「モーツァルト」と一致するもの

  • フィナーレまで驚異の連続 モーツァルトの『フィガロの結婚』は、1785年から1786年にかけて作曲され、1786年5月1日にウィーンのブルク劇場で初演された。その時は9回上演されただけで打ち切られたが、1787年にプラハで成功を収め、1789年にウィーンで再演された。それ以来、定番の演目として人々に親しまれるようになった。原作は1778年に書かれたボーマルシ...

    [続きを読む](2024.09.06)
  • 名門オーケストラを42年間率いる ユージン・オーマンディはフィラデルフィア管弦楽団を42年間率いた名指揮者である。生前は人気があり、数多くの録音を遺し、豊麗なフィラデルフィア・サウンドで音楽ファンを虜にした。レコードのセールス面ではレナード・バーンスタインを凌いでいたという。日本でも一時はオーマンディの録音が出回っており、私などの世代にとっては、クラシック音...

    [続きを読む](2024.06.10)
  • 特別な雰囲気 クララ・ハスキルはルーマニア出身のピアニストで、モーツァルト弾きとして定評があった。幼少期から才能を発揮していたが、病気等に悩まされて思うようにキャリアを積めず、実際に大きな注目を浴びたのは戦後、50歳を過ぎてからのことだった。 ハスキルのピアノの特徴を一言で表現するのは難しい。あっと言わせるような解釈があるわけでも、絢爛たる技巧があるわけでも...

    [続きを読む](2024.02.06)
  • モーツァルト神話の一つ 1783年7月、モーツァルトは妻コンスタンツェを連れて故郷ザルツブルクへ行き、3ヶ月滞在した。そして10月末、ウィーンに戻る途中でリンツに立ち寄った。逗留先はトゥーン=ホーエンシュタイン伯爵邸である。そこでどんな話があったのか詳しいことは分からないが、当地で催される演奏会のために、急遽、交響曲を書くことになった。「交響曲が1曲も手元に...

    [続きを読む](2024.01.08)
  • エラール・ピアノが可能にした表現 ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」は1803年から1804年にかけて作曲された。この時期、ベートーヴェンの創造意欲はとどまるところを知らず、ピアノ協奏曲第3番、クロイツェル・ソナタ、交響曲第3番「英雄」、三重協奏曲など、傑作を次々と生み出していた。どの作品にも情熱と革新性がみなぎっていて、強い個性を放っている。音楽そ...

    [続きを読む](2023.09.05)
  • 装飾を削ぎ落とした短調の協奏曲 モーツァルトのピアノ協奏曲第24番は1786年3月24日に書き上げられ、同年4月7日にウィーンでの予約演奏会で初演された。調性はハ短調。この時期はピアノ協奏曲の収穫期で、1784年から1786年までの3年間で12作品(第14番から第25番まで)が書かれている。 第1楽章のカデンツァ、第2楽章、第3楽章のためのアインガングは作曲...

    [続きを読む](2023.06.09)
  • 「ひと汗かかせる」大協奏曲 モーツァルトのピアノ協奏曲第15番は1784年3月15日に完成し、同月24日の予約制演奏会で作曲者自身の独奏によって披露された。これまで書いてきたピアノ協奏曲に比べると、オーケストラの編成は大きく、管弦楽の響きが多彩になり、ピアノの難易度も「ひと汗かかせる」(作曲者の言葉)レベルにまで上がっている。この作品は先輩作曲家フランツ・ク...

    [続きを読む](2023.05.06)
  • 練習魔 天才のなかには練習嫌いが少なからずいるが、ルドルフ・ゼルキンは練習魔で、毎日何時間もピアノに向かっていた。まず非常に遅いテンポでスケール練習を行い、時間をかけて徐々にテンポを速め、最終的に最速で弾くのがお決まりだった。何度も演奏したことがある曲でも、手を抜かずに練習をくり返した。それはもはや練習というより、音楽に奉仕する儀式だったのかもしれない。グレ...

    [続きを読む](2023.02.04)
  • 森の中で歌うただ一羽の鳥 ヴァイオリンというものは、ここまで美しい音が出るのか。アルテュール・グリュミオーの録音を聴くたびに、そう思わされる。その音は艶やかでよく歌う。豊かな響きをもち、潤いがある。表現は端正で、貴族的と言いたくなるほど格調高い。切れ味はあるが、無理に力を入れて弾いているという印象がほとんどない。弟子のオーギュスタン・デュメイが伝えるところに...

    [続きを読む](2022.11.04)
  • 音楽で描かれた14人 エルガーの「ニムロッド」は、英国の式典や葬儀で頻繁に流れている有名曲だ。2012年のロンドン・オリンピック、2021年のフィリップ殿下の葬儀でも演奏されていた。ただ、もともとは祝典のための音楽でも、告別のための音楽でもない。家族や友人のことをイメージしながら書いた『エニグマ変奏曲』の第9変奏にあたる曲である。 『エニグマ変奏曲』は189...

    [続きを読む](2022.09.04)
  • 美しいメロディーがより美しくなる おなじみの作品が新鮮な魅力を放ったり、なじみのない作品が親しげに響いたとき、決して誇張ではなく、芸術の深い部分と調和したような気持ちになる。ペーター・マークはそういう感動を与える指揮者である。新鮮な魅力を放つといっても、それが単に奇を衒ったものなら二度聴けば飽きる。マークの指揮はそうではなく、独特の表現が全て音楽的に響くのだ...

    [続きを読む](2022.06.04)
  • 「彼女は心で歌うことを知っていた」 イルムガルト・ゼーフリートは、戦後のウィーンで活躍した「モーツァルト・アンサンブル」の一員である。オペラのみならず、リートやオラトリオでも高く評価されていた人で、かつて同じ舞台に立っていたエリザベート・シュヴァルツコップからは次のように賞賛されていた。「私たちは、皆、彼女のことを羨んでいました。私たちが苦心して身につけなけ...

    [続きを読む](2022.04.03)
  • 『フィガロの結婚』から「プラハ」へ モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」は1786年12月6日に完成し、1787年1月19日に作曲者自身の指揮によりプラハで初演された。当時、プラハでは歌劇『フィガロの結婚』が大流行し、モーツァルトは押しも押されぬ人気作曲家となっていた。初演は当然のごとく成功裡に終わり、後にモーツァルトが「幸せな一日だった」と回想するほど忘...

    [続きを読む](2022.02.05)
  • 才気煥発な音楽の化身 レナード・バーンスタインはアメリカが生んだ最初の世界的指揮者である。そのキャリアは華々しく、指揮者としてだけでなく、作曲家、ピアニスト、教育者としても大きな足跡を残した。派手な動きが多い指揮に関しては好き嫌いが分かれるが、そこから放たれる音楽の力は絶大なもので、多くの聴衆を魅了した。彼こそは才気煥発な音楽の化身、全身音楽家であった。 コ...

    [続きを読む](2022.01.04)
  • 協奏曲は軽快に、華麗に モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲は1929年から1931年にかけて作曲され、1932年1月14日、マルグリット・ロンの独奏により初演された。奇しくもラヴェルは1929年に「左手のためのピアノ協奏曲」を書くように依頼され、そちらの作曲も行っていた(完成したのは「左手」の方が早い)。これまでピアノ協奏曲を完成させたことのない作曲家が、晩年...

    [続きを読む](2021.09.03)
  • 美しい調和の音楽 モーツァルトのピアノ協奏曲第23番は美しい調和の音楽である。耳を傾けていると、世界の調和、感情の調和のなかにいるような心地を覚える。アンドレ・ジイドが日記に書いた「モーツァルトのよろこびは清らかに澄み渡っている。音楽のフレーズは、物静かな想いのようだ。その単純さは純粋さにほかならない」という言葉がそのまま当てはまる作品だ。明るいけど陽気すぎ...

    [続きを読む](2021.05.01)
  •  現代音楽を得意とする指揮者には、総じて知的でクールなイメージがある。彼らが古典派やロマン派の作品を振ると、大抵の場合、音楽の細かい構造が透けて見えるような演奏になる。もやもやしたものが取り除かれ、分かりにくいと感じていたものが分かりやすくなり、クリアーに全体像が見えてくるのだ。 もっとも、明晰で分かりやすい演奏というだけではじきに飽きが来る。我々が音楽に求...

    [続きを読む](2021.04.03)
  • 二十代のたくましい表現力 ベートーヴェンの交響曲とピアノ協奏曲は、第1番と第2番が古典派らしい優美さと明るさを持つ点で共通している。両作品ではこの作曲家の独創性はまだ表面化しておらず、第3番以降の作品よりも影が薄い。作風もアイディアも穏健で、激しい叫びも胸を潰すような重さもない。しかし、これらは旋律とリズムの力のみで勝負していた青春時代のたくましい表現力の結...

    [続きを読む](2021.03.03)
  • リヒテルのプロフィール 1955年、戦後初めて鉄のカーテンを越えて訪米したソ連のピアニスト、エミール・ギレリスは、各地でセンセーションを巻き起こし、絶賛された時、こう言ったという。「私のことを褒めるのは、リヒテルの演奏を聴くまで待ってください」ーーこれはギレリスの人柄を表すエピソードであり、2人の優劣を示すものではないが、この発言から西側におけるリヒテル伝説...

    [続きを読む](2021.01.08)
  • 世界で最も有名な小夜曲 モーツァルトの音楽の中でも特に有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、1787年に作曲された。完成したのは同年8月10日。つまり、キャリアの後期に書かれた作品である。 この名称は、モーツァルト自身が自作目録に記載したもので、日本語に訳すと「小夜曲」となる。もともとは5つの楽章で構成されていたようだが、何らかの理由でメヌエットの一...

    [続きを読む](2020.11.10)
2 3 4 5 6