文化 CULTURE

李賀 〜鬼才と呼ばれた詩人〜

2022.02.13
 「鬼才」と呼ばれている芸術家は沢山いるが、かつては「李白を天才絶と為し、白居易を人才絶と為し、李賀を鬼才絶と為す」と言われていた。人間離れした恐るべき才能を意味する「鬼才」とは、李賀のためにある言葉だった。
 字は長吉、皇族鄭孝王の子孫にあたるという。生年は791年なので、李白や杜甫が亡くなった後の世代に属し、同時代を生きた詩人に韓愈、白居易、杜牧がいる。その生涯は短く、亡くなったのは817年のことである。

 現存する詩は240首ほどで、その大半が独創性に富んでいる。21世紀の今も、読者はかつて目にしたことがない言語世界に接したような衝撃を受けるだろう。その超人的な言語感覚がもたらす幻想性には、感性を惑乱させる力がある。
 とはいえ李賀は、李白や杜甫のような誰もが知る詩人ではない。白居易の「長恨歌」や杜牧の「歓酒」ほど多くの人々に親しまれている詩もない。泉鏡花や芥川龍之介は李賀を好んでいたが、李賀論に類するものは書いていない。

 中国文学者の駒田信二は、李賀の特徴として「非凡な詩想」、「華麗な詩形」、「古代の神話的な世界」を挙げているが、これらが合わさって生まれる雰囲気は極めて異次元的で妖しい。時に唖然とするほど象徴主義的であり、漢詩の中で最も難解と評されることがある。
 私が李賀の詩に惹かれたのは、学生時代に「洛姝 真珠」を知ってからである。冒頭の四行を読んだだけで、その浮世離れしたイマジネーションの飛翔力、天衣無縫の言語感覚に驚かされた。

 真珠小娘(しんじゅしょうじょう) 青廓より下り
 洛苑(らくえん) 香風 吹くこと綽綽(しゃくしゃく)たり
 寒鬢(かんびん) 斜釵(しゃさ) 玉燕(ぎょくえん)光り
 高楼 月に唱え 懸璫(けんとう)を敲(たた)く

(真珠のように美しい娘が青空から舞い降りて、洛陽の庭園に香りの良い風がそよそよと吹く。寒々とした鬢に斜めにさしたかんざしが玉のツバメのように光っている。高殿で月に向かって歌いつつ、楽器を叩く)

 李賀は幼少時から詩才を示したが、有名になったのは韓愈に「雁門太守行」の詩稿を見せた時である。当日、韓愈は別の来客が帰ったばかりで疲れていたが、「黒雲壓城城欲摧、甲光向日金鱗開(黒雲城を圧し城摧けんと欲す、甲光日に向い金鱗開く)」の二行を読んですぐに李賀と面会し、非凡の才を確信して喜びを感じたという。17歳の時のことである。
 20歳の頃、韓愈の推挙により進士受験のため長安へ行くが、父親の名前「晋粛」の「晋」と「進士」の「進」が同音であり諱を犯すものとして受験できなかった。これには李賀を憎む者たちの計略があったようだ。挫折した李賀は、21歳の時、長安で奉礼郎として働き、2年後に病気のため辞任した。その後、友人を頼って潞州に赴き、2年ほど滞在して帰郷。その翌年、病状が悪化し、自宅で母親に看取られて亡くなった。妻子はなかった(諸説あるが、親友である沈子明は杜牧に「家室子弟なし」と伝えている)。非凡な詩才と皇族の血筋を誇る傲慢な性格だったと言われているが、母親と親友のことは大切にしていた。

 李賀の詩には超俗的かつ華麗な幻想性を特徴とするものが多い。その一方で、「二十にして心すでに朽ちたり」(贈陳商)や「零落棲遅(れいらくせいち)一杯の酒」(致酒行)など自身の人生に対する嘆きを綴った人間臭い詩句も少なくない。奉礼郎を辞めた頃には、「示弟」で次のように詠み、気持ちを切り替えようとしている。

 病骨猶能く在り
 人間(じんかん)底事(なにごと)か無からん
 何ぞ須(もち)いん 牛馬を問うを
 放擲して 梟盧(きょうろ)に任さん

(私は病気だが、まだ生きている。人の世にはいろいろなことがあるものだ。牛と呼ばれようが、馬と呼ばれようが、構うものか。賽子を振って、出たとこ勝負だ!)

 出世できないことはプライドの高い李賀にとって屈辱以外の何物でもなかったが、それが彼の超俗性に磨きをかけ、美的表現の追求を促したという見方もできる。その高潔な詩魂は、現世での仕打ちに時折嘆息を漏らしながら、またすぐに絶世の美女や妖怪が現れる想像の世界を縦横無尽に駆けめぐるのだった。
 次に挙げる二首の詩は独創性、幻想性が色濃く出たもので、李賀の代表作に数えられる。耽美的で、幽玄で、しかもその調子は格調高い。細かく意味を捉えようとすると、すり抜けていくような不思議さもある。そこがまた魅力である。

 蘇小小歌

 幽蘭の露
 啼ける眼の如し
 物として同心を結ぶ無く
 煙花は翦(き)るに堪えず
 草は茵(しとね)の如く
 松は蓋(おほひ)の如し
 風は裳(も)と為り
 水は珮(おびだま)と為る
 油壁(ゆうへき)の車
 久しく相い待つ
 冷ややかなる翠燭(すいしょく)
 光彩を労す
 西陵の下
 風雨晦(くら)し

(しのびやかに美しい蘭の露は、涙を浮かべた彼女の眼のよう。同じ心の二人を結ぶべきものなく、夕闇に包まれる花は贈ろうとしても切ることができない。草は敷物、松は車のほろ。風の音はきぬずれ。水の音は玉飾りの響き。油壁車に乗った彼女はいつまでも待っている。しかし冷ややかな緑の鬼火の輝きに疲れが見える。西陵橋のほとりは、闇中の風雨で荒れている)

 死せる美女のことを詠んだ詩である。蘇小小は5世紀末にいた有名な歌姫のこと。美女の幽霊が成仏せずに男を待っているのだ。どことなくテオフィル・ゴーティエの「死霊の恋」を思わせる世界観で、死の淵と隣り合わせの危うい美しさをたたえている。

 夢天

 老兎寒蟾(ろうとかんせん) 天色に泣く
 雲楼(うんろう) 半ば開き 壁斜めに白し
 玉輪 露に軋り 団光うるおう
 鸞珮(らんばい) 相逢う 桂香の陌(みち)
 黄塵清水(こうじんせいすい) 三山の下(もと)
 更まり変わること 千年 走馬の如し
 遙かに望めば 斉州 九点の煙
 一泓(いちおう)海水 杯中にそそぐ

(月に住む老いた兎、寂しげな蝦蟇が天空で泣いている。雲の御殿は半ばとびらが開き、壁は斜めに白く輝く。玉の車輪が露に軋り、球形の光が飛び散る。美しく着飾った仙女が木犀の花香る道で男と逢っている。三山のふもとでは、大地に黄色い塵が舞い、大海に清らかな水が漲っている。その千年の間の移り変わりも、疾走する馬のように慌ただしい。遥かに見下ろせば、中国の九つの州が小さなもやのように煙っていて、澄み切った海水が杯の中に注がれているかのようだ)

 「夢天」の仙女が男と会う場所を月の上とするべきか、この地上とするべきか悩む。月に木犀が生えていたという伝説があるので、李賀はそれを踏まえたのかもしれない。視点を「月の上」にすれば、「遙かに望めば」からのダイナミックな俯瞰の描写もすんなりと受け止めることができる。ただ、私には、「玉の車輪が露に軋り、球形の光が飛び散る」が単に月の様子を詠んだものと思えず、雲の分け目から仙女が車に運ばれて地上へと降りていくイメージがあるので、地上の男に会いに行ったと想像したい。

 李賀の「神絃曲」にも注目したい。神絃曲とは神を祀る歌。楽器に合わせて歌われ、神を楽しませることを目的とするものだ。しかし李賀の手にかかると、「神絃曲」は超自然的かつ不気味な趣を持ち、神が妖魔たちを退治するという内容となる。

 神絃曲

 西山(せいざん) 日は没して 東山(とうざん)昏し
 旋風 馬を吹いて 馬は雲を踏む
 画絃(がげん) 素管(そかん) 声 浅繁(せんはん)
 花袴(かくん) 萃蔡(すいさい)として 秋塵に歩(ほ)す
 桂葉(けいよう) 風に刷(はら)われ 桂は子(み)を墜し
 青狸(せいり) 血に哭し 寒狐(かんこ)死す
 古壁の彩蛟(さいきゅう) 金 尾に帖(ちょう)す
 雨工 騎(の)りて入る 秋潭(しゅうたん)の水
 百年の老梟(ろうきょう) 木魅(ぼくみ)と成り
 笑声碧火(しょうせいへきか) 巣中(そうちゅう)に起る

(西の山に日は落ち、東の山はほの暗い。旋風が吹き起こり神の馬は雲を踏んで駆け下りる。美しい弦楽器、清楚な管楽器、神を迎えて軽やかな楽の音が盛んだ。華やかな衣装がさらさらと鳴り、秋の砂塵を巻き上げて巫女は踊る。木犀の葉は吹く風に払われ、その実は落ちる。青い狸は血を吐いて泣き叫び、哀れな狐は死んだ。古壁の壁画にある竜の色彩画、その尾に金色がきらめく。雨の神はこれに乗って秋の水底に深く入る。百歳の梟は木の精に化け、濃緑の鬼火の燃える音が笑い声となって巣の中から起こる)

 李賀の詩は難解だが、不思議な力があり、無理に解釈をしようと努めなくても、その詩句に触れているだけで異様な世界に取り込まれてしまったような気分になる。極端に言えば、文字を見るだけでも感性が刺激され、異世界的な幻想が浮かび上がってくる。一行で読者の世界を変容させる凄まじい詩想だ。「鬼才」の異名は伊達ではない。
(阿部十三)


[参考文献]
荒井健注『中国詩人選集 第十四巻 李賀』(岩波書店 1959年2月)
齊藤晌著『漢詩大系 第十三巻 李賀』(集英社 1967年9月)
駒田信二著『中国詩人伝』(芸術新聞社 1991年7月)
黒川洋一編『李賀詩選』(1993年12月)


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