音楽 POP/ROCK

マリー・ラフォレ 「マンチェスターとリヴァプール」

2015.03.03
マリー・ラフォレ
「マンチェスターとリヴァプール」

(1966年)

 マリー・ラフォレは『太陽がいっぱい』(1960年)のヒロインとして有名だが、歌手としての評価も非常に高く、10枚以上のスタジオ・アルバムを発表している。「マンチェスターとリヴァプール」は初期の代表曲で、作詞はエディ・マルネイ、作曲はアンドレ・ポップが担当、1966年に発売されてヒットした。今日ではもしかするとピンキーとフェラスが1968年に歌ったバージョンの方が有名かもしれないが、オリジナルの創唱者はマリー・ラフォレである。

 歌の主人公は、失った恋を探して、マンチェスターとリヴァプールの2つの都市をさまよい歩く。その途中、かつて「愛している」と自分に言った恋しい人の声がよみがえる。しかしどこを探しても見つからない。「マンチェスターとその悲しい町々/リヴァプールは海に涙をこぼしそう/私にはもう自分が存在しているのかさえわからない/冬を恐れている白い舟たち/マンチェスターは雨の下/今日の霧の中で/リヴァプールはもう見つからない/恋もまた失われてしまった」ーー都市を擬人化したその歌詞はユニークかつ感傷的だが、リズムは歯切れよく、曲調も暗くない。そこにマリー・ラフォレの歌声が合わさることで、えもいわれぬ甘さと切なさが生まれる。

 私が持っているレコードのライナーノーツには、「この唄は異国情緒をねらったもので、フランスのシャンソンでありながら、わざとイギリスの都市の名前を二つまであげて題名としている」(蘆原英了)と書かれている。しかし、なぜイギリスでなければならないのか。当時の音楽事情を踏まえて考えると、これは単なる異国情緒以上の意味を持つ。この歌詞に、イギリスで生まれたロックバンドの成功とその影響を重ね合わせることは難しくない(ちなみにザ・ビートルズはリヴァプール出身)。はっきり言えば、イギリスから奔出した新たな音楽の激流への距離感や違和感が、歌詞の裏側にあると私は見る。

 「雨」や「霧」はイギリスの象徴であるばかりでなく、自分が思い描いた世界からの隔絶を示している。冬を恐れる白い舟とは自身の投影だ。霧の中から聞こえる「愛している」に対する最後の言葉ーー「私は決してそれを信じないでしょう」は己の意思の表明である。この部分は、別に愛そのものを信じないと言っているわけではなく、流行のロックが繰り返し連呼する愛を皮肉っているのかもしれない。マルネイの意を汲んでか、アンドレ・ポップの音作りも全く流行を追っていない。もっとも、後にマルネイは「リラの季節」、ポップは「恋はみずいろ」を手がけ、それぞれの代表作をヒットさせることになる。彼らは過去に取り残された人であるどころか、クリエイターとしてまさに全盛期を迎えんとしていた。そんな時期に書かれた曲であることを強調しておきたい。

 ちなみに、ピンキーとフェラスが歌った「マンチェスターとリヴァプール」の英語詞は、内容自体が大幅に変更されている。こちらは失恋ソングではない。「マンチェスターとリバプールはとても騒がしく慌しく典型的な町。何百万の人が希望と不安をかかえて幸福を求めながら生きている」という歌詞が象徴しているように、都市で生活する者に小さな希望を与えるポジティヴな内容だ。「都会ってそんなに素敵じゃないかもしれないけど、帰って来ると煙突がおかえりって挨拶してくれるの」と歌われた時点で、私は絵空事のように感じるし、煙臭い家には帰りたくないとしか思えないのだが、こういった歌詞に共感する人もいるだろう。

 マリー・ラフォレの歌は、女優が余技で歌うレベルを超えている。その繊細な声の魅力は『太陽がいっぱい』の僅かなシーンからもうかがえるが、若き日の彼女が歌っている姿を鑑賞するなら『赤と青のブルース』(1961年)がある。楽曲としては、「マンチェスターとリヴァプール」以外に、「モナムール・モナミ」「イヴァン、ボリス、そして私」「恋の収穫」「ヴィアン・ヴィアン」「2人で生きる」「天国への祈り」「熱をあげて」「愛の贈り物」が良い。イギリス発で世界を席巻したストーンズの「黒くぬれ!」のカバーも最高だ。
(阿部十三)