タグ「モーツァルト」が付けられているもの

  • 次の世代の作曲家として ベートーヴェンの交響曲第1番は、遅くとも1800年3月までに書かれ、同年4月2日に作曲者自身の指揮により初演された。30歳を迎える前にようやく最初の交響曲を完成させたわけだが、これが嚆矢となり、ベートーヴェンは30代の間に第2番から第6番「田園」まで書き上げることになる。 第1番の作風については、ハイドン、モーツァルトの影響から脱し切...

    [続きを読む](2017.05.12)
  • 時空の概念を超える モーツァルトの全作品で、私がこれまでに一番多く聴いたのは「ジュピター」である。それは「最後の交響曲」に対して特別な気持ちが働くからでも、何か深遠なメッセージを読み取っているからでもない。聴いていると体が軽くなり、すぐに音楽の世界に入り込み、旋律とハーモニーに浸る悦びを味わえるからである。病気のときも、この音楽を聴くと楽になる。端的に言えば...

    [続きを読む](2017.01.23)
  • ワルターと私 ブルーノ・ワルターはクラシック音楽を聴きはじめた人の前に、モーツァルトやベートーヴェンの作品の指揮者として現れる。そして、ライナーノーツやレビューに書かれている「温厚な人柄」「モラリスト」といった人物評により、大指揮者には稀な人格者のイメージを植え付けられる。これはワルター受容の一つのパターンと言えるだろう。しかし、そんな人物像を前提にして音源...

    [続きを読む](2016.12.11)
  •  ウィリアム・シェイクスピアの「ロマンス劇」は、上演史などを手がかりに、1608年から1611年頃にかけて書かれたとみられている。その4作、『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』には作品の傾向として似通った部分が多く、その点からも、一定の期間内に着手されたと考えるのは不自然ではない。 主な共通項を列挙しておくと、まず4作品とも夫婦や親子が離れ...

    [続きを読む](2016.09.10)
  • 埋もれていた青春のシンフォニー ジョルジュ・ビゼーがハ長調交響曲を書き上げたのは1855年11月、まだ17歳のときのことである。当時音楽院に通っていたビゼーは、この作品で早熟ぶりを示したが、楽譜は長い間埋もれた状態にあり、ようやく1933年にパリ音楽院の図書館で発見され、2年後の1935年2月26日に初演された。 この交響曲は軽快なだけでなく優雅な美しさを持...

    [続きを読む](2016.08.03)
  • 簡潔さの中に宿る情熱、あるいは嵐の予感 「ロシア四重奏曲」はヨーゼフ・ハイドンが1781年に完成させた全6作からなる弦楽四重奏曲集で、作曲家本人の言葉を借りれば「全く新しい特別な方法で作曲された」自信作である。作品番号で言うと33。弦楽四重奏曲第37番は、この作品集の1作目にあたるので「op.33-1」となる。ホーボーケン番号では弦楽四重奏曲は「III」に括...

    [続きを読む](2015.12.15)
  •  エーリッヒ・クンツの歌声はウィーンの香気である。そのバリトンに耳を傾けているだけで、おおらかになり、幸せな気持ちになれる。耳が悦び、胸躍るような感覚を覚える。変に取り繕ったところのない自由で粋な歌い回し、それでいて要所で聴く者の胸に迫ってくるフレージングの巧さも魅力である。 クンツのことを知ったきっかけは、中学3年生の時に祖父に買ってもらった『ウィーン・オ...

    [続きを読む](2014.01.30)
  • これほどまでに美しい...... 「ラシーヌの雅歌」はガブリエル・フォーレの初期の合唱曲である。彼はニデルメイエール宗教音楽学校の生徒だった20歳の時(1865年)にこれを提出し、作曲科で一等賞を獲得して卒業した。学生時代の作品とはいえ、その音楽の純粋さ、清澄さ、美しさは、まぎれもなくフォーレ独自のもの。巧みな四声書法がジャン・ラシーヌの詩と融和し、高貴なハ...

    [続きを読む](2013.07.25)
  • イリアとオクタヴィアン 『イドメネオ』のユリナッチは文句なしに素晴らしい。その声の美質を遺憾なく発揮している。役と声の間にここまで親和性を感じさせる例も珍しい。このイリアがいれば、ほかのイリアはいらない、といいたくなるほどだ。音質は1956年に録音されたものの方が良いが、ジョン・プリッチャードの指揮が緩いのが難点である。 ユリナッチの美質は、『蝶々夫人』(1...

    [続きを読む](2013.02.25)
  • モーツァルトの小さな宝石 ザルツブルクの宮廷音楽家として窮屈な思いをしながら働いていた1776年、モーツァルトは多くの機会音楽を作曲した。セレナード「セレナータ・ノットゥルナ」もその中のひとつである。作曲の動機は何なのか、誰のために書かれたのかは明らかにされていない。「セレナータ・ノットゥルナ」というのも、父レオポルトによってモーツァルトの自筆譜に書かれた名...

    [続きを読む](2013.01.28)
  • 恋人たちの学校 『コジ・ファン・トゥッテ』の作曲者には元々サリエリが予定されていた。しかし、サリエリが降りたため、モーツァルトに依頼が回ってきた。モーツァルトの書簡や妻コンスタンツェの証言によると、サリエリがモーツァルトに対して敵意と嫉妬を抱きはじめたのは、このオペラの初演(1790年1月26日)が成功を収めた時からだという。 ひと言でいえば不道徳なオペラで...

    [続きを読む](2012.03.13)
  • この取り合わせはかなり美味 こんな曲を書く人間が、本当にこの世に生きていたのだろうか。モーツァルトの音楽を聴いて、そういう感慨にとらわれたことのある人はたくさんいると思う。そこまで感じさせる異常な美しさ、深さといったものが、たしかに彼が遺したいくつかの作品にはある。 さらに、モーツァルトの場合、遺された手紙や関係者の証言から推察できる人物像にとらえどころがな...

    [続きを読む](2011.12.06)
  • モーツァルトの私小説 作曲家の人生に起こった出来事と結びつけて作品を論じようとするのは、必ずしも有効な方法とは言えない。「この人は当時こういう生活をしていたからこういう作品を書いた」という説明がしっくりくる作品もたしかにあるが、実人生とは連結し得ない純粋にイマジネイティヴな作品、天啓のようなインスピレーションから生まれた作品も無数にあるのだ。とくに、モーツァ...

    [続きを読む](2011.09.19)
  •  フリッツ・ブッシュのキャリアの全盛期は戦前である。残された音源は当然モノラルで、キズもある。極端に古い音源は、現代のテクノロジーを駆使しても大した改善は望めない。下手に加工しても音が不自然にツルツルしてしまい、興ざめするだけだ。だから結局古いままで聴くほかない。にもかかわらず、演奏があまりに魅力的なために、聴いているうちに音質のハンデを忘れてしまう。193...

    [続きを読む](2011.09.08)
  • ベートーヴェンも愛した「短調のモーツァルト」 明るく、無邪気なモーツァルトしか知らない人は、悲しみ悶え苦しむ「短調のモーツァルト」の存在を知った時、少なからず驚くに違いない。生活の匂いを感じさせない、まるで天使が書いたような長調の作品は、モーツァルトが〈神の子〉であったことを伝えているが、暗い情熱が波打つ短調の作品は、モーツァルトがまぎれもなく苦悩する〈人間...

    [続きを読む](2011.06.29)
  •  ひとつ忘れられない思い出がある。2006年11月、サントリーホールでモーツァルトの交響曲第39番、第40番、第41番を聴いた時のことだ。3作とも有名すぎるほど有名な作品である。それをウィーンフィルが演奏する。こちらはさぞ魅惑的なモーツァルトが聴けるのだろうと期待する。しかし指揮者はアーノンクール。普通の演奏はしないだろう、という不安にも似た予感がふと脳裏を...

    [続きを読む](2011.06.18)
  • 青春のソング・ブック モーツァルトのオペラでまず有名なのは『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』。これらはモーツァルトの三大オペラと呼ばれている。が、メロディーメーカーとしての彼のセンスが最も意気盛んに爆発しているのは『後宮からの誘拐』である。このオペラの中に織り込まれた20曲あまりの歌は、どれも表情豊かで美しい旋律によって編まれており、ポピュラー...

    [続きを読む](2011.05.13)
  • ワルターからミンコフスキまで 名盤と呼ばれている録音は少なくない。長年、最高の「40番」とされてきたブルーノ・ワルター/コロンビア響の組み合わせを筆頭に、オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管、カール・ベーム/ウィーン・フィル、ヨーゼフ・カイルベルト/バイエルン放送交響楽団(ライヴ)などなど、どれも素晴らしい出来である。 ワルターならコロンビア響よりウィ...

    [続きを読む](2011.04.23)
  • モーツァルトの運命交響曲 交響曲第40番の第1楽章は、クラシック・ファンならずとも誰もが一度は耳にしたことがあるに違いない。あの哀愁漂う美しい主題は、モーツァルトの書いた数ある名旋律の中でも『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』と並んで最も知られているものであり、世界中の人から愛されている。この曲をテーマにした文章がこれまでにいったいどれだけ書かれたことだろう...

    [続きを読む](2011.04.18)
  •  カール・ベームの指揮法の秘密に迫り、独自の個性をいい当てるような表現を探し、「こういうタイプの指揮者だ」と定義することは難しい。あえてそれを行おうとしても、最終的には自ずから平凡な、ほかの巨匠たちにもあてはまる次のフレーズに頼らざるを得なくなる。すなわち、「カール・ベームは本当に素晴らしい指揮者であり、真の音楽家であった」。 1894年8月28日、カール・...

    [続きを読む](2011.03.29)
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