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中村正常 再考 〜神の目からは必然的に可憐〜 [続き]

2018.06.23
 短編「アミコ・テミコ・チミコ」の言葉を借りると、中村文学には「カナリヤのやうに可愛らしくよく囀り、愛らしく見える娘たち」の生態を描いた作品がたくさんある。彼女たちの口調は明るく弾むようで、その仕草は突飛で、愛嬌があり、おてんばで、コミカルだ。かと思えば、したたかで、ちゃっかりもしていて、ちょっと怖いところもある。

 「コスモス女學校」では、純情可憐な泣き虫の17歳の女の子がいるかと思えば、実は男もいて、子供もいて、という話になる。「日曜日のホテルの電話」では、弁護士のペイ吉がホテルに泊まり、外に電話をかけようとして、女の電話交換手と愛想よく話す。その結果、ペイ吉が恋人と電話している時、電話交換手が会話に割り込んできて、ペイ吉と恋人を引き離そうとする。

 「アミコ・テミコ・チミコ」では、女学校の生徒アミコ、テミコ、チミコが、学校の創立記念日にナンセンスな余興をやることになり、知恵を拝借しに「先生」の家にやってくる。しかし話はまとまらず、なんとなく恋の話になり、3人娘は大学のラグビー選手に連名で恋文を出すつもりだと言って、ラグビー部の歌を歌い出し、興奮のあまり逆立ちをする。中村正常は「よきファルス作家でありたい」と願っていたようだが、これは良質なファルスと言える。

 井伏鱒二が地の文を書き、中村正常が会話を担当した「ユマ吉とペソコ」シリーズは、井伏によると、「中村の発案でモダンボーイとモダンガールを主人公にして、この男女二人が東京市内でとりとめもなく消費的散策をして歩くといふ筋書きにした」ものだという。2人の果てしないおしゃべりを読んでいると、ペソコはユマ吉の「ナンセンス・フィロソフィー」なるものの共犯者であり可憐な実行者であるように見えてくる。なお、井伏が書いた地の文には、モダンガールの精神的内容の要素とその比率が記されている。すなわち、「ロマンティシズム 36%。センチメンタリズム 9%。ニヒリズム 10%。ヒロイズム 25%。エロチシズム 20%。マルキシズム 0%」。これらのパーセンテージは、苦痛、風評、生活難、読書、温度、喧嘩などによって、他愛もなく変化するらしい。

 「ウルトラ女子讀本」は、モダンガールならぬウルトラガールの生態事典だ。怖いもの知らずでチャッカリしている女学生たちが前半に登場し、先生をはじめとする大人たち、色気づいた青年たちを翻弄する。ウルトラガールにかかっては男たちも形無しだ。後半は全身整形のお洒落娘、タイピスト、マニキュア・ガール、女性記者、フラッパーが出てきて、あの手この手で周囲からお金をせしめたり物を買わせたりする。前半の女学生たちの行く末が後半に描かれていると見ることもできる。

 ちなみに、清澤洌が著した日本初のモダンガール専門書『モダン・ガール』(大正15年)によると、モダンガールとは英米の知識階級の婦人が体を締め付けるコルセットを外すことから起こった「婦人反逆の第一聲」であり、「時代の尖端に座する婦人の姿」だという。つまり、本来は「相當な教育のある者」で「自己一身を極めて自由な立場におく」女性なのである。ところが、当時日本でモダンガールと呼ばれたのは、黒髪を切り落とし派手な身なりで、「軽薄なるニヤケ男の愛を買はんがため」に媚びを売る不良少女であった。清澤は著書の中で、知識階級からモダンガールが現れなかったことを残念がっている。

 それに比べると、昭和初期の「ウルトラ女子讀本」に登場する女学生たちは、高等女学校で教育を受けており(授業態度は悪いが)、男になびくようで容易になびかず、男と対等に(もしくは男以上に)意見をはっきりと言い、自由である。しかも、チャッカリ精神に富んでいる。彼女たちのやることは褒められたものではないかもしれないが、「神の目からは必然的に可憐」であり、モダンガールの中のモダンガール、ウルトラガールと呼ばれるにふさわしいのである。

 「適齢ガール三人組」は、婚約中のチコちゃん、ミコちゃん、カコちゃんの3人が揃って婚約者を訪ね、料理を振る舞ったり、仕事を手伝ったりして、それに対する男たちの反応をチェックし、幸せにやっていけそうかどうか見定める話。軽快で楽しい作品だが、男の側からすると怖い設定である。戦時中に書かれた「彼女と出征」には、無邪気な軍国少女が登場する。その際、叔父の家に生垣から侵入し、「鉄条網突破だわ」と意気込むが、スカートが小枝に引っかかって下着が飛び出してしまうところが笑える。しかし当人はいたって真面目で、男に負けじと戦争の訓練と称して戦争ごっこをし、叔父の家を荒らす。

 実は、私は中村正常の作品を読むたびに一人の浮世絵師を連想する。鈴木春信だ。春信が描く女たちの外見は個性的とは言いがたく、一様になよやかで愛らしく見えるが、実はおてんばで、行動的だったり、エロティックだったりする。中村文学に出てくる女子ないし女性も似ていて、類型的な造型からそれぞれ強い個性が浮き出てくる。彼女たちはお人形さんではなく、決して黙ってはいない。

 中村知會著『中村さんちのチエコ抄』によると、娘の中村メイコが生まれた頃から執筆のペースが落ち(絶筆宣言をしていたらしい)、子育てに力を入れていたようである。その辺の事情は夫人の本に書かれている。晩年は痛風に悩まされながらも、それ以外は健康だった。亡くなったのは、1981年11月6日、80歳の誕生日のことである。
(阿部十三)


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