音楽 CLASSIC

モーツァルト ピアノ協奏曲第15番

2023.05.06
「ひと汗かかせる」大協奏曲

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 モーツァルトのピアノ協奏曲第15番は1784年3月15日に完成し、同月24日の予約制演奏会で作曲者自身の独奏によって披露された。これまで書いてきたピアノ協奏曲に比べると、オーケストラの編成は大きく、管弦楽の響きが多彩になり、ピアノの難易度も「ひと汗かかせる」(作曲者の言葉)レベルにまで上がっている。この作品は先輩作曲家フランツ・クサヴァー・リヒターに褒められたようで、モーツァルトは父レオポルト宛の手紙の中で、そのことを嬉しそうに報告し、第16番、第17番と共に「大協奏曲(grossen Concerten)」と呼んでいた。

 1784年、ウィーンで人気を集めていたモーツァルトは、今まで以上にあっと言わせるような作品を書きたいと情熱を燃やしていたに違いない。木管の合奏で開始されるという、当時としては斬新なアイディアを持ち込んでいるのも、そういった意欲のあらわれだろう。ピアノ協奏曲であるにもかかわらず、管楽器にピアノの伴奏以上の役割を与え、シンフォニックに響かせているところも近代的だ。表面上は明るくて人懐っこいが、実は革新的な作品なのである。

 第1楽章はアレグロ。ユニークで愛らしい第1主題が木管によって提示される。弦楽器が奏でる第2主題は穏やかで美しい。ピアノは華やかなアインガングをもって登場し、第1主題〜推移部〜第2主題と淀みなく流麗に進行する。展開部ではピアノの活躍が目立ち、小刻みに動きながら表情を変化させる。高揚感が頂点に達するのは170小節から177小節までの経過句で、ここの3連符は巧みに演奏するのが難しい。繰り返される緩急の対比が印象的なカデンツァは、モーツァルト自身によるものだ。

 第2楽章はアンダンテ。弦楽器が奏でるやさしい主題は、第1楽章の第2主題を基にしたもので、これが反復され、変奏曲のように繰り返される。2回目の反復では、ピアノによる分散和音の音型と主題の音型が美しい対比をみせるが、それ以上に美しいのは3回目の反復で、管楽器が加わることで水彩的な色合いが醸される。なお、この主題については、ハイドンの交響曲第75番の第2楽章(こちらも変奏曲形式)との類似が研究者によって指摘されている。

 第3楽章はアレグロ。軽快なロンドで、活気に満ちている。いかにもモーツァルトらしい明るいロンド主題がはじめに提示され、異なる旋律を織り交ぜながら進行し、主部を終える。その後、躍動的なアインガングを挟んで中間部へ。入り組んだ展開をみせるが、やがてピアノと木管の対話が始まり、再び主部に戻る。ただし、型どおりには進まない。コーダも独特で、いつ終わるか分からないようなそぶりを見せたり、ピアニッシモで静かに終わるように思わせたりした後、突如盛り上げてフォルテで締めくくる。

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 定番のモーツァルトの人気作品ベスト10には入らないかもしれないが、私なら躊躇なく入れる。オーボエとファゴットが奏でる冒頭の主題がまず魅力的だ。肩の力が抜けていて、愛嬌と気品がある。初めて聴いた時、私はおそらく18世紀の観客がそうであったように意表をつかれ、心を掴まれた。以来、ずっと聴き続けている。音源も、コンサートも、演奏家の有名無名に関係なく聴いてきた。しかし、心から楽しめる演奏は少ない。技術的に優れているものでも、「これはいい」と思って聴いていると、テンポが速すぎてほとんど一本調子になっていたり、強弱の表現が曖昧でフレーズの輪郭がぼやけていたりして、がっかりさせられる(特に第1楽章の展開部)。ピアノは良いのにオーケストラがもたついていることもある。

 第15番の演奏回数が史上最も多いピアニストが誰なのかは分からないが、音源の量に関しては、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが一位である。リリースされた録音は9種類。スタジオ録音だと、エットーレ・グラチス(1947年、1951年録音)の指揮で2種。ライヴ録音だと、マリオ・ロッシ(1955年録音)、ヘルマン・シェルヘン(1956年録音)、アントワーヌ・ド・バヴィエ(1956年録音)、フランコ・カラッチョーロ(1963年録音)、エドモンド・デ・シュトウツ(1974年録音)、モーシェ・アツモン(1975年録音)、コード・ガーベン(1990年録音)の指揮でそれぞれ1種という具合だ。しかし残念なことに、大半の音質は悪い。音質良好な1990年盤は、指揮が冴えず、オーケストラをコントロールしきれていない。これらの中では、シュトウツと組んだ1974年盤が音質も演奏も良く、粒立った音と抜群のテクニックを堪能することができる。ライヴということもあり、音の鳴らし方は総じて強めだが、ミケランジェリらしい流麗なピアニズムは損なわれていない。第2楽章のゆったりとしたフレーズを奏でる時の強弱の付け方もうまい。

 アナトリー・ヴェデルニコフ盤(1971年録音)は硬軟自在のタッチが素晴らしく、音の響きに清潔感がある。疾走感のあるパッセージでも混濁せず、第1楽章の展開部のリズムもフレーズもすっきり整理されている。ただ、第2楽章の反復が始まってからはリズムがやや単調で、音自体は美しいが、フレージングが杓子定規なものに感じられる。イングリッド・ヘブラー盤(1964年録音)のピアノは明るくて優しい。緩急強弱の誇張がなく、上品な雰囲気に包まれている。しかし指揮のコリン・デイヴィスの唸り声が入っていて気になる。

 ルドルフ・ゼルキン盤(1985年録音)は晩年の演奏なので技術的にたどたどしいが、第2楽章の無垢で柔らかなピアノの音は心に深くしみる。クラウディオ・アバドのサポートも献身的だ。ピーター・ゼルキン盤(1973年録音)はピアノのアゴーギクがやや散漫で、フレージングもあまり美しくないが、第3楽章になると別人のように活気づいて精彩を帯びる。曲全体のクライマックスをこの楽章に持ってきたのだろう。デジュー・ラーンキ盤(1983年録音)はペダルが控えめで、ピアノの音はやや乾いているが、フレーズを紡ぐ手際は繊細で、疾走感もある。管弦楽の音のバランスも良く、ピアノとの美しい対話を楽しめる。

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 レナード・バーンスタインによる弾き振りは、ウィーン・フィル盤(1967年録音)とコロンビア響(1956年録音)の2種ある。前者はこの作品をウィーン・フィルのアンサンブルで味わえる貴重な録音だが、ピアノの演奏にいまひとつ生気がない。よそ行きの装いで美しく弾こうとしすぎていて、活力が削がれている印象がある。後者はニュアンス豊かな演奏で、デュナーミクの変化の付け方が細かい(燻されたような木管の音色も心地よい)。第2楽章は遅めのテンポで、静と動の対比を明確にしている。ペーター・フランクル盤(1965年録音)はピアノの音に深みがあり、やさしいタッチだが、しっかりと響く。アンサンブルにも精彩があり、特に木管の響きが素朴で味わい深い。第2楽章には古雅な趣すらある。第3楽章は皆で楽しみながら演奏しているような印象で、強引さのかけらもない表現の中で旋律が生き生きと弾んでいる。欲を言えば第1楽章の展開部にもう少し流麗な美しさがほしいが、それも無い物ねだりかもしれない。
(阿部十三)


【関連サイト】
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
[1756.1.27-1791.12.5]
ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450

【お薦めの録音】(掲載ジャケット:上から)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)
エドモンド・デ・シュトウツ指揮
チューリッヒ室内管弦楽団
録音:1974年(ライヴ)

デジュー・ラーンキ(p)
ヤーノシュ・ローラ指揮
フランツ・リスト室内管弦楽団
録音:1983年頃

ペーター・フランクル(p)
イェルク・フェルバー指揮
ヴュルテンベルク室内管弦楽団
録音:1965年

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