2011年5月アーカイブ

  •  飛行クラブでトップクラスの腕前を持つパイロットのマヌー(アラン・ドロン)と、彼の親友で新型エンジンの開発に熱中しているエンジニアのローラン(リノ・ヴァンチュラ)。そして2人の前に現れた芸術家の卵、レティシア(ジョアンナ・シムカス)。それぞれ夢に破れ、失意を味わった3人は、コンゴの海底に眠っているという5億フランの財宝を探すべく、冒険の旅に出る。 恋と友情と...

    [続きを読む](2011.05.30)
  •  市地洋子の女優としてのキャリアを一気に辿って行ったわけだが、観るためには決心が必要な作品もあった。彼女が一時〈安芸晶子〉と改名した時期に出演した『狼の紋章』(1973年)だ。原作は平井和正原作の小説で、高校生の狼男を描いている。狼男の高校生・犬神明は志垣太郎、敵役・羽黒獰は松田優作。本作は松田優作の映画デビュー作であり、学ラン姿で日本刀を携えて歩く彼が、冷...

    [続きを読む](2011.05.28)
  • 音色の変奏曲 モーリス・ラヴェルの『ボレロ』は、極めてユニークな手法で書かれた傑作として音楽史上特異な地位を占めている。管弦楽曲の醍醐味をここまで大胆かつわかりやすく明示した作品はほかにない。 曲の構成はいたってシンプル。一定のリズムが刻まれる中、ひたすら2つのメロディーが繰り返される。ただそれだけ。展開も何もない。変化するのは「音色」のみ。様々な楽器が代わ...

    [続きを読む](2011.05.28)
  •  ジャン・ルノワールほど善悪の基準というものを意に介さず人間という生き物を描き続けた監督はいない。人間は善悪で簡単に割り切れるものではない、と彼の作品は語っている。勧善懲悪もあり得ない。理屈よりも感情、道徳よりも官能、規律よりも解放、といった調子である。 ルノワールの映画はとにかく画が美しい。高名な画家である父オーギュスト・ルノワールの影響もあるのだろう。自...

    [続きを読む](2011.05.25)
  • 〜マカロニ・ウエスタンのサウンドトラックを中心に〜 聴けば聴く程、偉大さを思い知らされる。この原稿を書くにあたって改めて数々のサウンドトラックを聴いたり、映画を見直してみたのだが、ますます彼の音楽を探究したいという思いに駆られてしまった。 エンニオ・モリコーネ、1928年11月10日ローマ生まれ。父親はトランペット奏者で、幼い頃から音楽に親しんだ彼は、やがて...

    [続きを読む](2011.05.25)
  • 牢獄のような人生からの飛翔 今、カリンニコフの名前はどれくらい知られているのだろうか。同じ国のボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、チャイコフスキー、ラフマニノフといった人たちに比べると、圧倒的に知名度は劣るし、作品の数自体も少ない。かといってマイナーな作曲家かというと、そうとも言えない。彼の代表作である交響曲第1番は、1897年の初演時から好...

    [続きを読む](2011.05.21)
  •  恋は突然やって来る。恋は突然落ちるもの。僕の胸を焦がす美しい人の名前は、市地洋子。我ながら気色悪いテンションの書き出しだが......僕の恋は全く予期せぬ形で始まった。 ケーブルテレビを観ていると、懐かしい番組と再会することがよくある。僕の年代の男は、特撮ヒーロー番組をやっていると、恥ずかしながらついつい観てしまうのではないだろうか。ヒーローの活躍を楽しむ...

    [続きを読む](2011.05.21)
  •  1934年にジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『白き処女地』『地の果てを行く』で注目されてから、1976年に72歳で亡くなるまで、ジャン・ギャバンほどフランスで愛された俳優はいない。彼がカメラの前に立つと、それだけで周囲のキャストは霞んでしまう。例えば『地下室のメロディ』。あの大スター、アラン・ドロンでさえギャバンと並んで立っていると青二才に見える。ドロンよ...

    [続きを読む](2011.05.20)
  •  なめらかなカメラワークと洗練されたカットでヌーヴェルヴァーグの監督たちを魅了した才人、マックス・オフュルス。彼もまた先輩エルンスト・ルビッチと同じく、ナチス以前のモダンだった頃のドイツ映画界で修練を積んだ人である。その演出スタイルはルビッチに勝るとも劣らずエレガント。単にうまいだけでなく、鳥肌が立つほどうまい。 彼はワンカットに己の美学を注ぎ込む。それでい...

    [続きを読む](2011.05.15)
  •  生活は一大疑問なり、尊きは王公より下乞食に至るまで、如何にして金銭を得、如何にして食を需(もと)め、如何にして楽み、如何にして悲み、楽は如何、苦は如何、何に依ってか希望、何に仍てか絶望。是の篇記する處、専らに記者が最暗黒裏生活の実験談にして、慈神に見捨られて貧兒となりし朝、日光の温袍(おんぽう)を避けて暗黒寒飢の窟に入りし夕。彼れ暗黒に入り彼れ貧兒と伍し、...

    [続きを読む](2011.05.14)
  • 青春のソング・ブック モーツァルトのオペラでまず有名なのは『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』。これらはモーツァルトの三大オペラと呼ばれている。が、メロディーメーカーとしての彼のセンスが最も意気盛んに爆発しているのは『後宮からの誘拐』である。このオペラの中に織り込まれた20曲あまりの歌は、どれも表情豊かで美しい旋律によって編まれており、ポピュラー...

    [続きを読む](2011.05.13)
  •  「神は滅亡を願う時、まず人を狂人にする」(エウリピデス) 精神病院で起こった殺人事件の犯人を探すべく、精神異常者になりすまして潜入捜査をはじめた新聞記者ジョニー・バレット。これがうまくいけばピュリッツアー賞も間違いないと名誉欲に燃える彼だったが、患者たちと生活を共にするうちに、徐々に精神の均衡を失い、狂気の道へと足を踏み入れてゆく......。 ...

    [続きを読む](2011.05.10)
  •  クナッパーツブッシュが作り出す音楽は構えが大きい。テンポは概して遅め。しかし緊張感を失うことはない。響きは重厚でがっしりとしているが、時折えもいわれぬ透明感を帯び、聴き手に息を呑ませる。 スタジオ録音の代表盤は、ワーグナーの『ワルキューレ第一幕』『ヴェーゼンドンク歌曲集』、コムツァーク2世の「バーデン娘」などが入った名演集。全てオーケストラはウィーン・フィ...

    [続きを読む](2011.05.10)
  •  ハンス・クナッパーツブッシュは1888年3月12日、ドイツのエルバーフェルトに生まれた。幼い頃から音楽に親しみ、12歳の時に児童オーケストラを指揮、いつしかオペラ指揮者を夢見るようになる。親からは音楽の道に進むことを反対されるが、1908年、ボン大学で学業を修めることを条件に、ケルン音楽院に通う許しを得る。音楽院ではブラームスと親交のあったフリッツ・シュタ...

    [続きを読む](2011.05.10)
  •  豪放磊落な巨人、クナッパーツブッシュに関するエピソードはたくさんある。そのうち最も広く知られているのは、練習嫌いのクナ(クナッパーツブッシュの愛称)が本番当日になってようやくリハーサルにやって来て、オーケストラに挨拶をした後、「この作品は皆よく知っている。私も知っている。ではまた夕方お会いしましょう」といい残して去ったという話だろう。「練習嫌いってことは怠...

    [続きを読む](2011.05.10)
  •  師走の寒空にジャンバーを頭から被り、まるで路に転がる死体のように眠る人々がいる。街全体が寝静まった丑三つ時に給食で余った牛乳を啜り、飲食店の残飯を漁って飢えを凌ぐ人々がいる。祭りで賑わう下町で、目を白く濁らせ襤褸を纏い周囲に悪臭を漂わせながら浮腫んだ足で徘徊する人々がいる。人気の無い金融機関のATMコーナーや古びた雑居ビルの片隅、マンションのエントランス等...

    [続きを読む](2011.05.07)
  • ザ・スミス『ザ・クイーン・イズ・デッド』1986年発表 結成から解散まで僅か5年間でその寿命は尽きた。しかしザ・スミスは80年代はおろか史上最もオリジナルで重要なロックバンドのひとつである。そして、サード・アルバム『ザ・クイーン・イズ・デッド』が彼らの最高傑作であることも、疑いようのない史実だ。 そもそも80年代という時代について、昨今のリバイバルの目線から...

    [続きを読む](2011.05.07)
  •  「フランス映画=アンハッピーエンド」のイメージが日本で定着したのは1930年代のことである。そのアンハッピーなフランス映画の代表的な監督として人気を博していたのがジュリアン・デュヴィヴィエだ。人生に疲れを感じた時、その作品は強いお酒のように胸にしみる。 デュヴィヴィエはジャン・ギャバンを育てた人でもある。このコンビは、日本でいえば黒澤明と三船敏郎のようなも...

    [続きを読む](2011.05.05)
  • 20世紀のグレゴリオ聖歌 レクイエムというと、なんとなく縁起でもないことや異界的なものを思い浮かべてしまう人が一般的には多いようだ。おそらく「死者のためのミサ曲」とか「鎮魂曲」といった訳語がそんな連想を引き起こすのだろう。 しかし、本来レクイエムとは近寄りがたいものでも何でもなく、もっと実際的な効能を持つ音楽なのである。「死者のためのミサ曲」は、「死者に捧げ...

    [続きを読む](2011.05.02)