音楽 CLASSIC

デュリュフレ 『レクイエム』

2011.05.02
20世紀のグレゴリオ聖歌

DURUFLE REQUIEM BEST
 レクイエムというと、なんとなく縁起でもないことや異界的なものを思い浮かべてしまう人が一般的には多いようだ。おそらく「死者のためのミサ曲」とか「鎮魂曲」といった訳語がそんな連想を引き起こすのだろう。
 しかし、本来レクイエムとは近寄りがたいものでも何でもなく、もっと実際的な効能を持つ音楽なのである。「死者のためのミサ曲」は、「死者に捧げていると信じることで、生者が安心できるような曲」と言い換えてもいい。少なくとも私はそう考えている。それを奏することで死者を送ることができる、と判断するのはあくまでも生きている私たちなのである。その私たちの精神的安定を保つ上で、レクイエムは重要な役割を果たしているのだ。そのために作曲家は己の存在意義をかけ、己の才能が生み出しうる最も美しい音楽をそこに注ぎ込もうとする。畢竟、レクイエムを聴く行為とはその作曲家の芸術の精髄を知ることだとも言える。

 レクイエムの中で突出して有名なのはモーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品。いわゆる「三大レクイエム」だ。しかし、私が紹介したいのはそのどれでもない。フォーレの後輩にあたるフランスのオルガン奏者兼作曲家、モーリス・デュリュフレが書いたレクイエムである。
 フォーレのレクイエムでは、モーツァルトやヴェルディの作品で劇的効果をもたらしていた「怒りの日」が省略されている。「死の子守歌」とも言われたその曲調は穏やかで、威嚇的になることがない。大げさな表現を嫌ったフォーレらしい作曲姿勢である。

 デュリュフレのレクイエムも先輩の姿勢に倣い、極力誇張や虚飾を排し、純然たる美の世界へ沈潜しようとしている。最大の特徴は、グレゴリオ聖歌をベースにしているところ。デュリュフレはこの伝統的な旋律に繊細無比な和声を施し、えもいわれぬ深みと、新鮮な響きを与えることに成功した。そして、神聖さをかき乱すような表層的な音響効果を排し、聴き手の感情を無意味に揺さぶらないように腐心した。かくして史上稀にみる静謐なレクイエムが生まれたのである。

 デュリュフレのレクイエムを聴いていると、澄んだ空気と柔らかい光に包まれた教会に身を置いているような心地になる。第1曲「入祭誦」、第5曲「慈悲深きイエズスよ」など、あまりの美しさに神様でさえつい聴き惚れて死者を迎えることを忘れてしまうのではないだろうか。めずらしく高揚をみせる第3曲「主イエズス・キリストよ」と第8曲「我を解き放ちたまえ」も、全体の静謐を覆すには至らない。高まった音響はすぐに分散し、神聖なムードの中に溶け込んでいく。最後の第9曲「楽園にて」も、いつの間にか音楽が消えている、というような終わり方をする。現実との境目がはっきりしない。あくまでも穏やかで、やさしく、神秘的だ。

DURUFLE GARY GRADEN
 デュリュフレは作曲家としては寡作で、生涯に出版されたのは僅か14作のみ。1947年に作曲されたこのレクイエムは彼の代表作。まず第1稿としてフル・オーケストラによる伴奏版、同年に第2稿のオルガンによる伴奏版、1961年に第3稿の室内オーケストラによる伴奏版が書かれた。デュリュフレ自身は第3稿を決定稿としているが、第2稿も人気が高い。

 極めて繊細な作品なので、少しでも瑕があると全てが台無しになる。事実、聴くに堪えない録音も多い。なんとかドラマティックに聴かせようと腐心して空疎に音を鳴らしているような愚行に等しいものもある。こういう演奏は聴いた後何も残らない。
 第3稿を用いたマシュー・ベスト指揮/コリドン・シンガーズ/イギリス室内管弦楽団の録音と、第2稿を用いたゲイリー・グレイドン指揮/聖ヤコブ室内合唱団の録音は、聴き手を混じりけのない美で満たしてくれる。この2種があれば不足はない。
モーリス・デュリュフレ
[1902.1.11-1986.6.16]
『レクイエム』

【お薦めディスク】(掲載CDジャケット:上から)
コリドン・シンガーズ
イギリス室内管弦楽団
マシュー・ベスト指揮
録音:1985年10月

聖ヤコブ室内合唱団
マティアス・ワーガー(org)
ゲイリー・グラーデン指揮
録音:1992年

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