文化 CULTURE

海は知っていた 〜「太陽の季節」の世界〜

2011.03.05
 1955年、『文学界』に発表された石原慎太郎の「太陽の季節」は、一大センセーションを巻き起こした。1956年1月には芥川賞を受賞、同年5月公開の映画も大成功、加えて石原自身の人気も手伝って、反響は文壇内にとどまらず、太陽映画ブーム、慎太郎刈り、そして「太陽族」(大宅壮一)なる造語まで生まれた。マスコミに「芥川賞の学生作家」と華々しく取り上げられたり、「もういい、慎太郎」と見出しに書かれているのを見ても、騒ぎの加熱ぶりをうかがうことができる。

 そのせいか、いまだにこの作品は「無軌道な若者」を描いた反社会的文学の代表とみなされ、読者の注意も自ずと高校生竜哉の豊富なセックス体験、兄弟間の恋人売買、あるいはペニスで障子を破るなどの描写に集中している。竜哉のモデルが石原裕次郎ではないかという噂(石原裕次郎の仲間という説もある)は、作品を読んだことのない人でも小耳に挟んだことがあるだろう。ただ、そういう興味本位の話題に目がくらみ、この小説の主題が「海」であることが見逃されているのは遺憾である。

 作中、竜哉と英子が本当の愛を確認するシーンは二カ所ある。どちらも海にヨットを浮かべながらの美しい場面だ。その際、二人は「赤ん坊のよう」と形容されている。大人びた英子は「安っぽいお月様の物語」を信じる女子になる。一方、不良の竜哉は妊娠した恋人をやさしく受け入れる男になる。お互いにわだかまりのかけらもない。海の上で、二人は母胎にいる時のような無垢の境地を味わい、なにものにも傷つけられることなく、純粋にお互いをいとおしむのだ。

 それが海から離れると、途端に雲行きが怪しくなる。竜哉は英子を五千円で売ったり、子供を堕ろせと命令したりして、死へと追いやる。要するに、「赤ん坊のよう」に無防備な魂が、「母胎の象徴=海」から離れることで荒み、見栄を張り、牙をむき、残酷な行動をとってゆく有様を、メタファーを用いつつ描いているのである。この点はこれまで不自然なほど指摘されていない。

 たしかに若者の生態や風俗の鮮やかな描写は当時としては新鮮だったろうし、作品の雰囲気を決定する上で大きな役割を担っていることは間違いない。しかし、「太陽の季節」の文学的基盤は、「海」という記号にこめられた作者の深い、度を超して深い憧憬にある。「おじいちゃんの時代にも結構すすんでる人いたんだね」と思わせるだけの古びた風俗小説ではないのだ。このことは作品発表から半世紀以上を経た今、冷静に見直されてよいはずである。

 石原は「太陽の季節」の後でも、海と文学のつながりを徹底的に深めようと腐心している。「星と舵」(1965年)など、波の様子や船の器具でセックスを形容するといった調子で、その表現はいささか行き過ぎの感も否めないが、かえって作者の海に対する一貫した思いが表出しているようで興味深い。

 それにしても、芥川賞の選考委員として若手の候補作をこき下ろしたり、漫画やアニメの性描写規制に注力したり、極端な発言を連発したりしている現在の石原が、無名の新人が書いた「太陽の季節」のような作品を読んだら、どういう反応を示すのだろう。かつて芥川賞選考委員を務めた佐藤春夫が石原を評した如く、「作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった」と言うのではないだろうか。
(阿部十三)


【関連サイト】
石原慎太郎『太陽の季節』(新潮文庫)

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