文化 CULTURE

古典の再創造 〜室生犀星 『かげろうの日記遺文』〜

2019.06.14
男と女の心理の深みに

 室生犀星の晩年に連載・刊行された『かげろうの日記遺文』は、それまでに40作以上書かれた「王朝もの」の掉尾を飾る傑作である。1959年に野間文芸賞を受賞した時、銓衡委員の一人、亀井勝一郎は次のように評した。
「女びとなるものへの、これほど夢ふかい作品を私は知らない。ちょっと読みにくい文章だが、それが何か薄明のやうな光りを放って、時に執念は凄く、また陰翳のふかい性の神秘の世界を描き出してゐる」

 犀星の「王朝もの」については時代考証がおかしいとか、文章が変わっているという声もあるが、この作品では、意欲に満ちた着想の大胆さと、古典を再創造するような文体の特異さが調和している。まさに特異としか言いようがないその文体は、読みやすいものとは趣を異にしながらも、清らかであり、組み紐のように精細、現代日本語の語句なのに平安の雅な表情がある。しかも、日本語の綾を選別し、男と女の靄がかった心理の深みに分け入る手先は驚くほど器用であり、人生と愛についての正鵠を射た金言を紡ぐ手際は鮮やかなことこの上ない。

町の小路の女

 1955年、犀星は藤原道綱母の『蜻蛉日記』の現代語訳を依頼され(実際に訳したのは小谷恒)、それを機に、この中に少しだけ出てくる「町の小路の女」に関心を抱いた。町の小路の女とは、時姫、道綱母を妻に持つ藤原兼家の新たな妻であり、『蜻蛉日記』では「天皇の孫にあたる女で、世をすねた皇子の落胤。言いようもなく悪い素性の女だ」と悪しざまに書かれている。犀星はこのはかない女性ーー兼家の寵愛を受けていたものの、生まれたばかりの子が亡くなり、静かに姿を消した女びとーーのことが気になり、そこに行方知れずの実母への想いを重ね合わせ、「冴野」という名を与え、外伝ともいうべき物語を紡いだのである。

 典拠としているのは『蜻蛉日記』の上巻・中巻であり、下巻に出てくる養女のエピソードはない。この辺は堀辰雄の『かげろうの日記』の影響を感じさせる。ただ、『かげろうの日記遺文』は町の小路の女・冴野に大役を担わせたフィクションであり、道綱母にも「紫苑の上」という呼称を与えている。『蜻蛉日記』や『かげろうの日記』と比較して違いを論じても、有意義な評にはならないだろう。

愛を知る女

 紫苑の上は冷たい美貌の持ち主である。19歳になると、時姫を妻に持つ兼家に求愛され、夫婦の仲になるが、羞恥とプライドのため、閨では男の気に入るようにはできない。衣装を着たり脱いだりする時、兼家が自分の体を凝視するのにも堪えられない。その賢しさゆえ、やがて夜離(よが)れが続く。兼家は町の小路の女に執心し、足繁く通う。

 町の小路の女・冴野は、虚飾とは無縁の女。愛する男といる時は無防備で、情が深い、兼家が求める「なまの女」である。柱があれば寄りかかるその動作は、彼女の気質を象徴している。とはいえ、兼家がほかの女のもとに通っても、嫉妬はしない、むしろそれでいいと考える。男に金品をねだることはなく、いずれ身をひくことになった時は静かに去ろうと考えている。浮気男には都合のいい女に見えるが、さにあらず、彼女は「女が持たねばならないあまさ」を沢山備えていて、男の愛の育て方、深め方を本能的に知っているので、一度関係を結んだら、むしろ男の方が執着することになる。

 自分の所にばかり通う兼家に対し、時姫、紫苑の上にも愛を分配するように進言するのは、2人の女性への配慮もあるが、それだけではない。「その親切さが余りに深く行きとどいていますので、却ってそれが永く続くかどうかに、気づかいが致されています」と看破する冴野は、これまでに何人かの男と関わった過去があり、一時に集中しすぎる愛、幸福すぎる状態というものが何かの拍子に破綻することを知っている。犀星はそれを「つまずき」と表現した。冴野は愛を知り、「つまずき」を知る女である。前夫・忠成は冴野を猛烈に愛するあまり、夜盗にまで身を落とそうとした。
 森鴎外の『青年』に「恋愛生活の最大の肯定が情死になる」という言葉があるが、おそらく忠成との愛が行き着く先もそこだったろう。冴野はそんなことを望んではいない。だからこそ、兼家のようなタイプの男性を時姫、紫苑の上と3人で分かち合うことは苦でも何でもないのだ。

「王朝もの」の女性像

 このような深さを持つ女の造型は、『津の国人』の延長にある。『伊勢物語』、『大和物語』を題材にしたこの中編小説で、犀星は関わる男たち皆を魅了する筒井という女を創造した。顔も心も美しい筒井は微塵の悪意も持ち合わせない。消息不明の夫のことも、奉公先の家族のことも、その次に仕えた家族も愛し、また、相手からも過剰なまでに信頼され、愛されている。それゆえに、彼女と関わった相手は、別れをこの上ない不幸と感じるほどの悲しみを味わう羽目になる。女に欠点がないので、男は恨むこともできない。罪なことである。

 『大和物語』を題材にした『姫たちばな』では、2人の男が橘をめぐって恋のさや当てをするが、やさしい橘にはどちらがいいとも決められず、男たちは殺し合いをしなければならなくなり相討ちして果てる。女の魅力、深い慈愛が、結果的に暗い運命を引き寄せる例である。
 『野に臥す者』のはぎ野は、「きらびやかな顔立」をしているが、それは「ことごとく危険なすぐ男の手にわたされるようなきらびやかさ」であり、望めば良い暮らしを得られたものを、野性的な男に自らの野性を呼応させる。こうなると、もはや道理を説いても仕方ない。「何ごとを説こうとしても、説く者に恥があるのだ」と感じさせるものだ。彼女は安定した生活を捨て、野性の道を突き進む。

 兼家が指摘するように、冴野には「情熱への回顧のためには、何者にも怖れない野性の女の一面」がある。和歌の才があれば、「柔肌の熱き血潮に触れもみで〜」と詠んだかもしれない。が、冴野は向こう見ずではないし、人生経験も豊富だ。愛と野性が仕向ける不幸を通過してきたであろう女である。だから「女というものの蜜」で男を喜ばせることができるだけでなく、過剰な愛の危険を説くことも、自分を求めて争おうとする男たちを冷静にすることもできる。

溢れる情痴を

 時姫にとって冴野はただの邪魔者だが、紫苑の上には必ずしもそうではなく、幽玄の雰囲気に包まれた2度の対話を経て、冴野の言葉と人柄に大いに影響される。「なまの女」冴野に諭された紫苑の上は、「女が女のからだを持っている」ということを考えるようになり、「この冴野という女は自分よりずっと経験(おぼえ)では年上であり、自分よりずっと学ぶもので心に鍛えがある」と見直し始める。情痴の講習である。そして冴野が誰にも金品を求めることなく、「平明無色の心構え」で静かに、「水のように引いた後の穏かさ」のうちに姿を消した後、紫苑の上は次のような考えを持つにいたる。

「及びがたい物は学や叡智ではなかったのだ、溢れる情痴を澄みかがやかせてこそ、女の奥の美しさが底から浮び上って来る」

 情痴を描く文学もここまで来ると一つの思想みたいだが、こんな尊い言葉は哲学書を読んでも見つかるものではない。

生涯を惹いてゆく美

 紫苑の上が父親の邸で初瀬詣りの準備をしている時、兼家がやって来て大暴れをする場面は、『蜻蛉日記』の中巻でもひときわ記憶に残るところだが、『かげろうの日記遺文』ではこれを「(冴野と)お逢いになれない悲しみから」起こした振る舞いと解釈し、そのように兼家をいたわる紫苑の上のことを、冴野に代わる良妻のように見せている。

 その晩、紫苑の上と床を共にする兼家が口にした言葉は、深く響く。兼家は、昔から紫苑の上が寝殿に入ろうとする時に見せる一瞬の動作、表情に惹かれていた。紫苑の上自身にすら意識されないその美しさは、兼家だけが知る「なりや姿からこぼれた和歌」だったからである。

「そなたはそれを知らないし誰もこれを見ている者がいない、私だけが何時もそれを眺めていた。この常に棄てられ顧りみられない美しさこそ、私の睫毛の中に住む人というものの魅力なのだ。人はお互にすぐ忘れてしまうような間際に、生涯を惹いてゆく美というものに、計らずも行き会う」

 人生の真諦にふれる言葉だ。紫苑の上が疎んじた兼家の凝視には、こういう意味があったのである。一方、紫苑の上もまた兼家のふとした仕草の中に羞らいがあるのを見抜く。その羞らいもまた「常に棄てられ顧りみられない」ものだ。こうして兼家と紫苑の上は共鳴し合う。かつて兼家は、冴野が和歌と文を「からだと頭で書いてみせていて」、それは兼家一人しか読み解く者がいないと口にしていた。兼家が何度も目にした、冴野が柱にもたれる動作もそんな和歌の一首である。親しい者にしか読み解けない「なりや姿からこぼれた和歌」こそ尊く、愛おしい。その考えは作中で一貫している。

 物語はここで終わらず、最後に、去ったはずの冴野が夢幻能のシテのように登場する。紫苑の上との3度目の対話、今度は対決である。2人は兼家を取り合う。これは夢の出来事なのか、本当に冴野がやってきたのか、「生きた二人の女というものが、思い余って一人になる」という言葉から、紫苑の上の中に冴野が棲んでしまったとみるべきなのか、それは分からない。

 ただ、冴野の手は冷却して凍えており、「土のような深い渦が瞳をふくらがしていた」とあるので、冴野の理性に反した死霊か生霊とみるのが自然だろう。兼家が冴野を選べば、2人の先には情死しか無いように思われる。かといって紫苑の上を選び、冴野を怒らせても災いがあるだろう。このような結末をみると、「水のように引いた後の穏かさ」で消え去る情痴などあり得ないと感じさせられる。
(阿部十三)


[参考文献]
室生犀星『かげろうの日記遺文』(2012年7月 講談社)
堀辰雄「かげろうの日記」(『近現代日本の文学 堀辰雄』 2018年9月 学研プラス)
木村正中/伊牟田経久 校注・訳『蜻蛉日記』(1995年10月 小学館)
上坂信男『室生犀星と王朝文学』(1989年7月 三弥井書店)
一色誠子「室生犀星『かげろふの日記遺文』論」(『室生犀星研究 第6輯』 1989年12月 室生犀星学会)
笠森勇「『かげろふの日記遺文』再読 -その評価をめぐって-」(『室生犀星研究 第30輯』 2007年10月 室生犀星学会)



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