音楽 POP/ROCK

テンプテーションズ 「雨に願いを」

2013.08.11
テンプテーションズ
「雨に願いを」

(1967年/全米No.4)

 2013年の日本の気候、取り分け梅雨前後のそれが異常を超越して各地で尋常ならざる事態になっている。7月初旬に関東で早々に梅雨が明けて以来、酷暑(による熱中症患者)、豪雨(による甚大な被害)に関するニュースを見聞きしない日は一日たりともない。酷暑に見舞われている関東以南とは裏腹に、東北地方は冷夏の様相を呈しているという。異常気象はここ日本だけではないらしく、様々な海外ニュースを見ていると、やはり今夏は各国でも突出した異常気象に悩まされているようだ。

 これ以上、雨が降って欲しくない場所では追い打ちをかけるように更に雨が降り、雨が降らずに取水制限をせざるを得ない場所では無情にも雨が降らない日々が続く。そうした自然現象の不条理さに、日々、触れているうちに、ある曲が頭の中をよぎった。それが、このテンプテーションズ(以下テンプス)の大ヒット曲「雨に願いを(原題:I Wish It Would Rain)」(R&Bチャートでは3週間にわたってNo.1)である。内容を端的に言うなら〈雨乞いの歌〉であるが、もちろん、主人公は干ばつに悩む農夫ではない。では、何故に主人公の男性は〈雨が降ってくれないかなあ(原題の直訳)〉と思っているのだろうか?

 モータウンのお抱えソングライター/プロデューサーには、黄金期を支えたヒット曲メイカーが大勢いた。テンプスを始めとして、マーヴィン・ゲイやグラディス・ナイト&ザピップスらに多くのヒット曲をもたらしたバレット・ストロング&ノーマン・ウィットフィールド(2008年に死去)のコンビもそのひとつで、「雨に願いを」も彼らが手掛けている。が、他の曲と少し異なるのは、歌詞を綴ったロジャー・ペンザベネイ(ペンザベンとも)の実体験がそこに投影されている点だ。この曲が作られた当時、彼の奥さんが浮気をしており、そのことに身を裂かれるほど深く傷ついたペンザベネイは、「雨に願いを」のシングル盤のリリースから1週間後に自ら命を絶った。彼は狂おしいまでに妻を愛していたのだ。彼の心情を、当時テンプスのリード・ヴォーカルだったデイヴィッド・ラフィン(1991年に死去)は、喉が千切れんばかりに熱唱し、この曲を大ヒットに導いたのである。よもやペンザベネイが自害するとは夢にも思わずに臨んだレコーディングだっただろうが、当然、ラフィンは彼の苦悩を知っていたはずである。ラフィンが卓越したヴォーカルを聴かせるテンプスの曲は枚挙にいとまがないが、この「雨に願いを」のそれは、それらの曲の中でも彼の喉を極限まで使い切っていると思う。

 妻の浮気を知って、今にも大声で泣き叫びたい主人公だが、R&Bナンバーでよく見聞きするフレーズ♪A man ain't supposed to cry.(男は泣くもんじゃない)を用いて、自分の気持ちを抑え込もうとする。が、今にも涙腺が決壊しそうになっている彼は、〈雨降る中で泣いたら、誰も自分の涙に気付かないだろう〉と考え、雨乞いをするのだ。これと似たテーマを持つ有名なR&Bソングに、テンプス同様、男性ヴォーカル・グループ:ドラマティックスの有名曲「In The Rain」(1972年/R&Bチャートで4週間にわたってNo.1、全米No.5)というのがある。これも〈雨の中へ飛び出して行けば、自分が泣いてることに誰も気付かないだろう〉という内容だった。同曲が「雨に願いを」にインスパイアされたことは疑いの余地がない(歌詞にも酷似している箇所あり)。両者共に、雨粒と涙の見分けがつかない場所で男が思いっ切り泣きたい心境を歌い上げている。

 R&Bナンバーに限らず、洋楽ナンバーには、〈rain〉が登場する曲が多い。時には比喩的に用いられることもあり、ゴスペル・ナンバーならば、大抵の場合が〈神様が下さる恵みの雨〉なのだが、ラヴ・ソングでは、比喩的に〈困難〉を表すこともある。恐らく雨を困難に見立てるヒントとなったのは、『新約聖書』「マタイによる福音書」の第5章45節の有名な言葉〈The rain falls on the just and the unjust(雨は正しい者にも正しくない者にも降る。有徳の人物にも災難は降りかかる)〉であろう。『聖書』において、恵みの雨ではなく、雨=災難、困難を表す一節として、筆者にとっては忘れ難い箇所だ。

 〈俺の愛する彼女が他に男を作ってしまった。俺は思いっ切り泣きたいけれど、誰にも涙を見られたくない。だから太陽も青空もとっととどこかへ消え失せて、雨が降ってくれることを願う〉ーーこの曲には印象深いフレーズが複数あるが、そのうちのひとつが〈雨よ降れ、なんて言うと、みんなはおかしなことを口走ってると思うかも知れないけれど〉というもので、これとほぼ同じフレーズが先述のドラマティックスの「In The Rain」にも出てくる。恵みの雨がなければ農作物の成長に悪影響を被ってしまう農家の人々ならいざ知らず、一般人は何をするにも雨を疎ましいと思うものだ。みなさんも幼少の頃、運動会や遠足など、翌日に楽しい行事を控えている時にてるてる坊主を作った経験があるのではないだろうか。過日、開始以来、初めて中止になってしまった隅田川の花火大会を楽しみにしていた人々は、急に降り出した雨(俗に言うゲリラ豪雨のようだった)をさぞかし恨めしく思ったことだろう。だいぶ前だが、筆者も山下公園の花火大会を鑑賞中に霧雨が降ってきて、〈こんな時に限って......〉と、霧に煙るぼんやりとした花火を眺めながら恨めしく思ったものだ。

 「雨に願いを」のもうひとつの特徴は、メロディが「In The Rain」のようにマイナー調ではないことだ。仮に、楽しげなラヴ・ソングの歌詞に書き換えたなら、ハッピーな曲に聞こえるかも知れない。感動的な愛の讃歌に聞こえる可能性だってある(メロディとアレンジが素晴らしいから)。ところが、マイナー調のメロディではないことが、却って「雨に願いを」に漂う男の悲哀を引き立てている、と気付いたのは、ずっと後年になってからのこと。ラフィンのリード・ヴォーカルの素晴らしさも然ることながら、テンプスの他のメンバーたちのそれぞれの声の特徴を活かしたバックグラウンド・コーラスもこの曲には不可欠だ。恐らく、5人のメンバー全員が、歌詞を作ったペンザベネイの苦悶を知っていたのだろう。そして彼は、自身の体験を綴ったこの曲が大ヒットするのを見届けることなく、この世を去った。余りにも哀れ過ぎるではないか。

 最近の洋楽ナンバーのラヴ・ソングを聴いていると、以前にも況してセックスがテーマの曲が増えている気がする。失恋ソングにしても、男も女も相手を想う細やかな感情が余り表現されておらず、単純な歌詞が多い。今から46年前、妻の浮気を嘆き悲しみ、その心情を歌詞に綴ることで自らを慰め、それでも耐え切れずにその悲しみから逃れるように自ら死を選んだひとりのソングライターがいたことを、筆者は忘れることができない。雨嫌いの筆者も、ときにはおしめり(死語か?)が欲しくなる。そういう時には、ラフィンの熱唱と共に、ペンザベネイが綴った悲哀の極致といったこの歌詞が、自然と脳裏に浮かぶのだ。
(泉山真奈美)


【関連サイト】
テンプテーションズ(CD)
【執筆者紹介】
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける(近著『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』)。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。