文化 CULTURE

絶対レコード主義 アナログ盤の音色よ永遠に

2012.06.23
 少し前の話になるが、2011年4月12日、四半世紀来の男友だちSが不治の病に冒されてこの世を去った。享年52。遺されたのは、奥さんと1万枚以上にも及ぶアナログ盤のレコード。

 筆者の知人・友人の中で、R&B/ソウル・ミュージックを語らせたら、彼の右に出る者はいなかった。とりわけ、いわゆる〈甘茶系〉と呼ばれる音楽、即ちスウィート・ソウルへの造詣は深く、どの曲がLPのどちらの面(A or B)の何曲目に収録されているかまでをも克明に記憶していた。レコード・マニアの隠語に、A面の最後に収録されている曲を〈Aラス(A面のラスト・ナンバーの略)〉、B面のそれを〈Bラス〉と呼ぶというのがあるが、Sはマニア風を吹かせるわけでもなく、ごく自然にそうした隠語を口にしていた。他にも〈オリジ(オリジナル盤の略)〉、〈カット盤=カットアウト盤(廃盤)の略〉などなど。そしてこちらの質問にも、驚異の記憶力で瞬時にして答えてくれたものである。最愛の音楽仲間にして最愛の男友だちだったSの死から1年以上が経過しても、未だに喪失感を拭えない。

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 生前のSは、筆者によく「ねぇ、これ(あるアーティストのCD)のオサラ(お皿、即ちレコード盤)って出てないの?」と訊ねたものだ。生前、ソウル・バー勤務だった関係上、店内のDJブースで流す音源はアナログ盤に限られていたため、気に入ったアルバムのLPを入手する必要があったからである。かつては、1枚のアルバムにつき、LP、CD、カセット・テープーーアメリカではカセットの需要が日本に較べてしばらく衰えず、CD全盛時代にも製造を継続していたーーが同時発売されたこともあったが、アメリカで真っ先に姿を消したのはLPだった。それでも、日本よりもLP製造の停止はだいぶ遅かったと記憶している。アメリカのレコード会社から関係者に配られる音源(正式なリリース前のサンプル盤)がようやくCDに統一されつつあったのは、1990年代前半〜半ばのこと。ニューヨークの某レーベル勤務の女性から、取材で赴いた際にそうした類のサンプルCDを何枚か渡された時、「これのヴァイナル(アナログ盤)はないの?」と、如何にもSが言いそうな質問をその女性にしてみたところ、「どうしてヴァイナルがいいの? CDの方がずっと音が良くて扱いも簡単なのに!」と大袈裟に驚かれたものだ。彼女の意見は、1982年秋にCDが初めて世に出現した時に多くの人々が抱いた感想に似ている。某音楽ライター氏が、1970年代初期のあるアルバムが初CD化された際、音楽誌に「スタジオ内の雑音まで聞こえる!」と、感動に顫えて書いていらっしゃったことが今となっては懐かしい。

 CDの方がずっと音が良くて扱いが簡単。確かにスプレーもクリーナーもほとんど必要としないCDは扱いが簡単だろうが、鏡面(裏面)に傷をつけてしまったら最後、音飛びを覚悟しなければならない。レコードだって傷が付いたら針飛びするだろう、というご意見もごもっとも。が、筆者は針飛びを治す秘策を遥か昔にレコード・マニアの旧友から教わり、今でもそれを実践している。用意するのは、虫眼鏡と先端が極細の縫い針。もうお判りだろうが、針飛びを起こしている箇所を拡大して見、細心の注意を払いながら傷の部分に縫い針で〈溝を彫る〉のである。至って単純な方法だが、このやり方で、実際にマーヴィン・ゲイの幻のライヴ盤と言われた『MARVIN GAYE RECORDED LIVE ON STAGE』(1963年/2009年、日本で紙ジャケ仕様で初CD化)の針飛びを治した。〈ブチッ〉という雑音は残るものの、以後、針飛びは改善されたのである。過去に同じ手法で1960年代のLPやシングル盤の針飛びを何枚も治してきた。翻ってCDには、この〈音飛び治療〉を施すことはできない。

 そのCDさえも、今や過去の産物となりつつあるのだろうか。例えば1990年代初期にリリースされた洋楽の日本盤CDがネット・オークションなどで高値で出ているのを見るにつけ、諦めにも似た溜め息が漏れる。アナログ世代であるせいか、筆者はCDにそこまでの価値を見出すことはできない。故に、未だに中古レコード屋巡りをやめられずにいる。アナログ盤しかなかった時代、その当時の人々が聴いていた音と同じ音で聴きたい、或いはそのLPの完成時にアーティストが耳にしていた音と同じ音を体感したい、というのがアナログ盤をこよなく愛する最大の理由。特に、CD登場以前の音は、アナログ盤で聴くのが本道、というのが筆者の決して譲ることのできない持論である。但し、昨今、日本のレコード会社が競い合うようにしてリリースしている旧譜の紙ジャケ仕様CD(あのミニチュア・サイズの紙ジャケはアイディア賞ものである)の中には、限りなく原音に近い音を再現してある盤もあり、エンジニアさんの手腕に唸らされることもしばしば。逆に、高音質化に執着する余り、演奏部分の音を細部に至るまで拾ってしまい、ために、肝心のヴォーカルが演奏に紛れてモゴモゴと聞こえてしまう代物もある。過ぎたるは及ばざるが如し。

 CDに愛着を感じられない理由は、小さなジャケ写にもある。LPの約4分の1サイズのジャケ写は何ともつまらないし、プラスチック(もしくはジェル)・ケースをうっかり落として割れてしまった時などは、本当にガックリしてしまう。落とした際の衝撃でCDがケースから飛び出して鏡面が傷むことも...。だいぶ前のことだが、気に入っていたCDの鏡面に傷をつけてしまい、同じものを買い直したことがあった。扱いが簡単で便利である反面、CDはかくも脆い代物なのである。

 知り合いの20代の男性は、CDプレイヤーを持っていない。某レコード会社のディレクター氏に言わせると、「そんな話を聞いても今じゃ驚かない」そうだが、音楽の聴き方が浅薄になってきている、と思うのは、やはり筆者がアナログ世代の旧弊型人間だからだろうか。その知人男性曰く「父のCDプレイヤーで高音質のCDを聴いても、ダウンロードした音との違いがサッパリ判らない。〈デジタル・リマスター〉って言われても、はぁ?てな感じです」。音楽を〈持ち歩いて〉聴くのがごく当たり前の鑑賞法になっている今、その知人男性と同じ感想を抱いている人は相当数に上るのではないだろうか。

 アナログ盤レコードは、100年以上の歳月を経ても聴けるが(ちなみに、拙宅にある最古のアナログ盤レコードは1957年リリースのシングル盤/今でもちゃんと聴ける)、CDは劣化して聴けなくなる、という話をだいぶ前に聞いたことがある。何でも、CDの表面に施されたアルバム名や曲名、写真/イラスト等の染料がCD盤に徐々に沁み込んで、音そのものに影響を及ぼすのだという。1982年にCDとCDプレイヤーが誕生してから、たかだか30年しか経っていないため、真偽のほどは確かめようがない。CDが出現した時、大多数の人々が〈アナログ盤はそのうち消える運命にある〉と確信していたことだろう。が、近年、アナログ盤の復活(逆襲というのは言い過ぎか?)をあちらこちらで見聞きするようになり、そこに一筋の光明を見出している。

 常々「アナログ盤は素晴らしい!」と熱弁を振るってきた筆者に、ある音楽誌の編集者がこう言い放った。「アナログ盤を好きな人はみんなそう言いますけどね、例えばLPのA面を1曲目から聴いていくとするでしょ。そうすると、A面の最後の収録曲に向かうにつれて、音質が悪くなるって、アナログ盤を作ってるエンジニアの人が言ってましたよ」。はー、そうですか。つまり、そのアルバム(LP)の中で一番好きな曲がどちらかの面の最後に収録されているとするなら、アナログ盤愛好家にとってはそれが悲劇になると。言わせておけ、と思った。少々の音質の低下が何だというのだ。そんなことをいちいち考えながらレコードを聴いてきたアナログ世代が一体どれほどいるというのだろう?

 今でも知らない街へ出掛けた時に、ふと目についた中古レコード屋に足を踏み入れずにはいられない。これはもう条件反射みたいなもので、店の前を素通りすることができないタチである。もちろん、「何か掘り出し物があるかも知れない」という下心が頭をもたげるのだが......。そしてそこには、何かしらの掘り出し物がある。なくても無理やり見つける。レコード愛好家ならぬレコード偏愛家の旧友は、「中古レコード屋に行ったら、欲しいものがなくても必ず1枚は買ってしまう」と言っていた。筆者もまた、中古レコード屋から手ぶらで出てきた試しがない。抗い難い魅惑の空間、それが中古レコード屋(古書店もそうだけど)。中古レコードも古本も、歳月を重ねてきた独特の〈匂い〉を持つ。中古LPの場合、紙ジャケットが時代の匂いを充分に吸い込んでいるため、カビとも埃とも言えない、言葉では言い表せない何とも時代がかった〈芳香〉を放つのだ。それは、中古レコードや古書をこよなく愛する人間の嗅覚をどこまでも刺激する。「この匂いがたまらないのよねえ」と言った筆者に、Sは生前、苦笑しながらこう言った。「それ、ヘンだよ。まあ、オレも人のこと言えないけど(笑)」。そしてその〈匂い〉は、ネット・ショッピングでは決して味わえない。

 教えている翻訳学校では、時折、講義の教材に用いた曲が収録されているLPを持って行って生徒さんたちにお見せする。中には、「素手で触ってもいいんですか?」と真顔で訊いてくる生徒さんも......。レコードは断じて骨董品ではない。見て触れて、そしてターンテーブルに乗せて聴くものだ。思う存分、私物のレコードを触らせてあげる。そして感触を味わってもらう。「レコードは扱いが難しいと思うかも知れませんが、それは違います。私なんて、かなりぞんざいに扱ってますよ。なのに、何十年経ってもビクともしないし、今でもちゃんと聴けます」。そう言うと、やっとホッとしてLPに触ってくれる。「ジャケットが大きくていいですね」ーーそう言ってもらえると、心底、嬉しい。LPサイズの約4分の1のCDに較べたら、そりゃあ大きいに決まっている。飾って映えるLPのジャケ写。筆者の仕事部屋には木枠のフレームに入ったLPのジャケ写が5枚ほど飾ってある。そして毎日それらを眺めつつ、今日もまたアナログ盤をターンテーブルに乗せて嬉々として聴くのだ。2012年というこの時代に。
(泉山真奈美)


【関連サイト】
続・絶対レコード主義
アンチ・デジタル反乱のスローガンは、「君のターンテーブルは死んでいない」