映画 MOVIE

冒険者たち 〜青春のためのレクイエム〜

2011.05.30
LES-AVENTURIERS
 飛行クラブでトップクラスの腕前を持つパイロットのマヌー(アラン・ドロン)と、彼の親友で新型エンジンの開発に熱中しているエンジニアのローラン(リノ・ヴァンチュラ)。そして2人の前に現れた芸術家の卵、レティシア(ジョアンナ・シムカス)。それぞれ夢に破れ、失意を味わった3人は、コンゴの海底に眠っているという5億フランの財宝を探すべく、冒険の旅に出る。

 恋と友情と冒険、そして青春の終わりを描いたフランス映画。泥沼恋愛劇にありがちな「男2人に女が1人」という危ういバランス設定がいやらしく扱われていないところがいい。この設定だとたいていは「友情は恋愛に劣る」というパターンに陥る。そして、最後は恋愛を選ぶのだろう、というゴールが見えている上で三角関係をいじり回し、登場人物たちを申し訳程度に葛藤させる。しかしこの映画にそんなゴールはない。そこが面白いし、リアルだ。

 当時、この作品に影響を受け、アメリカ流にアレンジしたのが『明日に向って撃て!』である。ブッチ、サンダンス、エッタの三角関係も、少し手加減を誤ればぐちゃぐちゃに縺れてしまう。そこをうまくやりすごしながら、みずみずしい青春のタペストリーを編んでいる。
 日本でも藤田敏八監督が『八月の濡れた砂』のラストシーンで『冒険者たち』にオマージュを捧げているが(あの石川セリの歌声は一度聴いたら忘れられない)、こちらは青春の吹き出物のような映画で、全くみずみずしくないし、設定もかなりいびつである。『冒険者たち』『明日に向って撃て!』の流れで観たら、大半の人は戸惑うだろう。

 『冒険者たち』というと、無限に広がる大空、輝く太陽、アフリカの海、海底の財宝といったキーワードで語られることが多いが、実はそれらが映画の中で占める割合は一部にすぎない。後半ではがらっと雰囲気が変わり、悲哀を帯びて、くすんだトーンになる。詳述は控えるが、フィルム・ノワールのような緊張感が漂いはじめる。その展開の落差もうまい。
 原作はあのジャック・ベッケル監督の傑作『穴』を執筆したジョゼ・ジョバンニ。彼は監督としても『暗黒街のふたり』など忘れ難い作品を撮っている。犯罪組織に加わり、死刑を宣告されたこともあるという波瀾万丈の経歴の持ち主(父親の運動のおかげで死刑を免れ、1956年に釈放された)で、その作品にもアウトローを扱ったものが多い。
 監督はロベール・アンリコ。『オー!』や『追想』も有名だが、代表作はやはり『冒険者たち』。この作品の後、ジョアンナ・シムカスを再び起用し、『若草の萌えるころ』を撮っている。かなり前に一度だけ観たが、それは萩原朔太郎の詩句「若草のもえいづる心まかせに」を想起させる美しいタイトルとジョアンナ・シムカスのヌードシーンにつられたからである。いざ観てみると意外にも考えさせる映画だったので鼻白んだ記憶がある。原題は『ジタおばさん』。邦題は無駄にセンスがありすぎる。

 ローラン役のリノ・ヴァンチュラは言わずと知れたフィルム・ノワールの常連。彼の名前を見て即座に『現金(ゲンナマ)に手を出すな』『筋金(ヤキ)を入れろ』『野獣は放たれた』『彼奴(きゃつ)を殺(け)せ!!』といったいかにも犯罪臭のするタイトルを連想してしまう人もいると思う。そのきな臭いイメージは『冒険者たち』を観れば変わることだろう。男のナイーブさをこれ見よがしでなく、うっすらと滲ませるように表現できる役者なのだ。

 マヌー役のアラン・ドロンは撮影当時30歳。典型的な美男子のイメージはそのままに、大人の色気も漂わせている。その問答無用の格好良さには同性でも脱帽せざるを得まい。ただ、この映画の後、ドロンはマフィアとの後ろ暗い関係を取り沙汰されたり、ナタリーとの離婚問題があったり、とスキャンダルに揉まれ、顔にも皺が刻まれてきて、出演作でもハンサムボーイという感じではなくなっていった(渋みが出て魅力が増した、と見る人も出てきたが)。そういう意味では、これは美男子のイメージに徹した最後の作品と言えるかもしれない。

 フランソワ・ド・ルーベによる有名な口笛のメロディーにのせて、マヌーたちが金色の太陽と紺碧の海の世界で人生を輝かせ、やがて哀しい運命を辿り、海に寂しく浮かぶボワイヤー砦で劇的なラストを迎えるのを見届けた後、人は自分自身の青春も終わったような甘い喪失感を味わうだろう。
 この映画を観て思い出すのはアンドレ・ジイドの言葉である。「ああ! 青春! 人は一生に一時しかそれを所有しない。残りの年月はただその思い出に生きるのみ」ーー私自身には思い出すに値するような青春はない。青春が終わっているのか、それ以前に、始まっていたのかもよく分からない。もしかすると、そんな鮮烈な青春とは無縁な存在なのかもしれない。しかしリノ・ヴァンチュラが40代で「冒険者」を演じたのだから、30代の自分ならまだ青春と冒険を満喫できるだろう、と都合よく解釈して、人生と折り合いをつけている。
(阿部十三)