文化 CULTURE

日夏耿之介 砕け散る美

2015.11.07
 今はインターネットを通じて、自分と似たような考えを持つ人が匿名の世界に存在することはある程度見て取れる。とはいえ、昔と比べて現実生活における青春の孤独の寄る辺なさにそこまで大きな違いがあるわけではないだろう。16歳の頃、私は誰の話を聞いても共感できない、どんな思想にふれても満たされないという空白を持て余していた。自分の欲しい言葉が具体的にどのようなものなのかも分からぬまま、自分のためだけに存在する言葉に飢えていた。情熱を感じるのは、好きな音楽を聴くとき、好きな映画を観るときだけだった。

 そんな私の前に現れたのがテオフィル・ゴーティエとシャルル・ボードレールであり、谷崎潤一郎と日夏耿之介であった。彼らの書物に手を差しのべられ、自分の心を支えるものを見出した私は、何のためらいもなくその世界に身をあずけることにした。そこは信条的な連帯を得られる聖域だったのである。今振り返ると、こうした極端な身の振り方によって、年相応の青春を完全に放棄したとも言える。

 絢爛たる言語感覚を持ち、魔道の博学者として知られた日夏耿之介の異形の詩に惹かれたのは、『黒衣聖母』(黒は旧字)に収められた「地に蠢く公孫樹」の中の「かぎられし風景の一區劃に 日の光 金粉のごとく碎け散る」という詩句を目にしてからである。公孫樹とはイチョウのこと。彼の分厚い全集の装丁もちょうど公孫樹を思わせる色に染められており、偶然開いた頁にその詩があったことに、心がおののいたことを思い出す。一編の詩として私を魅惑したのは『轉身の頌』の「うるはしき傀儡なれど」で、胸が熱くなるほどの共感の歓びを味わったものだ。

  うるはしき傀儡なれど

 うるはしき傀儡なれど
 みにくかる生存なれど
 わが右手の脈搏を相應く亂調せしめ
 わが小むねの赤き血汐を溷濁せしめ
 わが青春の光ある肌膚を窘蹙せしめ
 つひにわが肉體より
 力と美とを驅り落し
 すべて
 まことわが心を壓死せしむ

 うるはしき傀儡なれど


 『轉身の頌』は1917年、作者27歳のときに100部限定で出版された第一詩集。その序文で日夏は芸術至上主義の旗幟を鮮明にし、「民主的理想を狂信する事深き輩」を向こうに回して、「不遜と賤劣との外に何物もない民人の凡ての安閑たる懶惰に便するために、彼等は全く藝術本然の不可思議性を閑却して何等かの型式に於て第二義藝術の制作に自足してゐる」と批判した。また、詩の語法については「言葉を絶對に驅使するには、彼等をその傳統の羈絆から切り放たねばならぬ」と持論を展開し、言葉に新しい個性を与えて、「性命の鮮血」を注がなければならないと説いている。

 字体や振り仮名を細かく使い分けた上で、詩の中に刻印された夥しい漢字は、硬質で強い光を発している。この趣は旧字体でなければ出てこない。まるで暗く古びた教会のステンドグラスや銀の燭台が粉々に砕け散り、その散乱した破片が神秘の象形と化しているような美しさと妖しさだ。そこには甘い耽美とは一線を画した象徴の魔力があり、日本人の感性を深淵なイメージの世界へと誘う喚起力がある。しかし五歳下の金子光晴の証言によると、民衆詩の盛んな大正デモクラシー期に、「漢字についての含蓄の放棄」を始めていた者たちは、反時代的な日夏の詩を「偏奇な趣味」として受けつけまいとしたらしい。

 日夏は「詩は良心の賣り物ではない」と主張し、自分にしかできないやり方で事大主義に抗った。そして、ディアボリックな人工造型をより一層徹底させるかたちで編み上げたのが、第二詩集の『黒衣聖母』である。出版年は1921年。この詩集で示されているのは、詩の題にもあるような「煉金秘義」である。砕けた宝石を冷たい手で闇の中に抛り、熱烈で奇怪な祈祷を行い、危うい陥穽を持つ聖域を浮き上がらせるのだ。「キリエ エレイソン」の復誦ではじまる「夜の誦」など、いかなる霊感からこのような文字の魔力が現出し得るのかと、ただただ圧倒されるばかり。『黒衣聖母』は黒や夜のイメージが強いながらも、モノトーンの世界ではなく、銀、金、青といった色を示す言葉が多く盛り込まれている。「破壊」や「碎」、もしくはそれに類する言葉も目につく。貴金属が音を立てて鮮やかに砕け散るような感触だ。「咳」という生理現象を取り上げているのは、自身が喘息を患っていたためだが、やはり「破碎」の感覚につながる。この感覚は1927年の『黄眠帖』(黄は旧字。黄眠は日夏が好んで用いた雅号。黄眠道人、夏黄眠など)に収められた一部の詩にも見られる。

 日夏の異才は翻訳業でも発揮され、『壹阡壹夜譚(アラビアン・ナイト)』やオスカー・ワイルドの『サロメ』や東西の美しい詩を媒介にして、その眩い言語感覚をみせつけた。後年は評論に力を注ぎ、論争を巻き起こした『明治大正詩史』や博士号の学位論文『美の司祭』などの大著で健筆をふるった。これだけの仕事(八十余冊二千数百項目とされる)を完遂するには厖大な時間とエネルギーが必要なはずだが、日夏は頑健な肉体の持ち主でも何でもなく、喘息や心臓急搏症を患いながら執筆していたのだ。

 元来早熟で、10代前半から執筆を始めていた。本格的な処女作は早稲田時代の同人誌『聖盃』に掲載された戯曲「美の遍路」。1912年の作である。「私の受けてきた教育」(『教育』1949年9月号)によると、道成寺文献を骨子として、当時傾倒していたダヌンツィオやホフマンスタールの意匠を採り入れた一幕物で、島村抱月に黙殺されたことも気にせず、「自分の精神の假りの形態」と自負していたようだ。

 主人公は「一夜一夜の戀人を求めては、底知れぬ歡樂に耽つた末」殺して井戸の中に葬る天樹院尼公・千姫。その寵愛を受けた美貌の與吉は、千姫の侍女・竹尾の助言に従って一度は逃げ出すが、結局は千姫のもとへ戻り、死の饗宴に向かうところで終わる。「人はみな愛する者を殺す」と書いたのはオスカー・ワイルドだが、千姫がサロメ的な存在であることは誰もが感じ取るだろう。作風は学生の手になるものとは思えないほど官能的で、瑪瑙のごとき妖しい光を放つ台詞が連なっており、感覚美に殉じていた時期の滔々たる筆致を確認することができるし、「私は進んで行つてあらゆる時代と國々との文化所産から自分の好むものを遠慮なく攝取する」(「黒衣聖母の序」)という気質を開花させた作品として楽しめる。何より烏の群れが現れて凶兆を告げるところは、後年の詩人の傾向につながるものとして注目に値する。

 日夏耿之介は美が砕け散る寸前に実現される最高の美をはっきりと認識していた。その詩世界は破壊や粉砕の予兆に満ちている。「ある刹那に諷へる歌」や「災殃(まがつび)は日輪にかがやく」などを読んでも、詩體に漂う禍々しいまでの美しさと不穏さにぞっとさせられる。しかし、彼は血なまぐさい破滅や頽廃に酔う人ではない。むしろ凶兆を知覚することで、意識を鋭敏にし、生命を燃やしている。その詩は私にとって常に啓示的であり、私の感性に摩擦を起こし、金粉を散らす。馴れ親しむものというよりは、硬質な感触を以て精神の覚醒を促すものであり続けているのだ。
(阿部十三)

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