文化 CULTURE

吉田秀和 石を握りしめていた音楽評論家

2012.06.02
 2012年5月22日、吉田秀和氏が急性心不全のため亡くなった。その5日後の日曜日、私は新しいパソコンを買うために行った家電屋で、このニュースを知った。ネットがちゃんとつながるかどうか店員さんに確認してもらっている時、アクセスした某ポータルサイトのトップページに載っていたのである。
「音楽評論家の吉田秀和氏死去」

 高校の図書室にあった吉田秀和全集を思い出す。
 最初に手に取ったのは、6巻の「ピアニストについて」だった。その劈頭を飾る「ホフマンとソロモン」の章に、私は引き込まれた。
「『月光』は非常にゆっくり始まる。いくらアダージョ・ソステヌートといっても、これほどゆっくりしたのは、ほかにきいたことがない。しかし、これは歩みではなく、流れである。一つ一つの音の粒が揃っていること。その油をひいたような滑らかさの中に、内側からの感情の充実があること。稀代の名演である」
 これを読んだ後、無性にソロモンの「月光」が聴きたくなった。それまで音楽の添え物として読み流していた音楽批評。その世界に初めて心を動かされた。

 周知の通り、吉田氏は1950年代に洋行し、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやハンス・クナッパーツブッシュ、ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、フリッツ・ライナーなどの指揮に接している。中原中也をはじめとする昔の文人たちとの交流もよく知られている。が、そういう人にありがちな「昔はよかった」的論調にならず、新しい世代の芸術を積極的に紹介し、評価していた。グレン・グールドのような規格外の演奏家にも最大級の評価を与えた。その姿勢は90歳を超えても変わらず、若手演奏家たちの録音に耳を傾け、コンサートホールに足を運んでいた。仮に、自分が90歳を超えたとして、果たしてそんなことをしようという意欲が湧くものだろうか。そう考えると、そのヴァイタリティーは驚異としかいいようがない。

 吉田氏以前の日本の音楽評論を読むと、主観の一点張りで、作曲家や作品のことをろくに調べていないことが透けて見えるレベルのものが少なくない。吉田氏はそこへ一石を投じた。楽譜を用いて実証的に解説し、音楽に限らず様々な知識を盛り込み、平明な文章で音楽家の長所や短所を説いた。「ああでもない、こうでもない」と論点がぼやけたり、肝心なところで「わからない」と言い放ったりすることもあるが、そういうところも含めて、自分に対して正直に書く。自己を表現しながらも、批評としての客観性を保つ、というバランスの取り方がうまい。

 「こっちを絶賛するために、あっちを徹底的にけなす」という、読者に末梢的興奮をもたらすやり方にも、ほとんど興味を示さなかった。この作品を理解できない奴は格下だ、といわんばかりの一種のアジテーションは、評論の世界では別段珍しいものではない。おそらく誰でも本音レベルでは、「自分が評価しているものこそ最高なのだ」という真情を抱いている。ただ、それを露骨に出して、「こっちの本物を好んでいる自分は最高。あっちの偽物を好んでいる他人は最低」と躍起になって叫ぶデマゴーグ的論調は、安易で幼稚に見える。本物と偽物を軽々しく比較すること自体、本物にとって無益な巻き添えであることを忘れている。しかも、そういう論調は、本物を讃えることより、偽物をやっつけることに感情の力点を置きがちだ。これでは本物の良さは正しく伝わらない。ただのディベート評論である。批判する時は、無理のある比較に頼らず、なぜそれが批判すべき代物なのか、その急所を突くことが肝要だ。

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 ここ数年、吉田氏の連載を読みながら、かつて『主題と変奏』で誰かに投げつけるために石を握りしめていた青年の手のくぼみがすっかり消えてしまったような、そんな物足りなさを感じていた。その記事から刺激や発見を得ることは、すでになくなっていた。
 とはいっても、音楽評論をする者にとって、吉田秀和という人は、影響を受けている受けていないに関係なく、巨大な壁のような存在である。例えば、文芸評論の分野で小林秀雄がそういう存在であったように。知識もコンサート体験も豊富で、交際範囲が広く、長寿で、90歳を超えてなお現役最高の音楽評論家といわれていた吉田氏は、自身にはそのつもりはなくても、いわば絶対的信頼の印のような存在だった。その周辺には、彼が書くことなら何でも許される、という雰囲気ができあがっていた。

 実は、私自身は、吉田氏が薦める録音を無条件に良いと思ったことはほとんどない。福田恆存や磯田光一や前田愛の評論から受けた、物の見方の根本を揺るがすような深甚な衝撃を、吉田氏の文章で味わったこともない。しかし、なんといっても、「音楽評論って面白いな」と思わせてくれた最初の人である。98歳の大往生だが、喪失感が湧いてくるのは抑えようがない。と同時に、文章を書く者として、次の言葉は肝に銘じておきたいと思っている。これは、『レコード芸術』2011年7月号の吉田秀和特集に掲載されている対談「吉田秀和×白石美雪」での発言である。
「常に成長しなくてはならないのは苦痛ですが、それは物を書いている人間の責任です。それを裁くのは、あなたの内心の声と外の声と、2つあるけれどね。自分の立ち位置で書いて、ゲーテじゃないけれども、お前の立場を死守せよ、だよ。批評で一番大事なことはそこだと思います。どこに自分が立っているか。この旗をここに立てましたとわざわざ書く必要はない。でも、読んでいてそれが出ていなきゃだめなんじゃないかな」
 お前の立場を死守せよ。この人は、やはり最後まで『主題と変奏』の作者だったのである。
(阿部十三)