文化 CULTURE

発掘!明治文学 松原岩五郎『最暗黒之東京』の反響

2011.05.14
 生活は一大疑問なり、尊きは王公より下乞食に至るまで、如何にして金銭を得、如何にして食を需(もと)め、如何にして楽み、如何にして悲み、楽は如何、苦は如何、何に依ってか希望、何に仍てか絶望。是の篇記する處、専らに記者が最暗黒裏生活の実験談にして、慈神に見捨られて貧兒となりし朝、日光の温袍(おんぽう)を避けて暗黒寒飢の窟に入りし夕。彼れ暗黒に入り彼れ貧兒と伍し、其間に居て生命を維ぐ事五百有餘日、職業を改むるもの三十回、寓目千緒遭遇百端、凡そ貧天地の生涯を収めて我が記憶の裡にあらむかと。聊か信ずる所を記して世の仁人に愬(うった)ふる所あらんとす。
(『最暗黒之東京』導入部)

 当時大反響を巻き起こした前代未聞のルポルタージュ文学は、明治26年に加筆・再構成され『最暗黒之東京』として出版される。文明開化を光とすれば影は最暗黒。その鮮烈なタイトルは流行語ともなり、『最暗黒』は一人歩きする。
 本書はその後、明治30年までに5版を重ね、横浜で発行された外国語新聞の一つであるEastern World紙のコラムにも連載される。さらには "In Darkest TokyoーSketches of humble Life in the Capital of Japan"と題した単行本も出版されている。

 それでは、当時の反響の一端を知る手がかりとして、雑誌『国民之友』211号にある本書の再版の広告を見てみよう。

 本書出でてより好評を蒙ること頗る多し、曰く、『悉く実地の観察より来れるが故に読み去り読み来れば宛然実況を見るが如き思あり』(早稲田文学) 曰く、『東京の貧天地描き出して余蘊なし』(経済雑誌) 曰く、『心あるもの一読すべし』(日本) 曰く、『窮民生計の情態写し得て之に対するもの暗黒時代を見るが如けん』(天則) 曰く、『世の素封家に読せたし』(二六新報) 曰く、『筆々能く其真情を写出して残すところなし』(東京朝日) 曰く、『観察精密筆法自ら深刻なり』(読売) 曰く、『二人息子長者鑑を述作したる手腕が爾来貧民に与してより如何に面白く変化したるかを見る』(大阪朝日) 以て本書が如何に歓迎せらるるかを知るに足るべし。

 経済・政治・文学など各方面から高い関心が寄せられていたことが窺えるだろう。松原およびその周辺の思惑通り、本書は世論を喚起し、世の中に激震を与えた。そして、その波動は日本だけに留まらず海外にまで及んでいる。
 本書の翻訳本を出版したEastern World紙の編集長F.Schroederは、その「あとがき」において、本書を日本の真の姿を記した力作として高く評価する一方で、同じく日本について書かれたお雇い外国人たちの諸作を、日本政府に買収された都合の良い宣伝にしか過ぎないとしている。

 『最暗黒之東京』は単なる貧民生活の事実の記録には留まらず、条約改正を急務と考え、本質的な問題に蓋をして外観ばかり取り繕う日本政府、日本の政治家の正体を見事に暴いて見せた。ジャーナリストF.Schroederが注目したのはその点であり、だからこそ本作の価値を永久保存しようと単行本化に踏み切ったのである。
 「あとがき」を編者は次のように結んでいる。「このまま貧民問題を放置すれば、刻一刻と増大しつつある下層民(the mob)の力が、いつの日か爆発するであろう」ーーそして最後に「街灯に(貴族を)吊せ」(à la lanterne !)というフランス革命当時の歌のリフレインを引用して日本の政治家に警鐘を鳴らしている。

It is a nightmare that oppresses every statesman of Japan, this many-headed hydra of the mob ; may it never the maddening cry " à la lanterne ! "
( "In Darkest TokyoーSketches of humble Life in the Capital of Japan" )

 貧民問題がもたらすであろう、政治の混乱や革命といった負の側面についての認識は、当時の日本のインテリジェンスの中においても広まりつつあった。貧困を文学の主要なテーマの一つととらえ、平民のための文学(平民文学)を提唱していた国木田独歩は、明治25年11月11日から11月30日にかけて計11回にわたって『国民新聞』に掲載された松原のルポについて、次のように論評している。ちなみに二十三階堂とは岩五郎の異名である。

 古来幾多の聖仁君子此の一字の為めに苦心経営したる果て幾何? ユーゴーは畢生貧人の為めに、其の雄渾なる鉄筆を振ひ、死するに当て、貧人の棺に葬られんとを遺言したるに非ずや。寂滅教も布施を説き、十字架の宗教も施済をすすめ、マホメットと教えて言ふ、人、収入の十分の一は貧者の財産なりと、嗚呼『貧』の一字、此の一字、意味深く且つ長し。
 此の大公不平なる社会が、年々歳々、時々刻々、生み出す悲劇果たして幾何? 薔薇の如き豊頬も、『餓』の前には忽ち変じて菜色となる、失望となる狂乱となる、自暴自棄となる、罪悪となる自殺となる、殺害となる。自由を与えよ然らずんばパンを与えよ。フランス革命も詮て来れば自由の神と飢餓の悪魔との連合軍のみ。嗚呼『貧』決して言ひ易からず、橋畔の乞食は一大事実なり、陋巷窮屋は一大秘密なり。
(「二十三階堂主人に与ふ」『青年文学』第15、明治26年1月)

 明治の日本に立ちはだかる貧民増加の問題。そこに狂気、罪悪、そして革命の萌芽を見た国木田は、文学により貧民の現状を世間の耳目に晒すことで問題の早期解決を図ろうとしていた。それこそが平民文学の使命。国木田は松原にその可能性を見ている。
 花鳥風月ばかり描かれる無味乾燥な当時の日本文学に突如として表れた『貧』の文字。ある時は雑報記事風に、またある時は小説風に、内から外へ、外から内へと手法と視点を変えながら、『貧』の真実に迫りつつあった松原の記事には他の新聞記事には無い観察と文章が備わっていた。国木田は、そこにより一層の探究と荘重な筆が加わればユーゴーに比肩する文学が誕生すると考え、松原に熱いエールを送っている。
(寺門仁志)


【主要参考文献】 
山田博光「二葉亭と松原岩五郎・横山源之助」「明治の社会ルポルタージュ」(『国木田独歩論考』 創世紀 1978年)
山田博光「松原岩五郎集」(『民友社文学集(一)』 三・一書房 1984年)
西田長寿『都市下層社会』(生活社 1949年)
『In Darkest TokyoーSketches of humble Life in the Capital of Japan』(1897年)
松原岩五郎『最暗黒の東京』(民友社 1893年)

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