文化 CULTURE

神津恭介 完全犯罪と戦う天才

2019.07.27
天才探偵の登場

 高木彬光のデビュー作『刺青殺人事件』で神津恭介が登場するタイミングは完璧だった。密室で他殺死体が見つかり、その後も残虐な殺人が続き、謎が謎を呼び、警察もお手上げ状態となり、ページ数も残すところ4分の1になろうかという時、この美貌の天才探偵が突然登場し、あっけなく密室の謎を解き、真犯人の正体を暴いたのだ。これ以上おいしい登場の仕方はない。謎解きの方法も鮮やかで、「すべての謎を快刀乱麻を断つように瞬時に読み切って、論理的に一点の疑惑も残すことなく、最短距離を以て必然の解決へ導いて行くその推理力」(『妖婦の宿』)に多くの読者が魅せられた。

 正確に言うと、神津恭介は探偵ではない。『刺青殺人事件』から警察の捜査に協力はしているが、実は法医学者である。
 生年は1920年、弱冠19歳で6ヶ国語を習得、一高在学中にドイツの学術誌に掲載された整数論の大論文により、グルンワルトの定理を覆した(フィクションです)。しかし東大理学部には進まず、医学部で法医学を専攻、そこでも「神津の前に神津なく、神津ののちに神津なし」と賞賛されたという。戦争中は応召して軍医となり、抑留中に病を得てしばらく京都で静養していた。東大に戻ってからは、30代前半で助教授に、後に教授に昇進することになる。ちなみに、高木彬光自身も1920年生まれで、一高出身である。

超がつくほどの美貌

 ルックスも極端に良い。『魔弾の射手』では、「行きあう女性のすべての目を思わず見はらせるような」この美青年について、「広いゆたかな額には、深い叡智がこもっていた。高く形のよいギリシャ鼻は、アポロの彫像のように、美しい曲線を描いていた。憂愁をたたえた、すべてを見とおすような漆黒の双眸。白皙の横顔の固くむすばれた唇のあたりに、時折、チラと浮びあがる片靨」という具合に、パーフェクトな外見であることが格調高い文章によって強調されている。

 おまけに正義感が強い。ついでに言えば、ピアノの名手でもあり、一番好きな曲はベートーヴェンの「皇帝」とのこと。外向的なタイプではなく、恋愛にも奥手で、酒もタバコもやらない。なので、お堅い人間と思われ、木石と言われることもあるが、友達のことは大事にするし、何度か女性に恋心を抱いたこともある。

神津の欠点

 欠点はないのか? それについては、神津の学生時代を描いた『わが一高時代の犯罪』で、三谷隆正教授(実在の人物)が次のように指摘している。
「君の欠点は、負けることを知らないという点にある。人生において、あらゆる戦いに勝利をおさめるということは、決して真の勝利ではない。(中略)君がもっと自分の知力をひかえて使ったら、僕は君がいまよりも、はるかにりっぱな人間に成長していくと思うんだが......」

 この後、神津恭介はまず学生時代に美しい女性に恋をする(『輓歌』)。そして30歳になる前に、初恋の人の面影を宿した美人歌手に惹かれる(『魔弾の射手』)。どちらも殺人事件が絡んでくる中での恋模様で、神津の推理力は恋心のために冴えを失ってしまう。強いて言えば、これが弱点だ。いよいよ結婚か?という相手と出会うのは30代後半のことだが(『成吉思汗の秘密』)、まさかの悲劇により入籍には至らなかった(『古代天皇の秘密』)。

神津と松下

 ホームズにワトソンがいるように、神津にも相棒がいる。名前は松下研三。警視庁の捜査一課長、松下英一郎の弟であり、東大医学部を卒業した元軍医であり、神津の業績を世に知らしめる役目を負った推理作家である。つまり、正確な意味で和製ワトソンなのだ。彼にとって神津は一高時代からの親友であり、尊敬の対象である。敬語を使っているので、後輩なのか同級生なのか、ややわかりにくいが、それについて松下は『輓歌』でこう説明している。
「小学校は五年、中学校は四年と、所定の年限を一年ずつ短縮し、以下確実に進級進学していった彼(神津)にくらべて、一高二年の表裏、同一学年を二度くりかえした私は、彼には同輩であり、後輩にあたる」

 もっとも、神津と松下は「先輩と後輩」というよりも「先生と生徒」みたいである。作者から「永久に脇役以外は出来ない人間」(『血ぬられた薔薇』)という哀れな扱いを受けている松下は、酒好きの大食漢で、ドジを踏むことが多く、取り返しのつかないミスをすることもある。しかし神津の言うことは何でも聞く男で、神津の身(結婚問題も含めて)を誰よりも心配している。

神津の敗北

 『刺青殺人事件』で鮮烈に登場した神津ではあるが、長編第2作『呪縛の家』、第3作『魔弾の射手』で早速敗北を味わうことになる。天才探偵を天才らしく活躍させるには、『刺青殺人事件』のように物語の最後の方に登場させて、スマートに事件を解決へと導いてみせる、というやり方がベストである。連続殺人を扱った長編小説の場合、早い段階で天才探偵が登場すると、その後何人も死んでしまうことになるので、「天才のはずなのに、犯人に出し抜かれているではないか」と思われることになる。

 しかるに、『呪縛の家』では前半に神津が登場し、『魔弾の射手』では最初の場面から登場する。前者にいたっては、「僕がついているかぎり、めったなことはさせません」というカッコいいセリフの後、その晩のうちに2件もの殺人事件が起こる。そうなると天才の敗北感が強調され、本当に悪いのは真犯人なのに、あたかも神津に非があるように見えるのだ。その都度、作者は「天才といっても千里眼ではないのだ」という意味のことを、釘をさすようにして書いている。
続く
(阿部十三)


【関連サイト】
神津恭介シリーズ 『刺青殺人事件』(光文社)

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