映画 MOVIE

エレオノラ・ロッシ・ドラゴ 〜誘惑の女神〜

2017.04.30
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 濃厚な色気をたたえた美女である。セクシーな女優は銀幕の世界にごまんといるが、エレオノラ・ロッシ・ドラゴのセクシーさは群を抜いている。彼女の色気は、艶気と言い換えた方がいいかもしれない。それもあけっぴろげなものではなく、万人に恵まれる慈雨のようなものでもなく、もっと秘事的で、重みがあり、男を官能にのめり込ませる妖しい艶気である。また、上流階級の女性を演じていた印象が強いため、芳しい「高嶺の花」感もある。秘事的な官能性ではフランソワーズ・アルヌールも負けていないが、アルヌールの方は庶民の役のイメージがあり、しかも小柄で、親しみやすいので、そこがエレオノラとの違いと言えるだろう。

 エレオノラ・ロッシ・ドラゴは目も口元もスタイルも声も色っぽく、男の神経をとらえて離さない。しかし出演作を繰り返し観ていると、彼女の最大の武器は、美しい首なのではないかという気がしてくる。それほど絶妙な長さと細さなのである。その首が軸となり、上品なのに、官能的で、濃艶な雰囲気が醸し出される。世が世なら英雄たちを虜にし、陰で歴史を動かす誘惑の女神になっていたに違いない。

 いくつかある代表作の中で、最も忘れ難いのは、ヴァレリオ・ズルリーニ監督の『激しい季節』(1959年)。戦中のイタリアを舞台に、裕福な若者たちの享楽的な日常を描き、やがて動乱の波にのみ込まれていく様を描いた作品である。この中で当時34歳のエレオノラは、上流の家に生まれ育ち、今は戦争未亡人になったロベルタを演じ、ファシスト幹部の息子カルロ役のジャン=ルイ・トランティニャンとの激しいラブシーンで観客を魅了した。マリオ・ナシンベーネの猛烈なほど劇的なテーマ音楽にのせて、強く抱き合って歩き、キスをして、また抱き合って歩くシーンは、二つの心と体をより強く深く結びつかせようとする肉体表現として、究極である。その後まさかのヌードシーンもあり、戦争そっちのけの頽廃ムードが漂う。

 まだ2人が深い仲になる前、カルロの大邸宅に若者たちが集まり、「テンプテーション」をかけながら踊るシーンもドラマティックだ。甘いメロディーが流れる中、遠方で2発の照明弾が夜空に放たれる。照明弾はあたかも夜空で踊っているかのようだ。戦火が迫っていることに、若者たちは少し緊張しつつも、まるで花火でも見るかのようにその光を眺め、間もなく踊り始める。義妹のお供でやって来たロベルタも若者と踊る。その様子を、カルロが別の女性(ジャクリーヌ・ササール)と踊りながらじっと見つめる。カルロの熱烈な視線にロベルタは戸惑うが、逃れられない磁力を感じ、2曲目がかかると、カルロに誘われるまま踊り、キスをする。忌憚なく言って、観ている方が恥ずかしくなるような展開だ。しかし、ヒロインの尋常ならざる妖艶さゆえ、そこに必然性が成立する。「こんな女性がいたら、どんなドラマが起きてもおかしくない」と。

 恋に落ちた2人だが、やがてムッソリーニが辞任し、カルロの父親は失脚、カルロも行き場を失う。そんな混乱の中、激しいラブシーンが繰り広げられるわけだが、「戦争の犠牲になるのはこりごりよ」とか「あなたなしではいられないわ」と言って、恋人を別荘に連れて行こうとするロベルタの気持ちに反し、カルロの方は父親の権力のおかげで今まで徴兵を免れてきたことを疚しく思い、「僕だけが助かる気はない」と言い出す。そして......2人は別荘へ向かう電車に乗っている時、爆撃機に襲われ、戦争の現実を直視することになる。

 私が昔テレビで初めて観た時は、ベッドシーンはなく、服を着て浜辺で夜を過ごすシーンに差し替えられていた。それを録画したビデオがぼろぼろになったので、社会人になってから新宿でビデオを借りて観てみたら、ヌードが出てきたので、最初は目を疑ったものである。それはともかく、エレオノラとしても全身全霊を傾けた大仕事だったのだろう。彼女はこの作品で銀リボン主演女優賞を受賞している。

 もともとは美人コンテストの出身で、映画デビューした時はすでに20代半ばになっていた。シルヴァーナ・マンガーノやジーナ・ロロブリジーダに比べると、スターになるまでに時間を要した感があるが、その美しいプロポーションを活かして、男臭い戦争映画『人間魚雷』(1953年)で魅力的な女スパイを演じ、柔肌をさらして歌う登場シーンで観客の目を釘付けにした。ここからスターへと駆け上がるのである。

 女優としての知名度が一気に上がったのは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『埋れた青春』(1954年)で、姉(マドレーヌ・ロバンソン)の夫(ダニエル・ジェラン)と不倫関係に陥る義妹を演じてからのこと。その後、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『女ともだち』(1955年)で主役を演じて評価された。チェーザレ・パヴェーゼの原作を愛する者としては別物と言いたくなる内容だが、映画自体はアントニオらしい虚無感が出ていて面白い。エレオノラの役は服飾店の支店開設を任された、仕事に生きる女クレリアで、モード系ファッションに身を包み、スタイルの良さをアピールしている。エレオノラ自身、服飾デザインの経験があるので、これははまり役であった。

 『埋れた青春』ではマドレーヌ・ロバンソンの演技の方がどうしても上に見えたものだが、『女ともだち』では十分演技力を発揮し、難しい役に説得力を与えている。とくに、女友達の一人が起こした事件をきっかけに、交友関係に終止符を打ち、仕事でもピンチに陥ったクレリアが、いつも自分の味方でいてくれる建築技師の助手カルロと一緒になろうとして、そこから急展開があり、結局仕事を選ぶにいたるドタバタの終盤は、彼女の演技力のおかげでリアリティを獲得している。ラストで電車に乗り、男に見送られるところと、その男の名がカルロであるところが、4年後に撮られた『激しい季節』と同じなのも特記しておきたい(『女ともだち』では、男は女に見つからないように隠れて見送る)。ズルリーニはこの作品を意識していたのだろうか。

 やはりエレオノラにはリッチな雰囲気が合っている。コメディ映画『L'IMPIEGATO』(1960年)ではメガネをかけている時の顔と外した時の顔のギャップが効果的で、主人公(ニーノ・マンフレディ)の夢の中でエロティックな下着姿になり、キスするシーンで首を強調するところも良い。同じくコメディで、ヴィットリオ・ガスマンが活躍する『もしお許し願えれば女について話しましょう』(1964年)では、建物の最上階に住むインモラルな貴婦人を好演。男の理性をおかしくさせるような色気を振りまいていた。

 ピエトロ・ジェルミ監督の『刑事』(1959年)で演じたのは無惨に殺される役。しかも当時新人のクラウディア・カルディナーレの方が目立ち、新旧世代の入れ替わりを感じさせるため、ファンとしては寂しいが、同時期に出演した『南十字星の下』(1959年)では、マルコの母親役を演じ、〈母をたずねて三千里〉のイメージを損なわぬ美しさを示した。1960年代後半からはあまり役に恵まれず、45歳で引退、1973年に実業家と再婚した(最初の結婚は17歳の時)。

 洋の東西を問わず、映画史における絶対的美女は、もうすでに1950年代までにはあらかた世に出ていて、1960年代以降は相対化されているだけではないか、という考えにとらわれることがある。エレオノラのような真の美女の存在感には重みがある。その重みにたえる器がなくなったのだろう。稀に凄い美女が映画界に現れても、主流にはならない。これを世の中の価値観が変わって現実的になったからだ、と言って片付けるのは簡単すぎる。
(阿部十三)


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[エレオノラ・ロッシ・ドラゴ略歴]
1925年9月23日、イタリアのジェノヴァ生まれ。1942年に結婚し、若くして母親になる。マネキンやファッションデザインの仕事を経て、1947年に行われたミス・イタリアのコンテストに出場。4位になって注目され(1位は『オリーヴの下に平和はない』のルチア・ボゼー、3位は『花咲ける騎士道』『パンと恋と夢』のジーナ・ロロブリジーダ)、1949年に映画デビューした。1955年、『女ともだち』への出演を機に女優として評価されるようになり、1959年の『激しい季節』で銀リボン主演女優賞を受賞。1970年に映画出演したのを最後に引退。その後は再婚相手とパレルモで暮らしていた。2007年12月2日、脳出血により82歳で死去。