音楽 POP/ROCK

ホイットニー・ヒューストン 「すべてをあなたに」

2011.06.05
ホイットニー・ヒューストン
「すべてをあなたに」
(1985年/全米No.1、全英No.1)

 そのスレンダーな肢体を活かしてモデル業に身を投じたホイットニー・ヒューストンは、言わばショウ・ビジネス界におけるサラブレッド的存在だった。ゴスペル・シンガーのシシー・ヒューストンを母に持ち、往年の人気シンガー、ディオンヌ・ワーウィックは従姉妹という血統書付き。幼少の頃からそうした音楽環境にあり、教会の聖歌隊で歌っていれば、自ずと喉が鍛えられる。故に、ややもすれば軽く見られがちのモデル上がりという経歴は、強靭な喉を駆使した彼女のヴォーカルによって雲散霧消した。ホイットニーは、デビュー当初から既にベテラン・シンガーの域に達していたと言えるだろう。

 鳴り物入りでデビューした感が強かったホイットニーだが、実は彼女のデビュー・アルバム『そよ風の贈りもの(原題:WHITNEY HOUSTON)』(1985)は、既発のデュエット・ナンバーとカヴァー曲が大半を占めていたため、当時、ある種の詰め込み感は否めなかった。何しろ、同アルバムから生まれた3曲もの全米No.1ヒット曲ーー「すべてをあなたに(原題:Saving All My Love For You)」「恋は手さぐり(原題:How Will I Know)」「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール(原題:Greatest Love Of All)」ーーのうち2曲がカヴァーなのである。「すべてをあなたに」は、夫婦デュオのビリー・デイヴィス・Jr.&マリリン・マックーがオリジナルで、1978年リリースの『MARILYN & BILLY』に収録されているが、当時、シングル・カットさえされなかった地味な曲。もともと夫婦デュオ名義の楽曲でありながら、実際にはマリリンの独唱だったため、ソロ・シンガーのホイットニーが無理なくカヴァーできたことにもうなずける。

 この曲をレコーディングした時のホイットニーは、まだ二十歳前後。なのに、不倫がテーマの「すべてをあなたに」をここまで情感豊かに歌い切れたのは、やはりその歌唱力に負うところが大きい。但し、典型的なステージ・ママである彼女の母親が、当初この曲を娘がレコーディングするのに難色を示したというエピソードが残っている。「歌詞の内容が娘の年齢にはそぐわない」と。しかしながら、ソングライター/プロデューサーのマイケル・マッサーが、彼自身が綴った地味なこの曲を昔の音源倉庫から発掘するかの如くホイットニーに聴かせ、レコーディングを促したところ、意外なことにすんなりと承知したという。そしてホイットニーはものの見事に不倫に苦しむ女心を行間に滲ませて歌い、全米No.1の栄光を勝ち取ったのである。

 特に印象深いフレーズは、「あなたは駆け落ちしようと私によくそう言っていたのに、あれは口先だけだったのね」。女性が不倫相手の男性を責めている言葉だ。いつの時代も不倫に身を費やす男性はご都合主義に陥り易いものらしい。筆者は過去に、あるTVドラマでこの曲が普通の恋人同士のラヴ・シーンのBGMとして使用されているのを実際に耳にした記憶がある。また、友人の結婚式で流されたのを聴いたことも......。こんな使われ方をされては、懸命に日陰の女の心情を歌った若き日のホイットニーも浮かばれないだろう。
(泉山真奈美)

【関連サイト】
ホイットニー・ヒューストン
ホイットニー・ヒューストン『ULTIMATE COLLECTION』
【執筆者紹介】
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。