文化 CULTURE

パチモンソングの危険な香り 昭和の子供を騙した非合法音源

2011.09.10
 眠れないある夜のこと。僕は何のあてもなく、ダラダラと動画サイトを見ていた。そして、ハッ!と目を惹くものに行き当たったのだ。「マッハバロン」と、そこには書かれてあった。『マッハバロン』とは1974年〜1975年に日本テレビ系で放映されていた特撮テレビ番組だ。その存在を僕が知ったのは、ごく最近。内容は完全に子供向けであり、特撮マニアというわけでもない僕は、ケーブルテレビで1回観ただけで飽きてしまった。しかし、テーマソングには感銘を受けていた。作曲は井上忠夫。ロックンロール調のサウンドで、ギターのインパクトが凄かった。「駆け出しの頃のCharさんが弾いているらしい」という噂があるようだが、それも納得のダイナミックなプレイであった。また、阿久悠による歌詞も秀逸! 特に《じゅうりんされてだまっているか》というフレーズが光っていた。悪の軍団によって平和な生活を奪われてしまうことを、「蹂躙」という脂っぽい言葉で表現した子供番組の主題歌は、おそらくこれだけだろう。

 「『マッハバロン』じゃん!」と、僕は喜んで再生した。しかし、イントロからして様子がおかしかったのだ。ギターを覚えたての中学生が弾いているかのようなタドタドしいプレイがスカしっ屁のように歯切れ悪く飛び出し、遠慮気味に合流したハモンドオルガンが気持ち悪いムードを効果的に高めていた。そして、さらに気色悪かったのが本編のヴォーカルだ。湯船に浸かった酔っ払いオヤジのような安っぽいエコー、ヤケクソ気味の歌声のトーンに仰天! さらには歌詞の《じゅうりんされて》が《チューニングされて》にアレンジされているのは一体どういうわけか? 「ギターを誰かに勝手にチューニングされて、怒っているギタリストの歌」という解釈による別バージョン? 「変なチューニングをされてしまったから、ギターのプレイがひどいんです」という言い訳? 混乱した僕であったが、すぐにこの異常なサウンドの理由を知った。再生動画のタイトルをよく見ると、「マッハバロン パチソン」と書かれてあったのだ。
 「パチソン」とは「パチモンソング」のこと。つまり、本物=TVなどで使用されている公式音源ではなく、偽物=誰かが勝手にレコーディングをして発売した音源、という意味だ(「変なカバー=パチソン」と総称されることもあるが、「パチモン=違法コピー商品」なので、この原稿では「パチソン=無許可の非合法音源」という意味で使用する)。『マッハバロン』のパチソンを聴いて、僕の中で記憶が一気に蘇った。僕が幼少期を過ごした昭和50年代は、この手の音源はごく普通に流通していた。主にカセットテープで販売されていて、近所のスーパーマーケットの店頭などに当たり前のように並んでいたのだ。きちんと許可を得て制作されていた商品もあったのだとは思う。しかし、正規のレコードに較べて不自然なくらいに値段が安かったはずだし、制作プロダクションやTV局の壁を軽やかに超越した奇跡の選曲、人気キャラクターが不自然なくらいにひしめき合うパッケージが、今思い返してみると多かった気がする。おそらく大半は非合法商品だったのだろう。「わーい、『ドラえもん』も『ひみつのアッコちゃん』も『マジンガーZ』も入っているなんてすごい!」とか大喜びし、親にねだって買ってもらった昭和の子供達は、家に帰って聴くや否や「変なおじさんが歌っている!」と、ショックを受けたはずだ。幸か不幸か僕はこの手のものを買ってもらったことはなかったが、子供の頃に何人もの友人宅で聴かされたことがある。他人に聴かせることによって、ショックが少しは和らいだのだろうか。

 僕が覗いた動画サイトには、その他にもいくつものパチソンが投稿されていたが、インチキくさいムードを放つものばかりであった。そしていろいろ聴き込んでみた結果、パチソンにはいくつかのポイントがあることを僕は知った。

 タイプ1「自分勝手なアレンジ」:無許可で曲を演奏するとはいえ、楽譜は必要となる。とはいえ、オリジナル音源の楽譜が市販されているとは限らない。耳コピーをして、独自に楽譜に起こさなければならないケースが大半だったことだろう。しかし、良い曲とは非常に繊細で凝ったアレンジが施されているものだ。耳で聴いただけで様々な楽器のフレーズを正確に捉えるのは至難の業。とんでもなく出鱈目なアレンジによるパチソンがしばしば発生するのもごく自然なことだ。そして、参加ミュージシャンの演奏の力量が低い場合、不気味な音の響きは一層増幅されることになる。僕が聴いたパチソン版『マッハバロン』は、これらの悪条件がダイナミックに重なった奇跡のバージョンなのだと思う。

 タイプその2「変なタメ」:原曲を無視した変なタメを散りばめた歌が、パチソンの多くには見られる。パチソンシンガーなりにオリジナリティを出そうとした努力の表れなのだろうが、その自己主張が報われているケースは、僕が聴いた範囲では皆無だ。どういうわけか勇ましいヒーローもののパチソンで、このタイプを頻繁に聴くことが出来る。

 タイプその3「モノマネの悲惨な失敗」:楽器の音色は機材をそれなりに揃えればオリジナルに似せることが出来るが、人間の声ばかりはそうもいかない。歌声を似せるのも難しいが、さらにハードルが高いのがキャラクターのセリフが挿入されている曲だ。『ドラえもん』『元祖天才バカボン』は、まさにそれに該当する。パチソン版『ドラえもん』の《はい! タケコプター》という曲中のセリフは、実にサタニックで不穏な響きを帯びていた。

 タイプその4「子供のコーラスは人さらいの香りがする」:昭和時代のアニメ、特撮番組の主題歌は、子供のコーラスが多用されていた。パチソンもそれを再現しようとするわけだが、怪しげな業者に対して子供の歌手を派遣するプロダクションがそうそうあるとは思えない。パチソン業者は自分の子供や知り合いのつてなどを使ったのだろうが、近所の空き地で遊んでいる子供達を、チョコレート1枚などで釣って歌わせるようなケースもあったのではないだろうか。素人くさい子供のコーラスは下手なだけでなく、何とも言えず物悲しい響きがある。僕が聴いたパチソンの中だと『勇者ライディーン』が強烈であった。

 タイプその5「原曲が清らかなテイストの場合、そこそこまともな仕上がりに落ち着く」:『フランダースの犬』『アルプスの少女ハイジ』は、パチソンの中でも面白みを著しく欠くほどまともであった。女性が綺麗な声で歌っているからだろうか? それとも、パチソン制作者達が原曲の清らかさに心を打たれ、良心の呵責に苛まれてしまったからなのか?

 パチソンは今でも地方のディスカウントショップなどで時々ひっそり売られていることがあるらしい。しかし、僕は都内で見かけたことはない。さすがに堂々と販売出来る世の中ではなくなったのだろう。非合法のものが衰退するのは当然だ。何かを創作して生計を立てている人の権利は絶対に守られなければいけない。しかし、このようなパチソンが大っぴらに流通していた時代のおおらかさには、切り捨ててはいけない大切な何かがある気がする。社会の「余裕」「遊び」とでも言うべき素敵な柔らかさを感じるのは、単なるノスタルジーなのだろうか?

 昭和の子供達を騙したパチソン制作会社の社員達、参加したミュージシャン達は、現在どうしているのだろう。その後、きちんとした仕事で成功を収めた人がいるならば、僕はちょっと嬉しい。僕の同年代の子供達は彼らに一杯喰わされたわけだが、今になって思えば、それもちょっと胸がキュンとする記憶だ。「世の中、甘くないことをパチソンが教えてくれた!」と言ったら、いくらなんでも言い過ぎなのだが、この思い出は案外そんなに悪くない......とか気取った調子で言えるのは、僕がパチソンを掴まされたことがないからなのかもしれないなと、今ふと思った。パチソンに騙されたトラウマを今も抱えている人がいるならば、ごめんなさい。
(田中大)

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