音楽 CLASSIC

カリンニコフ 交響曲第1番

2011.05.21
牢獄のような人生からの飛翔

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 今、カリンニコフの名前はどれくらい知られているのだろうか。同じ国のボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、チャイコフスキー、ラフマニノフといった人たちに比べると、圧倒的に知名度は劣るし、作品の数自体も少ない。かといってマイナーな作曲家かというと、そうとも言えない。彼の代表作である交響曲第1番は、1897年の初演時から好評だったし、わが国にも1925年に紹介されて以来、たびたびコンサートで取り上げられており、愛好者も非常に多い。しかし、おそらく読者の中にはまだよく知らないという方もいると思うので、彼のプロフィールからざっと追ってみたいと思う。

 ヴァシーリイ・セルゲエヴィチ・カリンニコフは、1866年1月13日にロシアのオリョール州ヴォイナで生まれた。聖職者の一族だったため、当初は神学校に通っていたが、音楽好きの父親の影響でヴァイオリンを習いはじめ、1884年にモスクワ音楽院の初等科に入学。しかし学費が払えず、すぐに退学した。その後、モスクワ・フィルハーモニー協会音楽・演劇学校に入り、勉強する傍ら、劇場オーケストラでヴァイオリン、ファゴット、ティンパニを務めていた。まるで何でも屋である。この時期は極貧状態で、かなり無理をしていたらしい。1892年、チャイコフスキーに才能を認められて劇場の指揮者に就任したものの、長年の貧困生活がたたって結核を患い、療養のため南クリミアへ。せっかくの職も辞さざるを得なくなる。おまけに身を削って書いた交響曲第1番のスコアを、大先輩のリムスキー=コルサコフに(他人が写譜した譜面に問題があったため誤解を招き)酷評されてしまう。しかし1897年2月、理解ある音楽仲間の働きで交響曲第1番の初演が実現。大成功をおさめ、ようやく運が向いてきた......と思われたが、病状は回復せず、1901年の1月11日、35歳の誕生日を目前にしてヤルタで亡くなった。

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 豊かな才能を持った芸術家が報われない人生を送る例は珍しくない。それにしてもカリンニコフの生涯は、ささやかな幸福の瞬間がいくらかはあったにせよ、大部分が極度の貧困と病魔という、まるでドストエフスキーの小説世界を地でいくような暗いトーンで覆われている。にもかかわらず、シューベルトと同様、その苦しい実生活とは一見相容れないような美しい音楽を書き残しているのだ。その筆頭に挙げられるのが、交響曲第1番ト短調である。こういう作品を聴いていると、牢獄のような人生の鉄格子をすりぬけて、自由に、高く飛翔してゆくイマジネーションの神秘に思いを馳せたくなる。とくに有名な第1楽章の第2主題は、切ないほどノスタルジックで、憧れの感情に満ちている。ほかにも民謡風の印象的なメロディーがちりばめられており、それでいて散漫な印象を与えない。天才の筆が冴えている。フィナーレもドラマティックで感動的だ。

 録音では、聴かせるツボを心得たエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮&ソヴィエト国立交響楽団による、力強く引き締まった、目の覚めるような大熱演がある。これに慣れてしまうとほかの演奏では満足できなくなるだろう。
 一時期NAXOSでベストセラーとなり、カリンニコフ再評価の機運を作ったテオドレ・クチャル指揮&ウクライナ国立交響楽団の録音も良い。均整のとれた演奏で、作品の全体像を把握するのにうってつけだ。

【関連サイト】
カリンニコフ 交響曲第1番(CD)
ヴァシーリイ・セルゲエヴィチ・カリンニコフ
[1866.1.13-1901.1.11]
交響曲第1番ト短調

【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
ソヴィエト国立交響楽団
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
録音:1975年

ウクライナ国立交響楽団
テオドール・クチャル指揮
録音:1994年11月