プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」
2012.01.19
「プレチピタート」が描くもの
セルゲイ・プロコフィエフは1939年から1944年の間にピアノ・ソナタを3作書き上げた。第6番イ長調、第7番変ロ長調、第8番変ロ長調である。戦争に触発されて書かれたそれらの作品は、まとめて「戦争ソナタ」と呼ばれている。このシリーズ中、プロコフィエフの才気が爆発しているのが第7番である。よりどころのない不安、甘さのないリリシズム、革新性、強靭さ、残忍性、カタルシスといったものが、ここに併存しながら、一切の渋滞感なく、すっきりとまとまっている。20世紀に生まれた最も偉大なピアノ・ソナタといっても決して過大評価にはならないだろう。
1943年初頭、プロコフィエフから初演ピアニストに指名されたスヴャトスラフ・リヒテルは4日間でこの難曲を習得し、1943年1月18日の世界初演を成功させた。折しも独ソ戦の真っ只中。当時の不吉なムードや市民の心理を汲み取り、音楽へと昇華させた傑作に聴衆は熱狂した。後年、リヒテルはこの作品について、こんな風に語っている。
「このソナタは、均衡を失いつつある世界の不吉な雰囲気の中に、我々を荒々しく投げ入れる。混沌と未知が支配する世界。我々はそこで危険な力の爆発を目の当たりにする」
しかし、それでも人々は「強く感じること」「愛すること」をやめない。不幸を分かち合い、力を合わせて抗議し、行く手に立ちはだかるものを払いのけ、「大規模な闘争の中から、抑えがたい生命力を確認させてくれる支えを得る」とリヒテルは続ける。
「大規模な闘争の中から、抑えがたい生命力を確認させてくれる」のは第3楽章のことである。「性急」「猛烈」といった意味合いを持つプレチピタートと指示されたこの楽章は、しかし、容赦のない破壊の音楽にも聞こえる。感情を伴わない、ひたすら機械的な破壊。私が初めてこれを聴いた時は、無表情の侵略者が群衆に向けて絶え間なく機関銃を撃っているような、そんな凄惨な光景を浮かべて恐怖を覚え、頭がくらくらしたものだ。こういうイメージはそれをもたらす演奏者によって大きく変わってくるので、何が正しいとは一概には言えないが、このソナタを聴いた人は誰でもプロコフィエフの研ぎ澄まされた才気に驚嘆し、「とんでもない曲」と感じるのではないか。
第1楽章はアレグロ・インクィエート。インクィエートは「落ち着かない」「不安な」という意味。不安定な音階進行とリズムが交錯し、不穏な空気を演出する。歯車の狂い出した群集心理を刻むように、不協和音が叩きつけられる。第2楽章は美しいアンダンテだが、不安の影がつきまとい、いわゆるロマンティックな甘みが少ない。なんとなくショパンの「別れの曲」を一回完全に分解して、全く別物の歪んだ響きを持つ音楽を作り上げたような、奇怪な後味が残る。第3楽章は先述したように凄絶なリズムの響宴。音を乱射しながらピアノが猛進し、圧巻のクライマックスを築き上げる。全体を通して聴くと、単に革新的であるばかりでなく、古典的な整合感や厳格さもたたえており、漫然とした印象は全く与えられない。
スヴャトスラフ・リヒテルによる1958年のライヴ盤は、初演者どうこうということを抜きにしても、一度は聴いておくべき名演。天才の閃きとエネルギーが対話している。グレン・グールドが1967年に録音した演奏も、知的なアプローチ、センスが光る秀演。マウリツィオ・ポリーニによる1971年の録音も高い評価を得ているが、私が最も衝撃を受けたのはグリゴリー・ソコロフの演奏。彼がパリで行ったコンサートの映像があり、それをよく観ている。終楽章の激しさは、聴覚と同時に視覚をも圧倒する。そして、観た後は必ずといっていいほど立ち上がる気力を失ってしまう。
【関連サイト】
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」
セルゲイ・プロコフィエフは1939年から1944年の間にピアノ・ソナタを3作書き上げた。第6番イ長調、第7番変ロ長調、第8番変ロ長調である。戦争に触発されて書かれたそれらの作品は、まとめて「戦争ソナタ」と呼ばれている。このシリーズ中、プロコフィエフの才気が爆発しているのが第7番である。よりどころのない不安、甘さのないリリシズム、革新性、強靭さ、残忍性、カタルシスといったものが、ここに併存しながら、一切の渋滞感なく、すっきりとまとまっている。20世紀に生まれた最も偉大なピアノ・ソナタといっても決して過大評価にはならないだろう。
1943年初頭、プロコフィエフから初演ピアニストに指名されたスヴャトスラフ・リヒテルは4日間でこの難曲を習得し、1943年1月18日の世界初演を成功させた。折しも独ソ戦の真っ只中。当時の不吉なムードや市民の心理を汲み取り、音楽へと昇華させた傑作に聴衆は熱狂した。後年、リヒテルはこの作品について、こんな風に語っている。
「このソナタは、均衡を失いつつある世界の不吉な雰囲気の中に、我々を荒々しく投げ入れる。混沌と未知が支配する世界。我々はそこで危険な力の爆発を目の当たりにする」
しかし、それでも人々は「強く感じること」「愛すること」をやめない。不幸を分かち合い、力を合わせて抗議し、行く手に立ちはだかるものを払いのけ、「大規模な闘争の中から、抑えがたい生命力を確認させてくれる支えを得る」とリヒテルは続ける。
「大規模な闘争の中から、抑えがたい生命力を確認させてくれる」のは第3楽章のことである。「性急」「猛烈」といった意味合いを持つプレチピタートと指示されたこの楽章は、しかし、容赦のない破壊の音楽にも聞こえる。感情を伴わない、ひたすら機械的な破壊。私が初めてこれを聴いた時は、無表情の侵略者が群衆に向けて絶え間なく機関銃を撃っているような、そんな凄惨な光景を浮かべて恐怖を覚え、頭がくらくらしたものだ。こういうイメージはそれをもたらす演奏者によって大きく変わってくるので、何が正しいとは一概には言えないが、このソナタを聴いた人は誰でもプロコフィエフの研ぎ澄まされた才気に驚嘆し、「とんでもない曲」と感じるのではないか。
第1楽章はアレグロ・インクィエート。インクィエートは「落ち着かない」「不安な」という意味。不安定な音階進行とリズムが交錯し、不穏な空気を演出する。歯車の狂い出した群集心理を刻むように、不協和音が叩きつけられる。第2楽章は美しいアンダンテだが、不安の影がつきまとい、いわゆるロマンティックな甘みが少ない。なんとなくショパンの「別れの曲」を一回完全に分解して、全く別物の歪んだ響きを持つ音楽を作り上げたような、奇怪な後味が残る。第3楽章は先述したように凄絶なリズムの響宴。音を乱射しながらピアノが猛進し、圧巻のクライマックスを築き上げる。全体を通して聴くと、単に革新的であるばかりでなく、古典的な整合感や厳格さもたたえており、漫然とした印象は全く与えられない。
スヴャトスラフ・リヒテルによる1958年のライヴ盤は、初演者どうこうということを抜きにしても、一度は聴いておくべき名演。天才の閃きとエネルギーが対話している。グレン・グールドが1967年に録音した演奏も、知的なアプローチ、センスが光る秀演。マウリツィオ・ポリーニによる1971年の録音も高い評価を得ているが、私が最も衝撃を受けたのはグリゴリー・ソコロフの演奏。彼がパリで行ったコンサートの映像があり、それをよく観ている。終楽章の激しさは、聴覚と同時に視覚をも圧倒する。そして、観た後は必ずといっていいほど立ち上がる気力を失ってしまう。
(阿部十三)
【関連サイト】
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」
セルゲイ・プロコフィエフ
[1891.4.23-1953.3.5]
ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83 「戦争ソナタ」
【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
スヴャトスラフ・リヒテル(p)
録音:1958年4月17日(ライヴ)
グリゴリー・ソコロフ(p)
録音:2002年11月4日(ライヴ)
[1891.4.23-1953.3.5]
ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83 「戦争ソナタ」
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録音:1958年4月17日(ライヴ)
グリゴリー・ソコロフ(p)
録音:2002年11月4日(ライヴ)
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