文化 CULTURE

美術館の底力 根津美術館について

2013.04.06
 そこは、〈都会のオアシス〉などという陳腐な言葉に置き換えるのが憚られるほど、幽玄で心地好い静寂に包まれた空間。行く度に身も心もゆったりとした気分に浸れ、なおかつ極上の美術品を鑑賞したという満足感にも包まれて、終いにはその場にいつまでもいつまでも佇んでしまいたくなる。筆者が最も愛する美術館のひとつ、根津美術館(以下、根津美)とは、そうした場所だ。

 手持ちの『全国美術館ガイド』(美術出版社/2002年発行の第2版)の根津美の項目には、次のようにある。〈昭和15年に先代根津嘉一郎により創立され、翌年開館。昭和20年5月に戦災を受けたが、幸い美術品は罹災をまぬがれ、昭和29年に美術館本館が再建され、昭和39年に増築し、平成2年には創立50周年記念事業として増改築が行われた〉ーー何よりも先ず、超一級品の所蔵品が戦火を免れて無事だったことを言祝ぎたい。長年にわたって、同美術館の深い懐に抱かれつつ大切に保管そして展示されてきたあの素晴らし過ぎる所蔵品の数々が、ひょっとしたら戦争の犠牲になっていたかも知れない......と思うと、それだけで背筋が凍り付いてしまうからだ。

 日本美術や工芸品を愛でる人ならば、一度は根津美に足を運んだことがあるだろう。2006年5月から約3年半、改装工事のために休館していたのだが、その間も、根津美に行きたくて行きたくてたまらなかった。その改装期間中に、同美術館のお宝のひとつである国宝の尾形光琳筆「燕子花図屏風」(六曲一双)を修復していたと記憶する。根津美では年に一度、燕子花の咲く季節に合わせて同屏風を公開展示しているが、早速、リニューアル・オープン後に観に行った。筆者が美術館の展示法に求める要点はいくつかあるが、就中、屏風の展示法が気になって仕方がない。例えば、こういうことだ。
 国宝「松林図屏風」(長谷川等伯筆/六曲一双/東京国立博物館蔵)の実物を過去に何度か目にしているのだが、最も素晴らしい展示法は、やはり筆者の愛する美術館のひとつである出光美術館で観た時のものだった。根津美も出光美も、さすがは日本美術及び東洋美術を得意分野とするだけあって、屏風の展示法が絶妙である。もちろん、件の「燕子花図屏風」を所蔵先の根津美で観た時の展示法は、設置の仕方、照明の当て方、来館者の視線の上下との微妙な距離感、どれをとってみても全く過不足のないものだった。特に風景画の屏風の場合、スーッと画面の中へ入って行けるような展示法でないと観る者の目と心を捉えない、というのが筆者の持論であるため、これがのっぺりと展示されてあったり、或いは目も当てられないほど雑な照明(言い換えるなら〈単に暗くすりゃいいってもんじゃない〉的なお手軽手法)だったりすると、もうそれだけで興醒めなのである。当然ながら、明る過ぎるのは更にNG。日本美術のほとんどが展示法の手腕を試されると言っても過言ではないが、取り分け、光に弱い浮世絵や軸物、立体物の焼き物/工芸品/刀剣類、そして屏風の展示法は、素人目から見ても特に難しいのでは、と思う。もちろん、根津美は屏風以外の展示法もピカイチである。

 根津美に行かれたことがある方なら先刻ご承知だろうが、入口へと来館者を導いてくれる竹垣が、先ずもって静寂さを醸し出す。華奢ながらも鋼のような強さを湛えた黒竹で丁寧に作られた、回廊の如き竹垣をくぐる時、そこがまるで異空間へと誘ってくれるトンネルであるかのような錯覚に陥る。〈都会のオアシス〉が陳腐に響く、と断じたのはそういう理由からで、そこここに心配りの行き届いた空間=根津美は、都会のオアシスどころか、さながら都会における時空を超えた異空間のよう。

 更に心地好いのは、職員さんたちの対応である。2012年11月1日〜12月16日に根津美で開催された『ZESHIN 柴田是真の漆工・漆絵・絵画』は、開催が決定したその瞬間から心待ちにしていたのだが、その前後に体調を甚だしく崩してしまい、なかなか足が向かなかった。そしていよいよこれまで、という最終日に、這うようにしてようやく鑑賞。実はその日、美術館に到着した時にはタッチの差で閉館しており、竹垣の近くには〈本日は閉館いたしました〉の立札が...。一瞬、茫然自失の状態に陥ってしまったが、ダメモトで受付まで行ってみた。すると感じの良い受付嬢は、「もうすぐ閉館ですので、ご覧になるお時間が短いかと思いますが、それでも宜しければどうぞ」と言って下すったのである。また、その後からも駆け込み入館した人が数名おり、一様にホッとした表情を浮かべておられたのが印象的。大袈裟でも何でもなく、筆者は天にも昇る気持ちを味わった。と言うのも、2009年12月5日〜2010年2月7日に三井記念美術館で『特別展 江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆×絵』が開催された時に観た際にも、〈日本国内で是真展を観る機会は、生きている間にもう二度とないだろう〉と思ったからだ。更に言えば、作品の大半が海外に流出してしまっている上に、日本での知名度がそれほどではないせいか(その一方では、筆者同様に熱烈な日本人の是真フリークがいることも事実/河鍋暁斎の蒐集家としても知られる福富太郎氏もそのひとり)、〈是真〉の名前を冠した展示会など望むべくもないと思い込んでいたせいもある。だから余計に、根津美での是真展は、生涯の記憶に留めるためにも、絶対に見逃してなるものか、と。最終日ならではの特例だったかも知れないが、受付嬢の親切な計らいのお蔭で、無事に是真展を鑑賞できたのだった。
 特に素晴らしかったのは、是真が得意とした印籠の展示法。ガラス・ケースの中に複数の印籠を吊り下げて展示してあり、作品の全容を余すところなく堪能することができた。印籠に限らず、是真の工芸品は、隅々に至るまで細工が施されているので、表面的な展示法ではその魅力が半減してしまう。さすがは根津美さん、解っていらっしゃる! 同館での印籠の展示法は目からウロコだった。そしてこの先、あそこまで多くの是真作の印籠を目にする機会は恐らく二度とないであろう。無理してまでも最終日に間に合って行ってきて本当に良かった。親切な受付嬢に、この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。

 根津美はまた、焼き物の優れた作品も多く所蔵している。近年で特に素晴らしかったのは、2011年5月28日〜7月3日に開催された『コレクション展 備前磁器の華 伊万里 柿右衛門 鍋島』なる展示会。筆者は鍋島焼を焼き物の王様だと思っているので、様々な美術館で開催された鍋島焼を中心とした展示会を、過去に幾度となく鑑賞している(言わずもがなだが、戸栗美術館での展示会を含む。同館も非常に心地好い空間である)。根津美での同展示会では、本当に溜め息が漏れた。焼き物もまた、展示法に工夫が求められるが、器全体を見せる展示の工夫がなければーー例えば皿なら、高台も見たい。寸分違わぬ緻密な絵付けが施されている鍋島焼なら尚更であるーー平面的な印象で終わってしまう。鍋島焼でさえそうなのだから、例えば緻密な絵付けならぬ緻密な立体絵とも呼ぶべき眞葛焼の壺などは、表面を陳列ケースの表に向けただけの展示法では、その魅力の半分も伝わらない。せめて展示棚の背後を鏡面にするなどの工夫が欲しいものだ。そして筆者は、実際にそういう表層的な展示法による眞葛焼展を過去に観た経験があり、かなり落胆してしまったのを憶えている。屏風にしてもそうだが、焼き物もまた、展示法のセンスと工夫の妙が最大限に求められる日本美術品と言えるだろう。
 根津美での『備前磁器の華』を観て溜め息が漏れた、と書いた。付け加えるなら、目にする展示品の全てにおいて、筆者は溜め息を漏らさずにはいられなかったのである。展示品(目も眩むようなコレクションの数々!)に目を奪われると同時に、創意工夫の極致のような展示法にすっかり心を奪われたから。そうでなければ、筆者は滅多に展示会で感嘆の溜め息を漏らさない。展示法が余りにぞんざいだったり的外れだったりする展示会では、作品そのものよりもそちらに目が行ってしまい、〈諦め〉の溜め息を漏らす方が多いからだ。そしてそうした〈作品を殺す〉美術館には、金輪際、足が向かなくなってしまう。

 遥か昔に、〈本当に優れた洋画の字幕とは、観終ったお客さんに、字幕云々と語らせずに、たったひと言「いい映画だったわねえ!」と言ってもらえるもの〉という話を聞いたことがある。これを美術館に置き換えると、「いい展示会だったわねえ!」と来館者が思わず口にする展示会こそが、真に素晴らしいのだと思う。本稿では、根津美での展示法の妙技についてあれこれと綴ったが、実は筆者は、根津美で展示会を鑑賞した帰りに、展示法云々と口にしたことは一度もない。ただただ展示会の素晴らしさだけが記憶に刻まれてきたから。尚、根津美は、常設展であるコレクション展の空間における展示法も実に巧みである。

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 広い敷地内に建つ美術館の中には、庭園も見どころの館が少なくない。筆者はまだ行ったことがないのだが、家人によれば、島根県安来市にある足立美術館の日本庭園は、「凄いなんてもんじゃない」そうである。地方では庭園を併設した美術館は珍しくないかも知れないが、これが都会となると、立地条件もあってか、なかなかにして難しい。筆者は美術館に庭園の有無を求めない。美術館の好き嫌いの判断基準にもなっていない。しかしながら、過去に訪れた美術館には、思わず足を踏み入れたくなる庭園を持つところが数箇所あり、実際に何度かゆっくりと散策したことも。根津美の庭園もそのうちのひとつで、都内の観光スポットのすぐ近くにあるという事実を、きれいサッパリと忘れさせてくれる。そして溜め息交じりで観た展示会の余韻に浸るには、もってこいの空間なのだ。敷地内にある、庭園が見渡せる落ち着いた空間のカフェ:NEZUCAFEも大好きである。

 先述の是真展では、最終日ということもあってか、展示会を観終わってミュージアム・ショップに入った時点で、図録が既に売り切れだった。「えっ......!」と絶句すると、同ショップの職員さん(これまた大変に感じが良い)が、「こちらの読みが甘くて、思った以上に売れてしまいました。お客様さえ宜しければ、増刷した分を送料無料で発送いたしますが......」とのこと。願ったり叶ったり! もちろん、「お願いします!」と即答した。筆者以外にも、図録を買い逃した来館者の方々が次から次へと住所をメモしており、その間にも、職員さんは並ぶ人々に向かって「お待たせして申し訳ありません」と、済まなさそうに声を掛けるのを忘れない。何と行き届いた職員教育だろう。後日、是真展の図録が届いた時、ミュージアム・ショップでのその光景がありありと脳裏に蘇り、感心と感嘆を新たにした。

 ミュージアム・ショップに関して言えば、気の利いたグッズが多く、行く度に長居をしてしまう。もう見ているだけで楽しいのだ。千葉市美術館についての拙稿にも書いたが、ミュージアム・ショップの良し悪しもまた、筆者が美術館力を推し量る際の大切な要素のひとつ。個人的には、敷地内に生えている直径数センチの黒竹を輪切りにし、そのままマグネット仕立てにしたものが大好きである。個人美術館の営業努力の鑑のようなオリジナル商品だと感心した。絵ハガキの作りも美しい。特に、焼き物の器をそのまま象った定形外の絵ハガキ(出光美にも同様のものがあり、行く度に何枚か買ってしまう)の出来映えが秀逸で、行く度に購入し、季節毎の挨拶状として知人・友人に出しては喜ばれている。一筆箋の絵柄の〈部分〉切り取りのセンスも抜群。筆者が特に気に入っているのは、単庵智伝筆「柳燕図」(紙本墨画/一幅)の一筆箋。ツバメが繁殖のために日本に飛来する季節には、この一筆箋が大活躍する。加えて、光琳筆「燕子花図屏風」の一筆箋も。それほどだだっ広い空間のショップではないが、センスのいいグッズの陳列に、思わず目を奪われてしまう。

 根津美が所蔵する約8,000点に及ぶコレクションには、国宝7点、重文87点、重美94点が含まれているという(2013年4月現在)。個人美術館としては、まず最高峰の部類に入るであろう。しかしながら、同館には、不遜なところが微塵もみられない。それどころか、来館者のひとりひとりにどうすれば快く展覧会を観てもらえるのか、という細やかな気遣いがそこここに顕れていて、行く度に心の底から感銘を受ける。そして、以前にも況して根津美が好きになる。

 今年もまた、根津美に室内庭園(=「燕子花図屏風」の展示空間)が出現する季節が巡ってきた。異空間へと導いてくれる竹垣に、一年で最も強く筆者が誘惑される時期だ。
(泉山真奈美)


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