文化 CULTURE

中村正常 再考 〜神の目からは必然的に可憐〜

2018.06.16
 昭和2年、雑誌『改造』が改造社創立十周年を記念する懸賞創作募集の告知を載せた際、1330編の作品が寄せられた。翌年、一等作品として十周年記念号(昭和3年4月号)に華々しく掲載されたのは、龍膽寺雄の小説「放浪時代」。モダンガールを登場させ、当時の風俗を活写したこの作品は「思想がない」と批判されながらも、大きな話題をさらった。
 その反響(改造編集部は「百萬讀者の間に多大のセンセーションを惹起し且つ新人を紹介し得て聊か沈滞せる現文壇に寄與する處が有つた」と自己評価している)を受け、第2回の懸賞募集が行われた。集まった作品は1000編以上。最終的に入選作に選ばれたのは3編。昭和4年4月号の入選発表欄には、「何れも出來榮えが伯仲してゐるので、これに甲乙を附することが出來」なかったと書かれている。

 そのうちの一つが、中村正常の戯曲「マカロニ」である。入選発表欄にある作者プロフィールは、「東京市本郷區誠之小學校、同區京北中學校。第七高等學校。病を得て廢學。茲來岸田國士氏につき親しく教を受くること歳月あり」という簡素なもので、ほかの2人の入選者(肉親を失い厭世哲学に傾倒していることを記した高橋丈雄、左翼としての活動歴を綴った明石鉄也)と比べても随分あっさりしている。

 「マカロニ」はアパートを舞台にした話で、主な登場人物はOLのチチコ(22歳)、その妹で他人の葬式の花輪から花を抜いて売っているイボコ(10歳)、何事にも拘泥しないゴム吉、その恋人でマリのように丸っこいマリコ。斜視のチチコは、59歳の会社重役(老紳士)に自分の方を見つめていると勘違いされ、求愛され、関係を持つ。今は老紳士の妻が亡くなったことで、後妻として迎えられようとしている。そんな時、隣室に住むゴム吉がマリコと別れる。チチコは若いゴム吉に接近するが、ゴム吉は積極的になれない。その後、マリコが老紳士の娘であったことが明らかになったり、老紳士がアパートを訪ねてくるという展開をみせる。
 この戯曲に先駆けて書かれた龍膽寺雄の「アパアトの女たちと僕と」にも類似したシチュエーションが見られるが、両者の味わいは大きく異なり、「マカロニ」は意味をなさないようなナンセンスで洒落た会話や行動が笑いを誘い、おしまいに漂う虚無的な雰囲気もカラッとしている。ちなみに題名は、主人公がマカロニにはなぜ穴が開いているのか問うところに由来している。もちろん、マカロニが連想させるもの、例えば空虚とか、星を見る望遠鏡とか、丸いといったイメージもこの作品の中には盛り込まれている。

 これ以降、中村は新興芸術派に参加し流行作家となり、仲間たちと劇団蝙蝠座を立ち上げ(夫人は蝙蝠座の女優だった中村知會)、その作品は「ナンセンス文学」ともてはやされた。主な作品集は「マカロニ」を収録した『隕石の寝床』(昭和5年)、『ボア吉の求婚』(昭和5年)、『二人用寝台』(昭和8年)、『歳末遣繰譚・適齢ガール三人組』(昭和10年)、『彼女の新体制 ユーモア小説集』(昭和16年)、『社長陣頭に指揮す』(昭和18年)。井伏鱒二との合作「ユマ吉とペソコ」のシリーズ(昭和4〜5年)もある。こうしてみると新興芸術派の勢いがなくなり、龍膽寺雄が「M・子への遺書」(昭和9年)の筆禍で干された後も、中村の方はこつこつと作品を発表していたことが分かる。

 流行作家になれば、いろいろと言われるものである。文壇デビュー間もない昭和5年に噛み付いてきたのは、小林秀雄だ。発端は、小林が「文学と風潮」(『文藝春秋』昭和5年10月)で、「懐疑は愚劣である。だが、愚劣を演ずる事は必ずしも愚劣じゃない」とした上で、「利口にならう利口にならうが、凝つて形をなした」ようなナンセンス文学を書く中村の信条は、「愚劣は、自分にも見せるな、他人にも見せるな」だろうと書いたことである。
 それに対し、中村は「調戯師の美徳」(『文藝春秋』昭和5年11月)で、自分の信条は「自分の愚劣は自分で大事にする、他人のことにかまふな」であると皮肉り、「利口にならう利口にならうが、凝つて形をなした、神の目からは必然的に可憐でもあらうナンセンス文学を肯定する」と返答した。「神の目からは必然的に可憐」とは実に素敵な言葉だ。そんな相手の言い回しにいきり立った小林は、「中村正常君へ 私信」(『文学風景』昭和5年12月)で、真面目に喧嘩に乗ってこない中村に不満を述べ、愚劣を演じようとしないさもしい根性が気に入らないと攻撃し、ほとんど罵りに近いことを書いているが、中村には論争に発展させる気は毛頭なかったようである。

 何も難しい顔をして書くものばかりが文学ではない。それで大家のように振舞っている作家の方が余程さもしい。中村は少なくともそのようには振舞わない。人間心理の核心にぐいぐい迫らず、扇動的な主義主張を押し出さない中村の作風は、そこに込められた時代感覚も含めて、当時の若者の波長に合っていたのである。中村の作品を「ナンセンス文学」と名付けたのは新居格と大宅壮一だが、中村自身は「弱者の文学」と言うべきかもしれないと考えていた。善人の文学と言い換えてもいいだろう。中村文学に出てくる善人たちは、意志を貫くほどの強さも、溺れるほどの野心もない。
 私は「マカロニ」「アリストテレスの末裔」「隕石の寝床」などの戯曲を読んだ時、人生や人間の瞬間を感覚的に鋭く切り取る前衛の先取りとして味わったものだ。その閃きのみずみずしさ、鋭敏さは、もしかすると、執筆当時よりも作家に対して何の偏見もない今の時代の方が読者に伝わるのではないか。
(阿部十三)


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