文化 CULTURE

思い出のMSX 名ゲームに名旋律あり

2012.03.10
 ファミリーコンピュータが発売されたのは1983年のことである。当時私は小学4年生。喉から手が出るほど欲しかったが、買ってもらえなかった。「勉強しなくなるから」というのが理由である。テレビゲームは堕落への一歩。親の目にはそう見えたのだろう。
 5年生になるまでにはクラスの男子の大半がファミコンを所有していた。置いてけぼりを食った私は、ファミコン関連の会話をしたり、ソフトの貸し借りをしているクラスメートを尻目に、無関心を装っていた。羨ましがっていると思われるのが癪だったからだ。だから友達の家に行った時、ファミコンで遊ぼうなどと言われると、歓喜の雄叫びを上げたくなるのをこらえながら、「つきあってやるか」という顔でプレイしていた。そのくせ、なかなか帰ろうとしないのである。友達も内心苦笑いしていたのではないかと思う。

 小学6年の冬、我が家でパソコンを買うことになった。これからはパソコンの時代になるから一台はあった方がいい、と父親がいいだしたのである。そうして家族で出向いて買ったのがMSXだった。しかもテレビとパソコンが合体したPAXONなる機種。正確にいうと、テレビと一体型になった「便利」で「カッコよさそう」なパソコンを買ったら、それがMSXだったのである。メモリは16KB。真面目にパソコンを学ぶ人間が選ぶものとは思えない代物だ。それくらい家族の誰もパソコンのことをわかっていなかった。店員の勧めでデータレコーダーも購入したので、結構な金額になっていたはずだ。MSXに対する予備知識もないのに、とんでもない冒険をしたものである。

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 しばらくの間、父と一緒にこのPAXONと向き合い、プログラミングにいそしんでいた。プログラミングといえば聞こえはいいが、雑誌を買い、そこに載っているプログラムを打ち込み、チープなスカッシュゲームやシューティングゲームをして遊んでいただけである。むろん、満足は出来なかった。同じ雑誌の前半に載っているゲームソフト情報の方が気になって仕方なかった。明らかにそちらの方が誌面の作りが充実していたのだ。その誌面は、子供の私に憐れみのまなざしを向けながらこんな風にいっていた。「どうだい、すごく面白そうなゲームがたくさんあるだろ。MSXを持ちながらゲームソフトを一本も持ってないなんて、君、かわいそうだね」

 やがて父はパソコンから離れてゆき、MSXは私の所有物となった。それと同時に、ゲームソフトを購入する許可を得た。近所のホビーショップで買ったのは「ZEXAS」。このマイナーなゲームを知っている人はどれくらいいるのだろう。BGMはなく、不気味な効果音を出しながら出現する敵をひたすら撃ちまくる静かなシューティングゲームである。地味かつ難易度の高いゲームだったが、繰り返しプレイしているうちに、友達が目を丸くするほど上達してしまった。ほかに持っていたのは「ランボー」。これはすぐにクリアし、興味を失った。しばらくの間、私が所有していたゲームソフトはこの2本だけだった。

 親の許可が下りなければゲームソフトは買えない。そうとわかっていながら、私は雑誌のゲーム情報を読み、そこに載っているゲームがどんなものなのか想像していた。とくに憧れたのは32KBの世界。私のPAXONは16KBなのでそもそも対応できないのだが、それだけに妄想は膨らむ一方だった。MSXユーザーの間で絶大な人気を誇っていた「ハイドライド」も32KB。「ムー大陸の謎」も「ポートピア連続殺人事件」も「オホーツクに消ゆ」も32KB。思春期の少年であれば気にならないわけがない「Tokyoナンパストリート」も32KB。決して大袈裟ではなく、私は「32」という数字に深刻なコンプレックスを抱いていた。

 状況が変わったのは1986年の暮れ。パソコンで適度に遊びつつも、勉強や部活をそれなりにこなしている私のことを信頼したのか、親がMSX2を買ってくれたのである。さらに、自由にゲームソフトを買う許可も得た。
 その頃には「魔城伝説」や「グラディウス」など、低いメモリでも高い満足度が得られるゲームが登場していた。グラフィックも信じられないほど改善された。その立役者となったのが、コナミである。
 しかも、私はすでにMSX2の所有者なのだ。もはや16KBだとか、32KBだとか、そんなことを気にする必要もない。1年余り、私はたがが外れたようになり、親が唖然とするほどゲームに溺れた。プログラミングの勉強など脳裏をかすめもしなかった。私にとってMSXは純然たるゲーム機だった。

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 当時、寝食を忘れるほど熱中したのはコナミの「夢大陸アドベンチャー」である。主人公のペンギンが不治の病を患うペン子姫を救うべく、夢大陸にしかないゴールデンアップルを求めて旅に出る、というストーリー設定で、ステージ数は全部で24。ゲームが面白いのはもちろんのこと、とにかく音楽が良かった。魅力的なメロディーと工夫のあるアレンジで「音の情報量が少ない」という不自由さを少しも感じさせない。これはBGMというよりサントラと呼ぶ方がふさわしい。短くも多彩なメロディーがループし、ゲームの世界観と完璧に融合することで、突き抜けるような高揚感が生まれていた。黄色のハートマークをキャッチして無敵状態になっている間のメロディーは、今でもしょっちゅう思い出す。前方に長くのびる道を歩いている時など、ふとこのメロディーが現れ、頭の中をぐるぐるめぐることがある。ちなみに、作曲者はコナミの佐々木嘉則と松原健一という人。佐々木嘉則は「モアイ佐々木」の異名で知られている。

 好きだったゲームはいろいろあるが、ゲーム音楽単体で考えると、最も忘れがたいのはMSX2の「悪魔城ドラキュラ」である。抜きん出て完成度の高いトラックはステージ5。あまりのカッコよさに、クリアしてしまうのが惜しくなるほどだ。作曲者は山下絹代で、ほかに「魔城伝説II ガリウスの迷宮」、「シャロム」も書いている。いずれも私には思い出深いゲームであり、ゲーム音楽である。

 「夢大陸アドベンチャー」の小島秀夫が手がけたヒット作「メタルギア」の音楽も度々思い出す。最初は音数を絞り、リズム主体で進行しながら、徐々に盛り上がり、やがてヒロイックなメロディーが出現する。聴いているだけでも胸が熱くなる音楽だ。曲の展開上、構成面に弱さがある点は否めない。ただ、旋律のインパクトは強い。先の読めない思わせぶりなゲームで、私はそこまで夢中にはならなかったけど、この音楽に惹かれてプレイしていた。敵に見つかったりすると音楽が途切れてしまうので、あえて身を隠し、じっと聴き入っていたこともある。

 魔城伝説シリーズの3作目にあたる「シャロム」をクリアしてから、憑き物が落ちたようになり、ゲームをやらなくなった。かれこれもう25年近くテレビゲームから離れている。今、ゲーム音楽がどれくらい進化を遂げているのかも知らない。おそらくオーケストラのような音を出すことも可能なのだろう。
 ただ、たとえペラペラでチープといわれようとも、ここに挙げたMSXのゲーム音楽を「名旋律」と呼ぶことに私は躊躇を覚えない。そこに感傷による美化が全然ないといったら嘘になるが、それだけで評価しているわけではない。これまでジャンルを問わず無数の音楽作品を聴いてきたにもかかわらず、1年ほどの付き合いしかないゲーム音楽のことを今も忘れず、はっきり記憶しているという事実。これが音楽の力のなせるわざでなくて何であろう。「たかがゲーム音楽」と蔑視する人も多いが、メロディーの普遍性や浸透力を語る上で、ジャンルは何の意味も持たない。技術の進歩も関係ない。むしろ、音の情報量に制約がなければ、メロディーの力だけで爪痕を残すような曲は生まれてこなかったと思う。旋律発想力とアレンジセンスを武器に制約を乗り越えた才人たちの仕事に、改めて敬意を表したい。
(阿部十三)

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