウはそのことを今でも根に持ち、手下を使ってミヤギの家を荒す。ダニエルは例によって手下にさんざん絡まれる。その一方で、ダンサー志望のクミコと出会い、恋を育む。
 この映画は、『東京暗黒街・竹の家』以来進歩のない日本描写と、極端にデフォルメされた悪役の表情と、ラストのでんでん太鼓のせいで、変な余韻を残す作品になってしまった。舞台装置もチープで、ミヤギ家の道場が全然魅力的に見えない。「1」にあったストイックなムードもここでは形骸化している。同じスタッフが作った映画とは思えない。クミコ役はタムリン・トミタ。エリザベス・シューとは別タイプの美人だ。ただ、ぼさぼさの髪が気になって仕方がない。
 何かと不満は尽きないが、ミヤギの台詞の中には金言がある。当時気に入っていたものがあるので紹介しておこう。

ミヤギ「人生、気力が充実せぬ時は常に生きる基本に戻ることだ」
(When you feel life out of focus...always return to basic of life.)
ダニエル「祈りのこと?」
(What, praying?)
ミヤギ「呼吸だ。息をせねば死ぬ」
(Breathing. No breathe, no life.)

 呼吸をすること、すなわち生の中心に戻るということ。些事に気をとらわれてオロオロしていると、つい忘れてしまうので、今でもこの言葉は大事にしている(「breathe」のところは「breath」とすべきではないか、という人もいるだろうが、劇中では「ブリーズ」と発音している)。

 「3」の内容は、コブラ会による復讐。クミコは東京のダンス・カンパニーに入ったらしく、ダニエルとは別れている。そのせいなのか何なのか、ダニエルは「1」や「2」よりも情緒不安定で、短気な性格になっていて、ここまで築きあげてきたミヤギとの信頼関係は何だったのか、と突っ込みたくなるほどの人格破綻者ぶりを見せる。ラルフ・マッチオの演技もまずい。進歩が見られないどころか、退化している。とくに酷いのはミヤギの盆栽の木を取りにいくために崖を下りていくシーン。学芸会的熱演がひたすら空回りしているだけで、煩わしいことこの上ない。ここは早送りしたくなる。
 全体的に、悪役をどこまで邪悪に描くかということに比重を置きすぎて、物語のトーンを救いようがないほど暗くしている。「こんな悪役にはこの世から消えてもらうほかない」と観客に思わせるレベルにまで煽っておきながら、死あるいはそれに見合う解決がなされないため、ハッピーエンドがハッピーに見えないのである。青春映画のみずみずしさなどかけらもない。ヒロインもパッとしない。ラルフ・マッチオもすっかり太ってしまい、見る影もない。私は『ベスト・キッド』ファンだが、「3」は存在価値のない駄作といいきって差し支えあるまい。

 「4」にはダニエルは出てこない(ミヤギの電話の相手として名前のみ出てくる)。主人公は女子。両親を失い、心を閉ざしているジュリーだ。女優はヒラリー・スワンク。これが初主演作である。ジュリーの祖母を演じているのはコンスタンス・タワーズ。サミュエル・フラー好きには泣かせるキャスティングだ。
 ジュリーが空手を通じ人として成長を遂げる、という物語にしたかったのだろうが、その成長ぶりがほとんど感じられないのが残念。ストーリーに抑揚がないので、高揚感も得られない。これは僧たちの「禅ボウリング」を観るためだけのカルト作だ。このヒロインが後年オスカーを2度受賞することになるとは、誰も予想できなかっただろう。

 ただ、このシリーズは音楽が素晴らしい。メインテーマを書いたのは『ロッキー』のビル・コンティ。オリエンタル・テイストの美しいメロディーを編んでいる。どんなにくだらないストーリーでも、これを聴くと受け入れたくなってしまう。
 「1」で初めてパンフルートの音色を聴いた時の感動は今でも忘れられない。パンフルートを吹いているのは名手ザンフィル。パサデナで演奏しているのをコンティが聴き、演奏を依頼したという。

 2010年に公開されたジャッキー・チェン版の『ベスト・キッド』は、オリジナル版を愛している人でもそれなりに楽しめるはず。敵役も含めて絶妙の配役。難があるとすれば、ラストの大技が派手すぎるところか。「1」を超える技を、という意気込みのあらわれかもしれないが、過剰さが裏目に出ている気がする。

 ブームになったがゆえに、1980年代文化として埋もれた感のある『ベスト・キッド』。これは中年が懐かしむためだけの映画ではない。真の強さとは何か、人生で真に大切なものとは何か、という永遠の問いに対してヒントを与えてくれる名画である。
(阿部十三)


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