文化 CULTURE

中村屋のインドカリー 大好きな味、大好きな言葉

2011.12.03
 僕は決して美食家ではない。有名なお店の名前を人一倍知っているわけではないし、グルメ情報をこまめに調べる程の根気はない。しかし、そんな僕が深く愛して止まず、その言葉を発するだけで幸せが口いっぱいに広がるような恍惚を覚えるのが新宿中村屋のインドカリーだ。

 新宿中村屋、通称中村屋の存在を知ったのは、小学校5、6年の頃。当時読んだ北杜夫の小説『高みの見物』の中に出てきたのだ。登場人物である船医と乗組員の会話で、「新宿のN屋」として話題に上る。当時の僕は家で時々出されるカレーと、給食のカレーくらいしか食べたことがなかった。「カレーって外でわざわざ食べることもあるんだ! そんなに美味しいのだろうか?」、僕はこの「N屋」というやつが無性に気になってしまった。「N屋」は実在するのか? 父に訊ねたところ、「それは多分、新宿の中村屋だな」とのことであった。「よし、食べに連れて行ってやる」という話の流れになるほど人生は甘くなく、僕は「N屋」こと中村屋に憧れ続け、「いつか必ず食べてやるんだ......」という夢を抱きながら少年時代を過ごしていった。
 初めて食べたのは大学へ入学してからだと思う。近くにある紀伊國屋書店は予備校生の頃から頻繁に通っていたので、中村屋の所在地はよく知っていた。2Fのレストランへ行き、「インドカリー」を注文した。「カレー」ではなく「カリー」と発音することが、ただただ嬉しくて仕方がなかった。白い皿に平たく盛られたライス、銀色に光る器の中から湯気を立ち昇らせるカリー。大粒のダイヤモンドが運ばれてきたとしても、あの時のインドカリーほどに美しくは見えなかったであろう。そして食べた。眼前に広がったのはシャングリラ......「N屋」のインドカリーは、僕が抱いてきた憧れを裏切らなかった。夢のように美味しかったのだ。

 中村屋のインドカリーには「恋と革命の味」というキャッチコピーが付いている。インドの独立運動に関わったことからイギリス政府に追われ、日本へ亡命してきた革命家、ラス・ビハリ・ボースが、中村屋の創業者・相馬愛蔵の娘と結婚した縁によって誕生したメニューだからだ。匿ってくれた相馬家への恩返しのために、ラス・ビハリ・ボースは純インド式カレーの作り方を教えたのだという。そして誕生した「インドカリー」は昭和2年に開設された中村屋・喫茶部のメニューとなった。それまでの日本ではイギリスから伝えられたレシピに基づいた洋風カレーしか知られていなかったらしい。スパイスの風味を活かした、日本初の純インド式カレー「インドカリー」は中村屋の名物となり、今日まで大切に受け継がれている......ロマン溢れるそんなエピソードも知り、僕はますます中村屋のインドカリーを愛するようになった。

 中村屋によって外で食べるカレーの魅力を知り、僕は他の名店も時折訪れるようになった。好きなお店はいろいろ増えた。しかし、様々な魅力を知りつつも、やはり頻繁に回帰したくなるカレー、僕にとっての故郷のような味が、中村屋のインドカリーだ。インドカレーの店は今日では珍しくなく、中村屋のインドカリーは我々に「本格的なインド式カレー」という印象を与えるものではない。日本人の味覚に合わせてアレンジされたインド風カレーと解釈するのが正確なところだろう。しかし、本格的なインド式カレーの美味しさをいくら知ったとしても、中村屋のインドカリーの輝きは鮮烈なままだ。タマネギ、トマト、ニンジンなどが優しく融け合い、風味豊かなスパイスが香り、それらを絶妙に繋ぎ合わせているのが、適度に加えられているヨーグルトの酸味。骨付き鶏肉を味わう悦び、必ず1片だけ入っているジャガイモを食べてしまう時の何とも言えない名残惜しさ......素晴らしい。完璧なドラマがあそこにはある。

 先日、中村屋の本店へ行ってみたところ、建て替え工事が行われていた。僕が慣れ親しんだあの風景はもう見られないのかと思うと、とても寂しい。しかし、仮店舗へ行けば、いつでもあの味が僕を迎えてくれる。幸せだ。何か辛いことがあった時、「これを乗り越えたら中村屋でインドカリーを食べよう」と思い、力を振り絞ったことが、僕は今までに何度もある。「好きな言葉は何ですか?」と問われたら、「中村屋のインドカリー」と答えるのが、僕にとっては最も正直なのかもしれない。
(田中大)


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