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SONY ICF-EX5 MK2 変わらない姿で鳴り続けるラジオ

2012.11.03
 ラジオが好きだ。番組を聴くのも勿論大好きなのだが、物体としても愛している。四角いボディ、銀色のアンテナ、周波数を表示する窓、金属製の網の向こう側に見えるスピーカーを見ると、胸がキュンとしてしまう。家電量販店へ行った際、僕がときめくのはパソコンでも、スマートフォンでも、デジタルカメラでもない。ラジオ! 災害時の情報収集ツールとして再評価されつつあるとはいえ、店先のラジオ売場は極めてささやかだ。しかし、今でもちゃんとラジオが置かれているのを見ると顔が綻ぶ。「なんと可愛いらしい!」という想いすら湧く。そして、こいつが居るのを見かけると、とても嬉しいのだ。その名はSONY ICF-EX5 MK2と言う。

 ICF-EX5 MK2は、驚異的なまでに長寿の製品だ。初代のICF-EX5の販売がスタートしたのは1985年。2009年に「MK2」となったが、チューニングの目安のためにプリントされている放送局名の一部を変更したのみで、内部の機械もデザインもほぼ初代のまま。実質、このモデルは30年近くにわたって製造が続いていると言って良い。新商品開発のサイクルが早い電化製品の世界において、ここまで何も変わらないのは奇跡に等しい。それだけ完成度が高かったということなのだろうが、ラジオの需要が減ったので開発の必要性が減り、細々と続いてしまったという面もあるように思う。何処となく垢抜けないICF-EX5 MK2の外観からは、昭和の匂いがプンプンする。

 この製品が未だに販売されていることを、僕も最近まで知らなかった。いや、そもそもラジオを聴く習慣すら、大学を卒業して以来縁遠くなっていたのだ。しかし、インターネットで手軽に聴ける「radiko」の試験配信が2010年に始まったのを機に楽しさを思い出し、パソコンではなくラジオで放送を聴きたいという願望も芽生えるようになった。そんな頃、秋葉原の電器屋の店先で新品のICF-EX5 MK2が売られているのを見つけて仰天! 懐かしいこの姿は一体何!? 再開発されたはずの故郷の商店街で幼年期に通った駄菓子屋が何も変わらず営業を続けているのを見つけ、中を覗いてみたら店番のおばあさんも変わらぬ風貌のまま......そんなタイムスリップ紛いの衝撃を喰らった。何しろ先代モデルのICF-EX5は、かつての僕の愛機だったのだから。

SONY ICF-EX5 MK2_A1
 僕がラジオを聴くのが好きになったのは、小学校3年生くらいの頃。ソニー製の赤色のラジオ付き目覚まし時計を手に入れたのがきっかけだった。たしか、父が粗品か何かで貰ったものだったと思う。父としては目覚まし時計のつもりで与えたのだろうが、僕は毎晩寝る前にそのラジオで歌謡曲のヒットチャート番組を聴くのが好きになった。松田聖子、トシちゃん、マッチなどのアイドルポップス、角川映画の主題歌だった薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」、シャネルズの「ハリケーン」、理由もよく分からずときめいたユーミンの「守ってあげたい」、中島みゆきの「悪女」......などなど、その頃に聴いていた曲は、僕の音楽の原体験と言って良いだろう。今までに味わったことのない心の揺れを届けてくれたラジオは、子供の僕にとってまさしく夢の箱であった。そして、僕はラジオにどんどんのめり込み、中学生の頃にはナイター中継の後に始まる若者向け番組、高校に入ってからは深夜放送、特にオールナイトニッポンを欠かさず聴くようになった。

 目覚まし時計付きラジオをずっと使い続けていたが、さすがに高校生にもなると、もう少しグレードの高いラジオが欲しくなる。そんな頃、三才ブックスから出ていたラジオ専門誌『ラジオパラダイス』で、製品紹介の特集が組まれた。世界中の短波放送が聴けるワールドバンドラジオも掲載されていたが、そんな高級品は買えるはずもない。AM/FMが聴ける程度のラジオが分相応であった。候補となり得るソニーやナショナルなどの製品説明を見る中、僕の目を一際引いたのがICF-EX5。「現行製品の中で最長のバーアンテナを内蔵。特にAMラジオに関しては驚異の受信性能」というようなことが書かれていたのだと記憶している。AMの受信性能が良ければ、オールナイトニッポンもクリアな音質で聴ける。僕が住んでいた三多摩地区ではニッポン放送はTBSラジオなどと較べると若干聴きにくかった。何となく電波が弱く、高出力のモスクワ放送の混信に悩まされることも度々あったのだ。ICF-EX5を手に入れれば、その悩みから解放されるのだろう。しかも、頑張れば手が届きそうな値段であった。いくらだったのか正確には覚えていないが、定価1万5千円くらいだったのではないかと思う。

 僕はコツコツと貯金を始めた。そして、ついに手に入れたのだ。当時の八王子では最大規模の家電量販店ムラウチ電気でICF-EX5を買ったことを、今でもよく覚えている。小躍りしながら家に帰り、早速使ってみた。チューニングメーターを1242kHzに合わせてみると、驚く程のクリアさでニッポン放送が聞こえてきた。さらには、夜になると大阪、名古屋、仙台、札幌などのラジオ局の放送もキャッチ! 遠い街から発信された電波が、こうして東京の片隅に届いてくるということに、僕は大きなロマンを感じた。

 ICF-EX5は大学を卒業するまでずっと使っていたが、いつの間にか僕の元から姿を消してしまった。会社勤めを始めて2ヶ月程経ってから僕は都内で1人暮らしを始めたのだが、おそらくその引っ越しのタイミングで何処かへ行ってしまったのだと思う。実家も同時期に別の町に移ったため、ラジオを置き忘れたかもしれない僕の部屋は最早ない。もしかしたら実家の引っ越しの際に他の荷物に紛れたまま何処かに眠っているのかもしれないが、未だに見つけられずにいる。眠れない夜にいつまでも付き合ってくれたあいつは今、どうしているのだろう。

 昨年、ICF-EX5 MK2を買った。操作する僕の手は、このラジオのことを完璧に覚えていた。ダイヤルやスイッチの位置、それぞれの距離感と操作感は、昔使っていたあいつと全く同じ。サーベルのようにバカみたいに長いFMラジオ用のアンテナが懐かしかった。そして、チューニングが合った時に赤く光るインジケーターを見て、胸が熱くなった。昔使っていたあいつではないが、瓜二つ。同じように枕元で僕を見つめてくれるこいつがやって来た。

 1日の仕事が全て終わった後、ICF-EX5 MK2のスイッチを入れるのが、今の僕にとって一番幸せな時間だ。変わらず続いているオールナイトニッポンを聴いてクスクス笑ったり、テーマソングの「ビタースウィート・サンバ」を聴いてワクワクしたり、ラジオを付けたまま寝てしまって、ふと目覚めた時に聞こえてきた早朝の放送に耳を傾けたり。そんな風に付き合っている。一時はすっかり縁遠くなっていたが、おそらく僕は今後、死ぬまでラジオと共に過ごすだろう。他のラジオもいろいろ手に入れると思うが、こいつ、ICF-EX5 MK2とは出来るならばずっと付き合いたい。少年の頃に聴いた番組の数々は、たくさんの音楽、知らなかった世界、様々な人の発想や価値観を教えてくれた。ICF-EX5 MK2は、あの頃の気持ちにいつでも立ち還らせてくれる。これからも特別な存在でいてくれるに違いない。
(田中大)


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【執筆者紹介】
田中大 DAI TANAKA
1973年3月17日生まれ。東京都出身。96年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。シンコーミュージック、ロッキング・オンの音楽雑誌の編集者を経て文筆業に。専門は音楽全般、西部劇。趣味はギター、サックス。