映画 MOVIE

モニカ・ヴィッティ 〜不条理のミューズ〜

2012.11.07
 モニカ・ヴィッティは1960年代のイタリアを代表する名女優であり、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画を語る上で欠かすことの出来ないミューズである。何かといえばその物憂い存在感や美貌ばかりクローズアップされがちで、真面目に評価されるのはアントニオーニの演出術ばかりだが、これはフェアではない。彼女の表現力や演技力のおかげもあって、アントニオーニの世界が確立された、といってもいいすぎではないのである。

 例えば『太陽はひとりぼっち』の冒頭から約20分間、切り詰められた台詞で表現される、寒々しいほど空虚な別れのシーン。並の女優なら、ここで過剰な感情を滲ませるか、あるいは逆に空々しいほど素っ気なく演じるところだ。しかし、モニカは特定の感情に沿って演じることなく、「不条理」そのものを体現するかのようにして佇んでいる。彼女が「不条理」になりきることで、観る者もその観点から相手の男を見下ろすようになる。男の方は別れたくない。女の方としては、どうしても別れなければならない。が、2人の間に別れなければならない理由はない。修羅場といえるものもない。これは、ストーリーテリングとしてはかなりの冒険である。にもかかわらず、観る者に「この2人は別れなければならない」と納得させてしまう。それほどの磁場をモニカの一挙手一投足が形成しているのである。そんな彼女の技量を称えた人は当時どれくらいいたのだろう。

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 アントニオーニの映画に出る前、モニカはセルジオ・トファーノ劇団の主役女優として多くの舞台に立っていた。舞台で鍛え上げられたその演技力はマリオ・アメンドーラ監督のコメディ『Le Dritte』(1958年)でうかがうことができる。ここにいるのは、早口でまくしたてるイタリア女。コミカルで、押し出しが良く、演技も達者で、観ていて安心感がある。アントニオーニ映画のヒロインとはかけ離れたイメージに戸惑う人もいるかもしれない(凄い美人であることには変わりないけど)。

 運命の監督と関わったのは『さすらい』(1957年)の吹き替えを務めた時からである。当時のアントニオーニの代表作は、『女ともだち』(1955年)と『さすらい』。どちらも傑作と呼ぶにふさわしい作品だが、この2本だけでは歴史に名を残す監督にはならなかっただろう。
 2人はまもなく同棲。アントニオーニは恋人をヒロインに据えて、『情事』(1960年)、『夜』(1961年)、『太陽はひとりぼっち』(1962年)、『赤い砂漠』(1964年)を発表した。これらの作品により、モニカの名声は高まり、イメージも固定化。けだるく、物憂い、いわゆる「愛の不毛」のシンボル的存在になった。アントニオーニと別れた後は、元々得意としていたコメディに挑戦、『唇からナイフ』(1966年)などで話題をさらった。1983年にはジャン・リュック・ビドーと共演した『Flirt』でベルリン映画祭銀熊賞を受賞。アントニオーニとの同棲解消以降、独身を通していたが、後に『Flirt』のロベルト・ルッソ監督と結婚した。

 出世作の『情事』が公開された1960年6月、モニカは28歳になっていた。年を取るのが早いといわれる欧米の美人女優の中では、わりと遅咲きである。しかし、30代になってもその美貌は衰えず、多くのファンを魅了した。マルチェロ・マストロヤンニがカンヌで主演男優賞を受賞した1970年の『ジェラシー』(トロヴァヨーリのサントラが最高)でも、モニカの才色兼備ぶりは健在である。マストロヤンニとは『夜』でも共演しているが、この時はジャンヌ・モローがいたために、おいしいところを持っていかれてしまい、モニカは中途半端な役柄に甘んじていた感がある。その点、『ジェラシー』はマストロヤンニとしっかり渡り合っていて、女優としての魅力が十分に出ている。

 嫌味になり得ないほど飛び抜けた美貌も、才能の一つである。アラン・ドロンのように「世界一の美男」といわれた人でも、モニカの前では引き立て役になる。『太陽がいっぱい』から10年間のアラン・ドロンの映画を観ていると、この人はよほど有利な条件が得られない限り、ネームバリューの面でも、美しさの面でも、自分より上をいく女優との共演を避けていたのではないか、と思いたくなることがある。だから彼が出た映画はほとんど「アラン・ドロンの映画」でしかない(それはそれで魅力的なのだが)。ただし、モニカは例外である。『太陽はひとりぼっち』が「アラン・ドロンの映画」ではなく、「モニカ・ヴィッティとアラン・ドロンの映画」なのは、ある種虚無的なモニカの美しさがドロンのそれと均衡を保っているからである。まあ、それ以上に「アントニオーニの映画」だという人の方が多いだろうけど。

 モニカの代表作は、『情事』『夜』『太陽はひとりぼっち』『赤い砂漠』。さらに加えるなら、『唇からナイフ』『ジェラシー』である(『Flirt』も入れるべきだろうが未見)。アントニオーニ作品に限らず、『唇からナイフ』も『ジェラシー』もいってみれば不条理なお話。アルベール・カミュがカフカの作品について語った言葉を借りると、「何も出てきはしないと知りながら風呂桶で釣りをするという身を噛むような贅沢を人間が自分にさせている言語を絶した宇宙」が、モニカには似合っている。

 彼女自身の気質はもしかするとコメディ向きだったのかもしれないが、その美しさと演技力はアントニオーニにインスピレーションを与え、彼が編み出した映像表現にこれ以上ないほどフィットした。役者としてイメージが固定化することを不幸とみなす向きもあるが、監督に恵まれ、作品に恵まれた女優は、やはり幸福だというべきだろう。
(阿部十三)


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[モニカ・ヴィッティ略歴]
1931年11月3日、ローマ生まれ。15歳の時にアマチュア演劇に出演。その後、ローマの演劇アカデミーに入学し、1953年卒業。1954年に映画デビュー。1960年、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『情事』で注目を浴びる。アントニオーニと別れた後は、コメディ路線の作品にも意欲的に出演。1983年、ロベルト・ルッソ監督の『Flirt』でベルリン映画祭銀熊賞を受賞した。