音楽 CLASSIC

モーツァルト 弦楽四重奏曲第22番「プロシア王第2番」

2020.01.06
清澄なる労作

 モーツァルトの弦楽四重奏曲は全部で23作品あり、作曲された時期や背景によって次のように大きく分けられている。

第1番 1770年作曲
第2番〜第7番(ミラノ四重奏曲) 1772〜73年作曲
第8番〜第13番(ウィーン四重奏曲) 1773年作曲
第14番〜第19番(ハイドン四重奏曲) 1782〜83年作曲
第20番「ホフマイスター」 1786年作曲
第21番〜第23番(プロシア王四重奏曲) 1789〜90年作曲

 この中で第17番「狩」、第18番、第19番「不協和音」を含む〈ハイドン四重奏曲〉は演奏される機会が比較的多いが、〈プロシア王四重奏曲〉も傑作である。とくに、死の年の前年(1790年)に書かれた第22番「プロシア王第2番」には、この天才作曲家のエッセンスが詰まっていて、とびきりの美しさをたたえている。

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 もともと〈プロシア王四重奏曲〉は、その呼び名の通り、プロシア王フリードリヒ・ヴィルムヘルム2世に献呈することを目的として書かれたもので、当初は6作品を作曲する計画だった。ヴィルムヘルム2世はチェロを嗜んでいたので、作曲の際は、チェロを活躍させるよう配慮していた。しかし、モーツァルト自身の言葉によると、この弦楽四重奏曲は「骨の折れる仕事」だったようで、結局書き上げたのは3作までで、プロシア王への献呈を断念し、お金を工面するために、二束三文で売り払ってしまった。

 1790年はモーツァルトにしては作品数が少なく、年表の面だけで言うと、同年1月に『コジ・ファン・トゥッテ』が上演されてからは、ほとんど作曲の方が停滞しているように見える。それほどまでに弦楽四重奏曲第22番と第23番(第21番は1789年に完成)に頭を悩ませていたのか、あるいは、ほかに理由があったのか。この時点では、まだチェロを単独に扱うことに慣れていなかったために時間がかかったと考えることもできる。

 作曲だけに集中できれば、そこまで時間がかからなかったかもしれないが、そういうわけには行かなかった。当時、脚を悪くした妻コンスタンツェの療養のため、モーツァルトは借金を重ねており、裕福なミヒャエル・プフベルクに援助を乞い、また、借金返済の延期を頼んだりしている。生活苦という現実がのしかかっていたのだ。

 そういう意味では、1790年5月に完成した第22番は労作である。労作とはいっても、血や汗のにおいがするわけではない。縫い目の見えない織物のように、苦労のあとは取り除かれている。自動筆記のように書かれた作品は、無垢で汚れを知らないが、第22番はそういうものではない。ここにあるのは苦しみや葛藤を経た清澄さであり、何事も静観するような落ち着きであり、それを聴き手に伝える超絶的な作為である。

 第1楽章はアレグロ。やわらかな衣が折り重なってゆくような美しい第1主題がこの作品の雰囲気を決定する。手に掴もうとしても掴めない幻影のようだ。主題が様々に表情を変え、時折影がさすが、優雅に舞うような流れは損なわれない。第2楽章はラルゲット。冒頭でチェロと第2ヴァイオリンが奏でる主題は、翌年書かれるピアノ協奏曲第27番の第2楽章の主題を思わせる。ここでチェロを目立たせているのはプロシア王を意識してのことだろう。第3楽章はメヌエット モデラート。楽しげなメヌエットの後、長めのトリオに入るのだが、半音階的な箇所が穏やかならぬ印象を残す。第4楽章はアレグロ・アッサイ。ロンド風の構成で、一つの主題が多彩なヴァリエーションを見せ、時に対位法的に扱われる。この主題はハイドンの弦楽四重奏曲第38番の終楽章の主題に似ている。

 第2楽章に限らず、曲全体を通して、翌年初めに書き上げられたピアノ協奏曲第27番の楽想が浮かんでくる。この時期に書かれたモーツァルトの一部の作品に見られる、驚異的とも言える清澄さが、そのように思わせるのかもしれない。こういう作品の演奏には、やはり軽やかさと優雅さが求められる。先ほど冒頭の主題について、やわらかに衣が折り重なるようだと表現したのは、私が「そのように演奏してほしい」と思っているからにほかならない。平板な演奏は聴いていられないが、必要以上に濃厚になったり、ヴァイオリンの響きを鋭く強調したりするような表現もふさわしくない。

 ハーゲン弦楽四重奏団の演奏(1986年録音)は、冒頭の主題のやわらかで艶のある響きから引き込まれる。フレージングは細かく計算されているし、強弱や陰翳の付け方もうまいが、それがやりすぎた感じにならず、あくまでも献身的にこの音楽の魅力を伝えることに徹している印象だ。

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 古い録音では、パスカル四重奏団の演奏(1952年録音)がきびきびしていて活力がある。パレナン四重奏団の演奏(1957年録音)は抒情味に溢れた第2楽章が味わい深い。第3楽章ではチェロの響きを巧みに強調しているのが効果的で、アンサンブルに奥行きが感じられる。それでいて愛らしさもある。ただ、どちらの録音についても、第1楽章のフレージングがもう少し丁寧なら良いのに、という不満はある。
 モザイク四重奏団の演奏はアンサンブルが緊密で、コントラストがはっきりしている。作品の構造が浮き上がってくるようで、第3楽章は面白かった。ライプツィヒ弦楽四重奏団の演奏(1998年録音)は巧まずに作品の世界に寄り添った名演奏で、清澄な響きを持ち、のびやかに旋律を歌わせている。
(阿部十三)


【関連サイト】
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調「プロシア王第2番」

【お薦めディスク】(掲載ジャケット:上から)
ハーゲン弦楽四重奏団
録音:1986年

パレナン四重奏団
録音:1957年

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