タグ「アラン・ドロン」が付けられているもの

  • 事件の後 アラン・ドロンについて書かれた記事に必ずと言っていいほど出てくるトピックが2つある。1960年の映画『太陽がいっぱい』で人気が爆発したこと、そして美男子の代名詞的存在であることだ。今でも「最高の美男俳優は誰か」と質問されて彼の名前を挙げる人は多い。そのイメージからは、華やかで輝かしい人生しか想像できないだろう。しかし、実際のドロンは順調にスター街道...

    [続きを読む](2024.01.19)
  • 1920年生まれの監督 ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール主演の『ヘッドライト』(1956年)は、初老のトラック運転手と若いウェイトレスの悲恋物語で、溢れる詩情と哀感が胸を打つ傑作だ。アルヌールのファンには、ただでさえ魅力的な彼女のことをたまらなく愛おしく見せる作品として記憶されている。涙や溜息でじめじめしそうな題材だが、過剰な表現をせず、変にベタ...

    [続きを読む](2019.07.13)
  •  シモーヌ・シニョレはフランス映画界の第一線で活躍した名女優である。演じた役柄には一定の傾向があり、若い頃は娼婦や不倫の人妻の役が多く、中年になってからは貫禄のあるおばさん役で存在感を発揮した。40歳を過ぎても顔の皺を隠すことなく変に若作りしなかったことや、政治に関する発言を積極的にしていたことから、同性のファンも多かったようである。 初の大役は『宝石館』(...

    [続きを読む](2017.02.04)
  • 反骨精神の人 ジョセフ・ロージーは赤狩りの時代にアメリカを追われ、イギリスで問題作を次々と発表した監督である。いわば反骨精神の塊のような人。マッカーシズムの犠牲者というレッテルは似合わない。その作品は、観る者をスカッとさせるタイプのものではなく、毒に満ちている。とにかく後味の悪い映画が多い。にもかかわらず、観たくなる。言ってみれば、その毒には偽善的な社会や微...

    [続きを読む](2015.04.16)
  • マリー・ラフォレ「マンチェスターとリヴァプール」(1966年) マリー・ラフォレは『太陽がいっぱい』(1960年)のヒロインとして有名だが、歌手としての評価も非常に高く、10枚以上のスタジオ・アルバムを発表している。「マンチェスターとリヴァプール」は初期の代表曲で、作詞はエディ・マルネイ、作曲はアンドレ・ポップが担当、1966年に発売されてヒットした。今日で...

    [続きを読む](2015.03.03)
  • アラン・ドロンと組んだ3作品 『サムライ』はアラン・ドロンとの初顔合わせ作品で、メルヴィルの最高傑作と評されることもある。主人公は、鳥と心を通わせる無口な殺し屋ジェフ・コステロ。ドロンにうってつけの役だ。この『サムライ』以降、ドロンは単なる二枚目俳優の枠を越えて、渋味のある名優の仲間入りをしたといえる。 これはスーパーマン的な殺し屋の話ではない。ジェフ・コス...

    [続きを読む](2013.09.24)
  • ベッケルとメルヴィル 長編2作目の『恐るべき子供たち』が公開された後、ジャン=ピエール・メルヴィルは映画界から足を洗う決心をした。1950年のことである。当時、メルヴィルは疲れ切り、力尽きていた。そんな彼を再び映画に向かわせたのは、ジャック・ベッケルだった。「......そんな次第で〈シネアック=テルヌ〉のそばのビストロにいて、まさに出ようという時、店の奥か...

    [続きを読む](2013.09.21)
  •  ミレーヌ・ドモンジョは、そのキュートなマスクとフォトジェニックなスタイル、そして確かな演技力で人気を集めたフランス女優である。彼女のプロフィールには、必ずといっていいほど「ブリジット・バルドーのライバルだった」とか「バルドーに追いつくことはできなかった」という意味のことが書かれている。しかし、ドモンジョとバルドーではそもそもファンが求めていたものは違ってい...

    [続きを読む](2012.11.22)
  •  モニカ・ヴィッティは1960年代のイタリアを代表する名女優であり、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画を語る上で欠かすことの出来ないミューズである。何かといえばその物憂い存在感や美貌ばかりクローズアップされがちで、真面目に評価されるのはアントニオーニの演出術ばかりだが、これはフェアではない。彼女の表現力や演技力のおかげもあって、アントニオーニの世界が確...

    [続きを読む](2012.11.07)
  •  ルキーノ・ヴィスコンティの映画はしばしば「絢爛たる」とか「格調高い」と形容される。しかし、クラシカルな雰囲気を漂わせた外観の内側には、秩序のないエネルギーが散乱している。多くの古典がそうであるように、彼の映画もまた現代的な「おさまりの良さ」を知らない。そこが魅力である。 その作品は、全体のまとまり具合や演出の巧みさで語られるより、美学の観点から語られる方が...

    [続きを読む](2011.06.15)
  •  飛行クラブでトップクラスの腕前を持つパイロットのマヌー(アラン・ドロン)と、彼の親友で新型エンジンの開発に熱中しているエンジニアのローラン(リノ・ヴァンチュラ)。そして2人の前に現れた芸術家の卵、レティシア(ジョアンナ・シムカス)。それぞれ夢に破れ、失意を味わった3人は、コンゴの海底に眠っているという5億フランの財宝を探すべく、冒険の旅に出る。 恋と友情と...

    [続きを読む](2011.05.30)
  •  1934年にジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『白き処女地』『地の果てを行く』で注目されてから、1976年に72歳で亡くなるまで、ジャン・ギャバンほどフランスで愛された俳優はいない。彼がカメラの前に立つと、それだけで周囲のキャストは霞んでしまう。例えば『地下室のメロディ』。あの大スター、アラン・ドロンでさえギャバンと並んで立っていると青二才に見える。ドロンよ...

    [続きを読む](2011.05.20)
  • ザ・スミス『ザ・クイーン・イズ・デッド』1986年発表 結成から解散まで僅か5年間でその寿命は尽きた。しかしザ・スミスは80年代はおろか史上最もオリジナルで重要なロックバンドのひとつである。そして、サード・アルバム『ザ・クイーン・イズ・デッド』が彼らの最高傑作であることも、疑いようのない史実だ。 そもそも80年代という時代について、昨今のリバイバルの目線から...

    [続きを読む](2011.05.07)
  •  「フランス映画=アンハッピーエンド」のイメージが日本で定着したのは1930年代のことである。そのアンハッピーなフランス映画の代表的な監督として人気を博していたのがジュリアン・デュヴィヴィエだ。人生に疲れを感じた時、その作品は強いお酒のように胸にしみる。 デュヴィヴィエはジャン・ギャバンを育てた人でもある。このコンビは、日本でいえば黒澤明と三船敏郎のようなも...

    [続きを読む](2011.05.05)
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