音楽 POP/ROCK

クレール・ダスタ 「枯葉によせて」

2016.03.12
クレール・ダスタ
「枯葉によせて」
(1981年)


 「枯葉によせて」の原題は「プレヴェールの歌(La Chanson de Prévert)」。セルジュ・ゲンズブールが1960年頃に作詞作曲したもので、もともとはゲンズブール自身とミシェル・アルノーが歌っていた。当時のゲンズブールはまだフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」も「アニーとボンボン」も書いておらず、「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」をブリジット・バルドーやジェーン・バーキンと歌ってもいないし、「ナチロック」でスキャンダルを起こしてもいない。ぶっ飛んだ不良中年になる前の作品である。

 これを発表するにあたり、まだ30代前半だったゲンズブールが、ジャック・プレヴェールに名前の使用許可をとりに行ったという話は、ゲンズブール・ファンにはおなじみだろう。

「彼は私を家に入れてくれた。朝の十時だったが、彼はシャンペンを飲んでいたよ。彼は私に言った。『お若いの、そりゃあいいことじゃないか!』それで、私が恥ずかしそうに書類を差し出すと、彼はサインしてくれた」
(ジル・ヴェルラン『ゲンスブールまたは出口なしの愛』※)

 この曲はいわばゲンズブールのスタンダード・ナンバーのような存在で、多くの歌手によってカバーされている。リバイバルのきっかけとなったのは、1981年にクレール・ダスタが録音したレコード。ダスタはミシェル・マロリーに認められた繊細な美声を持つ歌手で、一時注目を集めていた。第11回東京音楽祭世界大会に参加したこともあり(金賞受賞)、日本でも彼女の歌声を通じて曲になじんだ人はたくさんいるはずだ。アレンジも歌声も清涼で耳に心地よく、ゲンズブールやアルノーが醸し出す大人のムードとは対照的である。

 歌詞は失われた恋の思い出を綴ったもので、「君」のお気に入りだったシャンソンがキーワードになっている。そのシャンソンとはジャック・プレヴェールとジョゼフ・コスマによる「枯葉」だ。これが恋の思い出と結びついているため、歌の主人公は毎年「枯葉の季節が来るたびに君のことを思い出す」。ほかの人たちと恋を重ねても、枯葉を見ると必ず「君」との思い出にとらわれる。できれば過去の恋なんか忘れたい。だから主人公は「秋が過ぎ去って、冬が来てほしい」と思っている。そして、「プレヴェールの歌にも去ってほしい」と。このように歌われた後、「枯葉」の歌が自分の記憶から消える日こそ、「死んだ恋が完全に死ぬのだ」と結ばれる。

 才人ぶりがうかがえる美しい歌詞とメロディーである。ここにゲンズブールは新しいシャンソンの担い手としての挑戦心をさりげなく込めた。シャンソンといえば「枯葉」を思い浮かべる人は今でも多いだろうが、当時はその比ではなかったに違いない。戦前から誰もが知る詩人プレヴェール。その巨大な存在を越えることを、ゲンズブールらしいナイーヴな表現で宣言している。

 だからといって、偉大な先人たちを不要とみなしていたわけではない。ゲンズブールといえば、その革新的な音楽性と挑発的な言動ゆえ、スキャンダラスなイメージが定着しているが、根っこの部分では過去の芸術としっかりつながっていた。伝統を革新しながら繋げていくこの20世紀の天才が目指すものはどこにあったのか。それは「私はランボオに追いつくように努力する、彼に近づきたい」という言葉が示している。

 ゲンズブールは文学にもクラシック音楽にも通暁し、そういった素養を誰にも真似できないやり方で自分の楽曲に活かしていた。その仕事は卓越した審美眼がなければ成り立たない。プレヴェールの詩を踏まえて作られたこの曲も然りだ。ゲンズブールの中にあったのは、先人を越えるだけでなく、新しい世代の自分の作品によって、先人の作品の生命を取り込もうとする力強い気概だった、とも言える。事実、「枯葉によせて」が聴かれ続ける限り、私たちが「枯葉」を忘れることはない。そして歌の主人公が昔の恋を忘れる日も来ないのである。
(阿部十三)

※書名(邦題)は「ゲンスブール」表記だが、本文中は「ゲンズブール」表記に統一した。