文化 CULTURE

磯田湖龍斎への序章

2014.03.01
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 磯田湖龍斎(いそだ・こりゅうさい)は鈴木春信の影響を強く受けながら、やがて独自の画風を示した絵師として知られている。もっとも、歌麿、北斎、広重のように誰もが知っているわけではなく、研究書と呼べるものはほとんどないし、日本で湖龍斎展が開かれたという話も聞かない。ただ、代表作の「雛形若菜の初模様」シリーズがテレビ番組で取り上げられたこともあり、湖龍斎に関心を持っている人は少なからずいるようだ。真の再評価が行われるのはこれからではないかと思う。

 湖龍斎の生年はおそらく1735年頃、没年は不明である。名は正勝、俗称庄兵衛という。石川豊信の画風を慕い、西村重長に画技を習ったとされているが、確証はない。世に出た頃は「春広」と号し、春信を模倣した。「湖龍斎」に改名後、大判サイズの「雛形若菜の初模様」シリーズが大ヒット。花鳥画、春画も多く、柱絵、肉筆画にも精力的に取り組んでいた。1782年には絵師としての最高名誉「法橋」に叙せられている。「湖龍斎」以外に、「湖龍」、「武江薬研堀隠士湖龍斎」、「法橋湖龍斎」などの落款も用いていた。

 作曲家が修業時代に先達の作品を写譜して勉強する、という話は珍しくないが、いってみれば湖龍斎も同じような道を歩んだ絵師である。そうすることで彼は、線が細く優美な春信の美人画の世界を内側からじわじわと変革していった。一見して私たちに「なんとなく変わっているな」と違和感を抱かせるアングルや配置、湖龍斎らしい線の明確さを見ても、彼本来の感性が春信のそれと異なっていたことは明らかである。湖龍斎は自分の中にある異端児的な感性を、春信を模すことで受け入れられやすくしていたのではないかとさえ勘繰りたくなる。

 ただ美しいだけでなく、リアルな肉厚さ、写実的な四肢、ダイナミックな存在感を備えた美人画は、今見ても新鮮で、じっくり鑑賞していると、女性の性格や仔細ありげな経歴が読み取れそうである。人物の顔を正面、真横から描く大胆さも、湖龍斎ならではといえる。
 その画風について、かつて福田和彦氏は「清長、歌麿、栄之などの規範になった」と評し、すでに太平とはいえなくなった世の中を背景にした「ロマンティシズムへの決別」と位置づけていたが、湖龍斎はもともと女性に幻想を抱くタイプではなく、他者の規範となるほど分かりやすいセンスの持ち主でもなかったように私には思える。

 人物の描き方の特異さだけではなく、植物の描写の美しさも湖龍斎の魅力である。ふるえる花びら、よじれる葉、たわむ枝など実に繊細で味わい深い。「雉と牡丹」や「見立草木八景 白牡丹暮雪」といった花鳥画が素晴らしいことはいうまでもないが、春画「色道取組十二番」の着物に描かれた花や葉ですら妙に凝っていて面白い。ちなみに私のお気に入りは、両手に牡丹の花を持った美人が憑かれたように舞う様子を描いた肉筆画「石橋図」(出光美術館所蔵)である。つくづく飽きのこない作風で魅せる絵師だと思う。

 春信の浮世絵だと思って鑑賞し、「あれ、これはなんか変だぞ」と感じて、落款を見ると「湖龍斎」とある。そんな経験をした人は少なくないだろう。私はそこから変な部分が気になりだし、湖龍斎に引き込まれた。その先には、発想の独特さ、浮世絵の自由さを堪能させる世界があった。
 といっても、まだ全ての作品を見ているわけではない。アレン・ホックリー著『THE PRINTS OF Isoda Koryusai』によると、湖龍斎は柱絵や挿絵も含めて2500点以上の絵を手掛けたのだという。一筋縄ではいかない絵師の世界を一望するまでには時間がかかりそうだ。その先鞭をつけるような展覧会が日本のどこかで行われることを願わずにはいられない。
(阿部十三)


【関連サイト】
Allen Hockley『THE PRINTS OF Isoda Koryusai』(書籍)

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