モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」
2019.09.26
祝典音楽から交響曲へ
「ハフナー」は活力と躍動感にあふれた傑作である。明るい雰囲気が支配的で、陰翳もあるが暗さや切なさのなかに沈むことは全くない。音楽は輝きながら、迷いなく、勢いよく前進する。もともとは祝典のために書かれたという事情も大いに影響しているのだろう。
作曲の経緯はやや入り組んでいる。モーツァルトはまず1776年にザルツブルクのハフナー家の結婚式のためにセレナードを作曲した。これがいわゆる「ハフナー・セレナード」だ。その後、1782年に父レオポルトに依頼され、再びセレナード(「第2ハフナー・セレナード」と呼ぶことにする)を作曲することになった。今度はジークムント・ハフナー2世の爵位授与式のためである。モーツァルトは作曲が遅れる言い訳をしつつ、急いで筆を進め、父親に自筆譜を送った。
翌年(1783年)、モーツァルトはこれを演奏会用に新しい交響曲として書き直すことにし、父親から自筆譜を送り返してもらった。「第2ハフナー・セレナード」が作曲されたのは1782年7月末から8月頭、そして自筆譜が手元に戻ったのは1783年2月上旬と見られるので、半年ぶりに自作と「再会」したことになる。作曲した当の本人は、返却された自筆譜を見てその出来ばえに驚いたという(1783年2月15日の手紙)。これに手を加え、4楽章構成の交響曲にするのにはさほど手間はかからなかったものと思われる。
1782年といえば、ザルツブルクを出てウィーンを拠点としてから間もない頃であり、オペラ『後宮からの逃走』で人気作曲家の仲間入りをし、コンスタンツェと結婚し、公私ともに概して順調だった頃である。ハフナー交響曲にもそんな彼の華々しい人生の雰囲気が投影されているようだ。初演は1783年3月23日に作曲者の指揮で行われ、成功を収めた。その場には皇帝ヨーゼフ2世も臨席し、モーツァルトに拍手を送った。
第1楽章はアレグロ・コン・スピーリト。オクターヴの跳躍と行進曲風のリズムが印象的な主題(単一主題)で勢いよく始まり、力強さと躍動感を示す。この主題はカノン風に扱われたり短調の陰翳を施されたりするが、その度に明朗な調子に戻り、時に加速し、華やかさを振りまいている。第2楽章はアンダンテ。のびやかで美しい第1主題とチャーミングな第2主題が織りなすエレガントな響きは、羽衣のように心地よい。第3楽章はメヌエット。明るく力強い主題とやわらかな旋律で編まれたトリオが絶妙の対照をなしている。第4楽章はプレスト。『後宮からの逃走』のオスミンのアリアを彷彿させる第1主題が奏でられ、スピード感をもって旋風のように疾駆する。第2主題も優美かつ軽快。時折顔を出す短調も冗談のように過ぎ去り、長調が圧倒的優勢となり、屈託なく明朗にコーダが響きわたる。
ハフナー交響曲に対位法が用いられているのは、J.S.バッハの影響だろう。ウィーンに住み始めて間もない頃、モーツァルトはバッハに惹かれ、楽譜を研究し、模倣していた。これは、この早熟の天才がまだ学ぶべきことがあることを知り、作曲家として次の段階に足を踏み入れたことを意味する。「前奏曲とフーガ K.394」もこの時期の作品だ。
先述したように、ハフナー交響曲の原曲は父親に依頼されて急いで作曲された「第2ハフナー・セレナード」であり、モーツァルト自身がその出来に驚いたと自賛している。恐るべき天才であるだけでなく、着実に実力をつけていたモーツァルトの長所がほとんどストレートに、複雑な思考や思惑を介在させずに奔出した作品と言える。序奏がないのも象徴的であり、第36番、第38番、第39番は序奏が付くようになる。
5年後の1788年には「ジュピター」までが作曲された。しかし、「ハフナー」のような交響曲は書かれることはなかった。私が思い出すのは、ウェーバーが『後宮からの逃走』を評した時の言葉だ。「私はこの作品の中に、誰一人取り戻すことのできない快活な青春時代を、そして、欠点を除去しようとすればたちまちのうちに逃げ去ってしまうあの魅力を見る」ーー奥深さが足りないという人は後期交響曲を聴けば良いのであり、「ハフナー」にそれを足したら「ハフナー」ではなくなるのである。
モーツァルトはこの作品をどう演奏してほしいか考えており、第1楽章は「まさに烈火のごとく」、第4楽章は「できるだけ速く」と望んだ。なおかつ豊かな響きに満ち、アンサンブルが美しい演奏であることが理想だ。私はジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団の演奏(1960年録音)でこの作品を知り、一時はよく聴いたが、「整然としすぎているのではないか」と思うようになり、しばらく距離を置いていた。しかしオーディオを良いものに変えて聴き直し、弦の熱気にふれて考えを改めた。これはモーツァルトが理想としたものを、指揮者がインスピレーションに頼らずに自力で追求した大変な熱演である。
ブルーノ・ワルターがニューヨーク・フィルを指揮した録音(1953年録音)もエキサイティングで、何度聴いても楽しめる。まるでモーツァルトのインスピレーションに導かれているかのようにテンポを揺らしていて、興趣が尽きない。面白いことに、アルトゥーロ・トスカニーニが同じオーケストラを指揮したもの(1929年録音)もインテンポにこだわらず、巧みにテンポを変化させ、潤いのある演奏を聴かせる。厳格なイメージが強いトスカニーニの優美な音楽性を伝える貴重な音源だ。
オットー・クレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団の組み合わせの録音(1960年録音)は「烈火のごとく」ではないが、この指揮者らしく木管の響かせ方が特徴的で、旋律が艶を帯びて美しく浮き上がってくるところが良い。ピエール・モントゥーが晩年に北ドイツ放送響を指揮したもの(1964年録音)も音色に色彩があって魅力的。第4楽章でテンポをぐっと落とすところも効果的だ。
(阿部十三)
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