柿本人麻呂 泣血哀慟歌の鑑賞
2014.01.25
柿本人麻呂は万葉集を代表する歌人であり、歌聖と尊ばれ、後世に多大な影響を及ぼした。その生涯については、持統天皇の時代に活躍したということ以外、生没年も含めて確かなことは何も分かっておらず、万葉集に書かれてあることから推察するほかない。ゆえに仮説、新説も後を絶たない。たしかにここまで長歌や短歌が知られているのに、記録資料がないのは少し不自然なので、その分興味が尽きないのだろう。
人麻呂の修辞的技巧は革新的なもので、枕詞、序詞、対句、倒置法、擬人法、押韻などを巧みに駆使し、構造的にも音調的にも整えられた格調高い「詩」を確立した。その長歌も、事実の記録や感情の羅列に終わらない。客観的な調子ではじまり、徐々に盛り上げていき、最後に感情が頂点に達する、という流れを持つ。
人麻呂の遺した歌は、長歌と短歌あわせて94首あるとされている(人麻呂の歌とは断定しがたいものもあり、推定80首余りともいわれている)。その中でも、妻との別れを詠った長歌は極めて人気が高く、人麻呂の代表作に挙げられるものだ。
既述したように人麻呂に関する記録資料は見つかっていないので、いつ結婚したのか、妻が何人いたのかは分からない(そのうちの一人は「依羅娘子(よさみのをとめ)」とされる)。ただ、人麻呂が情の深い人だったことは間違いない。愛する人の死に直面し、泣血哀慟(きゅうけつあいどう)すなわち血の涙が出るほど泣いて書いた挽歌を読めば、それは明らかである。
柿本朝臣人麻呂の妻死(みまか)りし後泣血哀慟して作れる歌二首ならびに短歌
天飛ぶや 軽(かる)の道は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵(いはかきふち)の こもりのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹(いも)は もみち葉の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまづさ)の 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得ねば 吾が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に 吾が立ち聞けば 玉だすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞えず 玉桙(たまほこ)の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名喚びて 袖そ振りつる
(大意)
軽の街道は妻の住む里なので、念入りに見たいとは思うけど、絶えず行くと人の目がうるさいし、頻繁に行くと2人の仲を知られるので、後になったらゆっくり逢おうと将来を期して、人知れず恋い慕っていたところ、空を渡る日が暮れゆくように、照る月が雲に隠れるように、寄り添い寝た妻が亡くなりました、と使いの者がいうので、話を聞いて何といえばよいのか、どうすればよいのかも分からず、かといってじっとしてもいられず、恋しさの千分の一でも慰められることもあろうかと思い、妻がいつも出かけていた軽の市にたたずんで耳をすましてみたが、畝傍の山に鳴く鳥のように、妻の声は聞こえないし、通行人の誰一人として妻に似ていないので、仕方なく、妻の名を呼んで袖を振った。
短歌二首
秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道(やまぢ)知らずも
(秋山のもみじが茂っているので、迷い込んだ妻をさがそうにも山道が分からない)
もちみ葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ
(もみじが散っていく折、使いの者を見ると、妻と逢った懐かしい日のことを思い出す)
長歌から読み取れる限り、2人の仲は人目を憚るものだったようである。隠し妻かもしれない。その急死に動転した男は、誰にも感情をぶつけられないまま、軽の市(奈良県の橿原神宮前駅の東から岡寺駅の東までの国道169号のあたり)に向かう。彼女はいるはずもない。似ている人もいない。名を呼んで、袖を振り、魂を招くのが精一杯である。
ざっくり読んで「ロマンティック」と感じる人もいるかもしれないが、実際は、感傷を通り越したドラマティックな歌である。何度読んでも胸を打たれるのは「妹が名喚びて」の箇所だ。愛する人の名前を呼ぶという行為である。仮に相手が隠し妻である場合、軽々しく口にすることは出来ないので、これはかなり劇的な行為といえる。
この長歌を人麻呂によるフィクションとみなす人もいる。しかし男の心理状態や行動の仕方が生々しく、短歌の方にも「使ひを見れば」というリアルな表現があり、作り物めいたところは感じられない。もしフィクションなら、それはそれで大変な創造力である。
妻の死を取り上げたもう一首の長歌は、「軽」の女性のことを詠ったものかどうか判然としない。おそらく異なるのではないだろうか。
うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 吾が二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど たのめりし 児らにはあれど 世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲(しろたへ)の 天領巾隠(あまひれがく)り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 吾妹子が 形見に置ける みどり児の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物し無ければ 男じもの 腋ばさみ持ち 吾妹子と 二人わが宿(ね)し 枕づく 嬬屋(つまや)の内に 昼はも うらさび暮し 夜はも 息づき明し 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふ因(よし)を無み 大鳥の 羽易(はがひ)の山に 吾が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 石根(いはね)さくみて なづみ来し 吉(よ)けくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば
(大意)
妻がこの世にあった頃、二人で手を携えて見た、堤に立つ欅の木の、多くの枝に春の葉が繁るように、深く思いを寄せた妻だったが、そして頼みにもしていた妻だったが、無常の定めに背くことは出来ず、陽炎の揺らぐ荒野に、白布に包まれて、鳥のように朝飛び立ち、夕日のように姿を隠してしまったので、妻が形見に遺した幼子が泣くたびに与えるものもなく、男なのに、子を脇に抱え、妻と二人で寝た寝室で、昼は心寂しく暮らし、夜は溜息をつき通し、嘆いてもどうすればよいか分からず、恋い焦がれても逢えず、羽がいの山に恋しい妻がいると人がいうので、大きな岩を踏み分け苦労してやって来たものの、よいことは何もない。ずっとこの世の人だと思っていた妻が少しも見えないので。
短歌二首
去年見てし 秋の月夜は 照らせども 相見し妹は いや年離(さか)る
(去年二人で見た秋の月は今年も同じように照りわたっているが、一緒に見た妻はますます時を隔てて離れて行く)
衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を往けば 生けりともなし
(引出の山に妻を置いて寂しい山道を一人歩いていると生きている気がしない)
2人が一緒に住んでいたらしいこと、子供がいて、男が四苦八苦しながらその面倒をみていることを踏まえると、亡くなったのは本妻だろう。前出の長歌とは調子が異なり、妻不在の実生活のほろ苦さが滲んでいる。愛する女性の幻影を求め出かけて、むなしさを味わうところは同じだが、こちらの長歌には熱い涙を冷たくしてしまうような寂寥感が漂っている。一緒に住んでいた妻のこと〜妻不在の状態〜会えるかもしれない妻のこと〜妻不在の状態という構成で、イメージの落差を2回持たせることにより、痛々しさ、救いのなさを醸しているのだ。
「衾道を〜」は、私が最も好きな短歌の一つだが、ここにも亡き妻を愛する気持ちと、一人になってしまった、という冷え冷えとした不安、後ろ髪を引かれる様子があますところなく表現されている。
【関連サイト】
『日本の古典を読む 万葉集』(書籍)
人麻呂の修辞的技巧は革新的なもので、枕詞、序詞、対句、倒置法、擬人法、押韻などを巧みに駆使し、構造的にも音調的にも整えられた格調高い「詩」を確立した。その長歌も、事実の記録や感情の羅列に終わらない。客観的な調子ではじまり、徐々に盛り上げていき、最後に感情が頂点に達する、という流れを持つ。
人麻呂の遺した歌は、長歌と短歌あわせて94首あるとされている(人麻呂の歌とは断定しがたいものもあり、推定80首余りともいわれている)。その中でも、妻との別れを詠った長歌は極めて人気が高く、人麻呂の代表作に挙げられるものだ。
既述したように人麻呂に関する記録資料は見つかっていないので、いつ結婚したのか、妻が何人いたのかは分からない(そのうちの一人は「依羅娘子(よさみのをとめ)」とされる)。ただ、人麻呂が情の深い人だったことは間違いない。愛する人の死に直面し、泣血哀慟(きゅうけつあいどう)すなわち血の涙が出るほど泣いて書いた挽歌を読めば、それは明らかである。
柿本朝臣人麻呂の妻死(みまか)りし後泣血哀慟して作れる歌二首ならびに短歌
天飛ぶや 軽(かる)の道は 吾妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵(いはかきふち)の こもりのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹(いも)は もみち葉の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまづさ)の 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてあり得ねば 吾が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 吾妹子が 止まず出で見し 軽の市に 吾が立ち聞けば 玉だすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞えず 玉桙(たまほこ)の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名喚びて 袖そ振りつる
(大意)
軽の街道は妻の住む里なので、念入りに見たいとは思うけど、絶えず行くと人の目がうるさいし、頻繁に行くと2人の仲を知られるので、後になったらゆっくり逢おうと将来を期して、人知れず恋い慕っていたところ、空を渡る日が暮れゆくように、照る月が雲に隠れるように、寄り添い寝た妻が亡くなりました、と使いの者がいうので、話を聞いて何といえばよいのか、どうすればよいのかも分からず、かといってじっとしてもいられず、恋しさの千分の一でも慰められることもあろうかと思い、妻がいつも出かけていた軽の市にたたずんで耳をすましてみたが、畝傍の山に鳴く鳥のように、妻の声は聞こえないし、通行人の誰一人として妻に似ていないので、仕方なく、妻の名を呼んで袖を振った。
短歌二首
秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道(やまぢ)知らずも
(秋山のもみじが茂っているので、迷い込んだ妻をさがそうにも山道が分からない)
もちみ葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ
(もみじが散っていく折、使いの者を見ると、妻と逢った懐かしい日のことを思い出す)
長歌から読み取れる限り、2人の仲は人目を憚るものだったようである。隠し妻かもしれない。その急死に動転した男は、誰にも感情をぶつけられないまま、軽の市(奈良県の橿原神宮前駅の東から岡寺駅の東までの国道169号のあたり)に向かう。彼女はいるはずもない。似ている人もいない。名を呼んで、袖を振り、魂を招くのが精一杯である。
ざっくり読んで「ロマンティック」と感じる人もいるかもしれないが、実際は、感傷を通り越したドラマティックな歌である。何度読んでも胸を打たれるのは「妹が名喚びて」の箇所だ。愛する人の名前を呼ぶという行為である。仮に相手が隠し妻である場合、軽々しく口にすることは出来ないので、これはかなり劇的な行為といえる。
この長歌を人麻呂によるフィクションとみなす人もいる。しかし男の心理状態や行動の仕方が生々しく、短歌の方にも「使ひを見れば」というリアルな表現があり、作り物めいたところは感じられない。もしフィクションなら、それはそれで大変な創造力である。
妻の死を取り上げたもう一首の長歌は、「軽」の女性のことを詠ったものかどうか判然としない。おそらく異なるのではないだろうか。
うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 吾が二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど たのめりし 児らにはあれど 世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲(しろたへ)の 天領巾隠(あまひれがく)り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 吾妹子が 形見に置ける みどり児の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物し無ければ 男じもの 腋ばさみ持ち 吾妹子と 二人わが宿(ね)し 枕づく 嬬屋(つまや)の内に 昼はも うらさび暮し 夜はも 息づき明し 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふ因(よし)を無み 大鳥の 羽易(はがひ)の山に 吾が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 石根(いはね)さくみて なづみ来し 吉(よ)けくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば
(大意)
妻がこの世にあった頃、二人で手を携えて見た、堤に立つ欅の木の、多くの枝に春の葉が繁るように、深く思いを寄せた妻だったが、そして頼みにもしていた妻だったが、無常の定めに背くことは出来ず、陽炎の揺らぐ荒野に、白布に包まれて、鳥のように朝飛び立ち、夕日のように姿を隠してしまったので、妻が形見に遺した幼子が泣くたびに与えるものもなく、男なのに、子を脇に抱え、妻と二人で寝た寝室で、昼は心寂しく暮らし、夜は溜息をつき通し、嘆いてもどうすればよいか分からず、恋い焦がれても逢えず、羽がいの山に恋しい妻がいると人がいうので、大きな岩を踏み分け苦労してやって来たものの、よいことは何もない。ずっとこの世の人だと思っていた妻が少しも見えないので。
短歌二首
去年見てし 秋の月夜は 照らせども 相見し妹は いや年離(さか)る
(去年二人で見た秋の月は今年も同じように照りわたっているが、一緒に見た妻はますます時を隔てて離れて行く)
衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を往けば 生けりともなし
(引出の山に妻を置いて寂しい山道を一人歩いていると生きている気がしない)
2人が一緒に住んでいたらしいこと、子供がいて、男が四苦八苦しながらその面倒をみていることを踏まえると、亡くなったのは本妻だろう。前出の長歌とは調子が異なり、妻不在の実生活のほろ苦さが滲んでいる。愛する女性の幻影を求め出かけて、むなしさを味わうところは同じだが、こちらの長歌には熱い涙を冷たくしてしまうような寂寥感が漂っている。一緒に住んでいた妻のこと〜妻不在の状態〜会えるかもしれない妻のこと〜妻不在の状態という構成で、イメージの落差を2回持たせることにより、痛々しさ、救いのなさを醸しているのだ。
「衾道を〜」は、私が最も好きな短歌の一つだが、ここにも亡き妻を愛する気持ちと、一人になってしまった、という冷え冷えとした不安、後ろ髪を引かれる様子があますところなく表現されている。
(阿部十三)
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