文化 CULTURE

1914年夏 『チボー家の人々』の激しい季節

2014.09.27
 ロジェ・マルタン・デュ・ガールの長編小説『チボー家の人々』のクライマックスをなす『1914年夏』は、市民が戦争の波に押し流されるまでの過程を鋭い目線でとらえているだけでなく、一つの大戦を成立させるメカニズムを心理的側面から生々しく浮き彫りにした文学として、今日の読者にも強い印象を与える。私たちは登場人物たちの言動を他人事とは思えないだろうし、自分ならどうするか考えずにはいられなくなるだろう。

 かつてポール・ニザンは、この小説の中に描かれた「戦争の仕組み」、すなわち、「エネルギーを失うことのない抗しがたい暗い力の働き、秘密や条約や列強のからくり」の「歯車装置」に着目した。そして、「人間にたいする運命の攻撃によって支配されている世界のなかで、価値ある登場人物といえば、それに抵抗する人々のみだ」と断言した上で、無名の革命家として無惨に死ぬジャック・チボーを、ニザン自身が抱く革命家像に引き寄せて称えている。

 『1914年夏』の7月19日、医者である兄アントワーヌと政治議論を交わす時点でのジャック・チボーは、戦争の危機をまくしたて、「インターナショナル」や「革命」を謳うことに性急な印象がある。その言葉はほとんどが借り物で、勢い任せに連射されているかのようだ。ジャック自身、「自分の激越な即興的な議論が、兄を納得させなかったであろうことをはっきり感じて」おり、己の鑑識不足を自覚する。
 そんなジャックが表舞台で閃光を放つ一瞬が訪れる。7月30日、モンルージュの会合で、愛するジェニーに促され、急遽思い立って「発言あり!」と叫び、自分の言葉で、興味深い問題を包含した演説を行うのだ。

「諸君は聞かされている。『戦争をさせるものは資本主義だ、国家主義の競争だ、金の力だ、軍需工業家だ』と。それらすべて、もちろんそれにはちがいない。だが諸君、考えてみたまえ、戦争ははたしていかなるものか? それは単に利害関係の衝突なのか? 残念ながらそうではない! 戦争とは、まさに人間であり、また人間の流す血潮なのだ! 戦争とは、動員され、たがいに戦いあう国民なのだ! 国民にして動員をこばみ、国民にして戦うことを拒否するとき、あらゆる責任ある大臣たちは、銀行家は、企業家は、軍需工業家は、戦争を引きおこすことができないのだ! 大砲も小銃も、撃つ人なしには撃てないのだ! 戦争には兵士がいる! そして、資本主義が、こうした利益と死との事業のために必要とする兵士、それこそわれらにほかならないのだ! いかなる法律の力も、いかなる動員令も、われらなしには、われらの承認なくしては、われらの受入れ態勢なくしてはあり得ないのだ!」
(山内義雄訳)

 ジャックの演説に聴衆は熱狂する。劇的に描写されるこの場面は、これ以降の彼の行動を読者に肯定させるだけの力を持っている。しかし、ここで説かれているような精神は、熱狂の中で消化されるタイプのものではない。ジャックの態度は、究極的には、戦争を起こさないために、自分自身がまず戦争に協力しないこと、という点に集約される。これは方法論的個人主義を示唆している。即時的に大衆を溶融集団にし、実践行動を伴わせるには、個人レベルの理性や精神力を恃みにしすぎている。個人の理性に基づく選択意識は本来時間をかけて養われるものである。さらにいえば、この方法は、国家権力による圧迫を迎え撃つ以上、個人と個人の間に絶対の信頼がなければ現実的な意味での対抗勢力を生み得ない。当然ながら、大砲も小銃も撃たない精神は敵国人にも等しく尊重され、遵守されなければならない。その実現があって、初めて「歯車装置」は意味を失うのだ。ジャックは「ドイツの労働者もわれらとともに歩いてくれる!」と叫んだが、実際のところはどうであったか。

 この翌日、ジャン・ジョレスが暗殺されたことで、ジャックたちは激しく動揺する。ジャックはどうにか行動し続けようとするが、いざ動員令が発布されると、昨日までの闘士たちはジャックの言葉を退け、「おれは戦争がきらいだ。だが、おれはフランス人だ。そしていま、フランスが攻撃されてる。国家はおれを必要としている。おれは行く! おれは行く、たまらない気持ちで。だが、やっぱり行かずにはいられないんだ!」「それは、信念なんかの問題じゃないんだ! 国家主義者、資本家、金持ちども、そうしたやつらとはいずれあとから話をつけよう! ちゃんとかたをつけてみせるぞ! その点おれにまかせてもらおう。だが目下の場合、議論しているときではない! まずプロシアのやろうと話をつけなければ!」と言いながら兵役に就く。
 仕方ないから戦争に参加する、という考え方はジャックには受け入れられない。失望に次ぐ失望の中、それでもジャックは望みを捨てることなく、飛行機で戦地へ赴き、空からフランスとドイツの兵士に呼びかけようと考える。しかし、飛行機は墜落。口もきけないほどの大けがを負ったジャックは、フランス兵にドイツのスパイと間違われて銃殺される。

 一方、弟の考え方を、「こうした時期に兵役を拒絶する、それはつまり、個人の利益を全体の利益よりも重く見ていることだと思う」と批判した兄アントワーヌは、戦地で毒ガスにやられる。こちらも皮肉な末路である。体を蝕まれ、死を覚悟した彼は、ジャックとジェニーの間に生まれたジャン・ポールにチボー家の未来を託し、甥に向けて日記をつけはじめる。『エピローグ』の後半は、この日記で占められ、1918年11月18日、「三十七歳、四ヶ月と九日」で自ら命を絶つまで続く。

 率直な心情を綴ったこの日記は感動的である。ジャックに関する言及は少ないが、弟が抱えていた矛盾や懊悩にふれる箇所(1918年8月5日)は興味深い。ここでアントワーヌは、ジェニーがジャン・ポールを教育する際、「ジャックが彼女に向かって脈絡もなしに語った思想、それを彼女のほうでもかなりあいまいにしかつかんでいない思想」を「主義」として受け継がせることは危険だと指摘する。冷静なアントワーヌとは異なり、ジャックは直情径行で激しやすく、自分の言葉に時折自信が持てなくなりつつも、「〜しなければならない」という至上命令によって矛盾を押しやり、前進しようとする。知行合一の活動家である。といっても、日記の中のアントワーヌは、ジャックに対して批判的なわけではない。むしろ自分自身の空虚な過去を振り返り、自省の念を込めながら、ペンを走らせる。

「矛盾撞着をおそれすぎるな。なるほどそれは居ごこちの悪いものかもしれないのだが、それは健康的なものでもあるのだ。おれの精神がどう解きほぐしようもない矛盾にとらわれているときこそ、おれは、ともすれば逃げようとするほんとの『真実』にいちばん近づけたように思ったことだった。もしおれにして、『ふたたび人生を繰り返さ』なければならないとしたら、それはあくまで『懐疑』の上に立ったものでありたいと思っている」
(山内義雄訳)

 これは1918年8月14日に書かれた文章である。かつてアントワーヌは、自分が資本主義の奴隷であるとは考えず、自由であり、独立した存在であると自負していた。典型的な仕事人間で、自分には「良識」があると思い、また、なんだかんだありながらも人生をそれなりに楽しんでいた。そんな人物のイメージを一新させるものがある。この時、彼は自分とジャックの相容れない考え方がジャン・ポールの中で調和することをどこかで期待している。ジャックの影響だけでは足りない部分を自分が補える、それによって自分たち兄弟が一つになれると考えているのだ。

 『チボー家の人々』の偉大さは、一つの時代の運命をとらえる的確な視点にあるだけでなく、アントワーヌとジャックという人物を生み出したことにもある。作者は兄弟のどちらかに偏ることなく、それぞれの立場から魅力的に描いている。おそらく、ある程度社会経験を積んだ人は、極端なジャックよりも、アントワーヌの方に親近感を抱くはずだ。若き闘士の叫びに辟易する人もいるだろう。しかし、ジャックがモンルージュで行った演説自体には真理が含まれている。私が時折ジャックの言葉を思い出すのは、インターナショナルの理念に賛同しているからではなく、当事国相互の認識の差を厳密に分析していない情緒的な反戦思想に感動しているからでもなく、いかなる脅威を前にしても自分には選択する力があり、その選択に責任を負わなければならないことを認識し直すためである。言うまでもなく、いざという時は突然やってくるのだ。

 『チボー家の人々』は深刻な内容を孕んでいるが、物語として面白いし、早い段階で個人の選択意識を養う上でも、少年少女が社会人になるまでの間に、一度は読まれるべき書物だと思う。
(阿部十三)

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