タグ「スヴャトスラフ・リヒテル」が付けられているもの

  •  誰もが一度はダヴィッド・オイストラフの演奏に魅了される。緩急強弱の表現すべてが万全で、安定感があり、艶やかで美しい音色でも、鬼気迫る切れ味鋭い音色でも、翳りのあるメランコリーな音色でも、人をひきつける。どんなに一流と呼ばれる人でも、作品やその中にあるフレーズとの相性の良し悪しが出ることがしばしばあるが、オイストラフにかかると、そういうことはほとんど起こらな...

    [続きを読む](2017.07.08)
  • ギレリスのプロフィール エミール・ギレリスは多面的な魅力を持ったピアニストである。かつては「鋼鉄のタッチ」と評され、それが彼のイメージを狭めていた節もあるが、遺された多くの録音に虚心坦懐に耳を傾ければ、強靭で決然たる打鍵や猛烈な疾走感だけでなく、音色の美しさやフレージングの柔らかさもギレリスの持ち味であることが分かるはずだ。 若い頃からギレリスの技術は大きな...

    [続きを読む](2014.04.21)
  • 20世紀最初のロマンティック・コンチェルト 1897年3月に初演された交響曲第1番が大失敗に終わった後、ラフマニノフが強度の神経衰弱に襲われ、スランプに陥ったことはよく知られている。作曲への自信を失い、創作意欲も失った彼は、様々な治療法を試してみたものの、結局、何の効果も得られなかった。 転機が訪れたのは1900年。友人のすすめでニコライ・ダーリ博士の暗示療...

    [続きを読む](2013.05.22)
  •  2004年にグリゴリー・ソコロフのコンサート映像がDVD化された時、日本では知名度が高いとはいえないこの大ピアニストについて、私は次のように書いたことがある。「現在は西欧を中心にマイペースの活動を行ない、その名声はすでに不動の高みに達している。にもかかわらず、日本で目立つかたちで紹介される機会はなく、情報が増えない。はっきりいえばマイナー扱いされている節す...

    [続きを読む](2013.04.16)
  • 若き日に書いた〈最初の傑作〉 若きベートーヴェンが書いた傑作である。ベートーヴェンのピアノ協奏曲というと第4番、第5番「皇帝」がポピュラーだが、私が最も好んで聴くのは第1番である。文字通り〈爽快〉かつ〈壮快〉な作品で、全体を通して聴いた後、重さもアクも残らない。思索的な面では、後期の作品に比べて物足りないという人もいるかもしれない。ただ、何も考えたくない時、...

    [続きを読む](2012.09.04)
  • 夢幻と躁状態 シューマンのピアノ協奏曲イ短調は、この天才が生み出した、革新的で閃きに満ちた傑作である。彼は若い頃からピアノ協奏曲のジャンルに手を染めていたが、完成させたのはこれ1作のみ。完成時、シューマンは35歳になっていた。2作目、3作目を書くことが出来なかったのは、この時期(1845年)から精神のバランスを崩すようになったこと、また、管弦楽の扱いが未熟だ...

    [続きを読む](2012.05.30)
  • 「プレチピタート」が描くもの セルゲイ・プロコフィエフは1939年から1944年の間にピアノ・ソナタを3作書き上げた。第6番イ長調、第7番変ロ長調、第8番変ロ長調である。戦争に触発されて書かれたそれらの作品は、まとめて「戦争ソナタ」と呼ばれている。このシリーズ中、プロコフィエフの才気が爆発しているのが第7番である。よりどころのない不安、甘さのないリリシズム、...

    [続きを読む](2012.01.19)
  •  マリア・ユーディナはスターリンお気に入りのピアニストだった。彼女が録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、スターリンの求めに応じて演奏されたものである。ただ、ユーディナは舌禍の多い人で、幾度となく当局とやり合っているような女傑だった。スターリンに対しても批判的な言動を繰り返していた。レコードの謝礼を受け取る時、彼女は礼状にこう書いたという。「ご助力を...

    [続きを読む](2011.12.27)
  • 「ピアノのパガニーニ」による華麗なコンチェルト 交響詩の創始者であるハンガリー出身の作曲家フランツ・リストが、生前、超絶的な技術を誇るヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして名声をほしいままにしていたことはよく知られている。「ピアノのパガニーニ」を目指していたという彼が書いたピアノ作品は難易度の高いものが多く、とりわけ「超絶技巧練習曲」など、これを音楽的に申し分な...

    [続きを読む](2011.11.01)
  •  シャルル・ミュンシュが遺した録音に接していると、しばしばライヴを目の当たりにしているような気分になる。そこには生々しい臨場感がある。彼はその著作『私は指揮者である』の中で、「コンサートは毎回頭脳と筋肉と神経のエネルギーを信じられないほど消耗させる」と書いているが、そうした全力投球の姿勢はレコーディングでも変わらなかったに違いない。 ミュンシュは1891年9...

    [続きを読む](2011.04.08)
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