文化 CULTURE

『ケインとアベル』 テレビドラマ史の金字塔

2012.03.24
 決して忘れられないテレビドラマというものがある。私にとってそういう作品は20本近く存在する。中でも、中学時代に見て鮮烈に記憶に残っているのがアメリカのドラマ『ケインとアベル』だ。副題は『権力と復讐にかけた男の情熱』。日本で放送されたのは1986年。とにかくスケールの大きさ、ストーリーの面白さに圧倒され、家族全員夢中になって見た。テレビドラマを見て、内から湧く興奮と感動をうまく処理しきれず、胸が張り裂けそうになったのは、あれが初めてだったように思う。「ドラマティック」とはまさにこの作品のためにある言葉だ。5時間以上あるので、ストーリーを解説するのも骨だが、ざっと梗概を記しておく。

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 1901年4月18日、東ポーランドでヴワデクが生まれた。母親が出産直後に死亡したため、農家に引き取られる。同じ頃、アメリカのボストンでウィリアム・ケインが生まれた。ケイン・アンド・キャボット銀行の頭取の息子である。ヴワデクは私生児だが、実はロスノフスキ男爵の息子。乳首が一つしかないのがその証である。男爵はそれを知り、周囲には事実を明かさず、ヴワデクを自分の城に引き取る。
 1912年、ケインの父がタイタニック号の事故で死去。母子は嘆き悲しむ。しかし、その後母は悲しみを乗り越え、デイビッド・オズボーンという男と交際するようになる。ケインはどうしてもオズボーンのことが気に入らない。

 やがて戦争が起こり、男爵とヴワデクたちはドイツ兵に監禁される。衰弱した男爵は形見の腕輪をヴワデクに託し、彼が自分の子供であることを告げて、息を引き取る。
 セント・ポールズ校ではケインがアイスホッケーをしている。優等生で、人気者で、マシューという親友にも恵まれているが、相変わらずオズボーンの存在にいら立っている。オズボーンが金目当てに自分の母親に近づいているように思えて仕方ないのだ。

 戦争が終わり、ドイツ兵は撤退。今度はロシア兵がやってきて、ヴワデクたちを連行する。その途中、幼なじみのフロレンティーナが兵士に強姦され、殺される。悲しみに暮れるヴワデク。彼はシベリアに連行され、重労働を課せられる。
 その頃、ケインはコーエン法律事務所の人間を使い、オズボーンの事業計画を調べさせていた。そして、その計画が危ういことを知り、不安になる。母の再婚相手であるオズボーンにケイン家のお金を自由に使わせるわけにはいかない。しかも、オズボーンは浮気している。ビジネスマンとしても、夫としても、失格である。

 シベリア脱出を図ったヴワデクは、モスクワ行きの列車の中で中年婦人(モスクワ駅の助役夫人)に救われる。コンスタンチノープルに逃れたヴワデクは、空腹のあまり、オレンジを盗み(トルコでは使えない紙幣を渡してはいる)、逃走。捕まって腕を斬られそうになるが、間一髪のところで救われる。ポーランドの領事館に引き取られたヴワデクは、アメリカへ行くよう勧められる。僅かながらも光明が射しはじめたのだ。
 それとは対照的に、今度はケインの方が苦痛を味わう。オズボーンの浮気を知った母がショックのあまり倒れて死産し、自身も命を落としたのだ。憤ったケインはオズボーンをケイン家から追放する。

 ヴデワクはアメリカへ向かう船上で出会ったザフィアと恋に落ち、初体験をする。「アメリカで成功してやる」と燃えるヴワデクは、船で知り合った友人ジョージの勧めで改名。こうして「アベル・ロスノフスキ」が誕生する。ホテルのレストランで給仕として働くアベルは瞬く間に出世。髪型も表情も立ち居振る舞いも上流ぶった感じになる。
 そこへハーバード大学を卒業したケインと親友マシューたちがやってくる。アベルの腕輪を見て、「ここでは給仕に手錠を?」ときくケイン。「反抗的な者にだけです」と返すアベル。ケインとアベルの出会いの場面である。

 7つのホテルを所有する男、デーヴィス・リロイに引き抜かれ、シカゴ・リッチランの副支配人に迎えられたアベルは、早速辣腕ぶりを発揮し、まもなく支配人の座に就く。ケイン・アンド・キャボット銀行の取締役になったケインは、未亡人のケイトと出会い、ひと目惚れ。ゆっくりと時間をかけて愛を育む。
 アベルはコンサートの後、リロイの娘メラニーとベッドを共にする。性急なアベルは結婚まで考えるが、メラニーは冷たく、「経験不足よ」と鼻で笑い、帰ってしまう。

 1929年、株が大暴落。恐慌時代がやってくる。アベルはどうにか踏ん張ろうとするが、株を買い漁っていたリロイは生きる気力を失う。銀行に資金回収されるのも時間の問題だ。その銀行とはケイン・アンド・キャボット。アベルはケインに電話し、談判しようとするが、ケインは応じない。その夜、リロイは投身自殺。アベルは深い悲しみの中で、ケインに対して憎悪を抱き、復讐を決意するのだった。

 これでもまだドラマ全体の半分にも満たないが、こうしてみてもわかるように、アベルの人生の方が波瀾万丈で面白い。1人の男の人生に詰め込めるだけのものを詰め込んだ感がある。やや足りないものがあるとすれば、ロマンティックな要素くらいだろうか。
 原作者は、流行作家として一世を風靡したジェフリー・アーチャー。アベルばりの波乱の人生を送っている人だけに、筋立てもうまく、説得力がある。後半ではアベルが200万の出資者を得て巻き返しを図り、リッチランを「バロン・ホテル」と改名。ホテル王として君臨し、裏から手を回してケイン・アンド・キャボットの株を買い、ケインを追いつめる。
 戦後になると、ケインとアベルはお互いを潰し合う計画に躍起になり、トーンがだんだん陰湿になっていく。それを救っているのが子供たちの物語である。ケインの息子リチャードが、アベルの娘フロレンティーナ(アベルは思い出の人と同じ名前を娘につけた)と激しい恋に落ちるのだ。当然、親たちは激怒する。勘当された2人はサンフランシスコへ。野心家で才能溢れるフロレンティーナはリチャードに支えられ、ショップをオープンさせる。なんとも見事なプロットである。

 ケイン役は『ポゼッション』『ジュラシック・パーク』のサム・ニール。アベル役は『ソルジャー・ブルー』『さらば外人部隊』のピーター・ストラウス。両者とも1947年生まれなので、このドラマ製作時(1985年)は38歳。青年時代のシーンは、さすがに若作りにも限界が感じられるが、演技力でカバーしている。ほかにも人気ドラマ『ザ・ホワイトハウス』のロン・シルバー、『ペットセメタリー』のフレッド・グウィン、『XYZマーダーズ』のリード・バーニー、『スウィート ヒアアフター』のアルバータ・ワトソンなどが出演。個人的に好きだったのは、リロイの娘メラニーを演じたシェリー・J・ウィルソン。『ダラス』にも出ていた人である。メラニーは好感が持てるキャラクターではないが、それでもシェリー・J・ウィルソンには溢れ出る魅力を感じたものだ。

 巧妙な構成で飽きさせない娯楽ドラマだが、アベルが驚愕する「隠された事実」は弱い。これは当時中学生だった私でも容易に予想できた。見ている側にとっては驚愕するに値しない。だからアベルと私たちの間に違和感レベルの温度差が生じる。このドラマの欠点とまではいわないが、引っかかる部分ではある。

 印象に残る場面は、どちらかというとアベル側にかたよっている。逃亡中のアベルが列車の中で中年婦人に救われるシーン、アベルが腕を斬られそうになるシーン、アベルが船上で初体験をするシーン、故郷に戻ったアベルがフロレンティーナの墓を探すシーン、娘に呼び止められたアベルが背を向けたまま無言で立ち尽くすシーンなどなど。

 と言いながらも、私の記憶に最も深く刻まれたのは、ケインのシーンだ。セント・ポールズ校時代、ケインが親友のマシューと軽口を叩きながらレスター銀行(マシューの親が経営している)へ行き、会議室らしきところでたわむれに紙飛行機を折り、一緒に飛ばす。ーーこのドラマを見て、このシーンに惹かれる人は、私くらいかもしれない。特別深い意味がある要所ではない。ただ、飾り気のない余裕というか、恐れを知らない若者たちの贅沢な時間と空間の使い方がこの一瞬に表現されていて、思春期の私の記憶にしみついてしまった。彼らが醸す青春の雰囲気に心底憧れた。私はその後、遺憾ながら、ケインのような青春とは無縁な時間を過ごした。それゆえ、このシーンを見ると、手にすることができなかった青春を目の当たりにする思いがして無性に切なくなる。

 ただ、生から死まで、という大きな枠で見ると、ケインの人生にもアベルの人生にも不思議なほど羨望を覚えない。出世欲や復讐心に支配され、無益な争いに追い立てられているからである。見た目は華やかだが、その人生は辛酸で泡立っている。アベルはアメリカンドリームを実現するものの、愛には恵まれない。ケインは愛に恵まれるが、アベルのあら探しをしようとして自分を完全に見失う。ケインやアベルのような生涯を送りたいかといわれたら、きっと多くの人は考え込んでしまうだろう。少なくとも私のような者にとっては、こういう凄まじくドラマティックな人生は、見て楽しむ対象以外の何物でもない。
(阿部十三)

【関連サイト】
ジェフリー・アーチャー
『ケインとアベル』(書籍)

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