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神津恭介 完全犯罪と戦う天才 [続き]

2019.08.04
トリックで魅せる作品

 作者の高木彬光は、『呪縛の家』や『魔弾の射手』などで〈読者への挑戦〉を行っている。1948年に坂口安吾が『不連続殺人事件』で話題をさらった時のように、小説が結末を迎える前に事件の謎を解いた読者に、賞金を出す企画である。『呪縛の家』は連載中に酷評されたこともあり、作者もいきり立ったのだろう、「ここで、最後のヒントを与えましょう。ここまで書いてわからないようじゃ、頭がどうかしています」と、なかなか挑発的なことを書いている。

 神津恭介シリーズ中、私が最も興奮させられたのは、短編『妖婦の宿』だ。ここでも〈読者への挑戦〉が行われているが、私は敗北し、その見事な展開に唸らされた。人気が高いのは、長編『人形はなぜ殺される』。手品・黒魔術・不気味な暗示が恐怖感を盛り上げ、神津が真犯人に翻弄されまくるところは確かに面白い。

 ただ、『呪縛の家』を読んだ者からすると、『人形はなぜ殺される』にはあまり新味を感じないというのが本音である。一見意味不明なことをして暗示にかけるところも似ている。どちらも犯人を見抜くのは難しくないが、あえて比較するならば、エピローグで物凄くダークな余韻を残す『呪縛の家』の方が印象深い。悲しいことに、こういう忌むべき悪魔は現実に存在する。

ベッド・ディテクティヴ3部作

 高木彬光の文章は品格があり、時折、徳冨蘆花かと見紛うような名調子で読者を楽しませる。また、作品のテーマに沿って薀蓄が語られるところも特徴である。例えば『刺青殺人事件』には刺青に関すること、『呪縛の家』には新興宗教のこと、『人形は殺される』には黒魔術の契約や儀式のこと、『七福神殺人事件』には七福神のことが、ストーリー展開の邪魔にならない程度に(でも、かなり詳しく)記されている。

 このようにテーマに付随することをしっかりと掘り下げてレクチャーする作風を応用したのが、アームチェア・ディテクティヴならぬベッド・ディテクティヴの3部作、『成吉思汗の秘密』、『邪馬台国の秘密』、『古代天皇の秘密』だ。病気や事故で入院することになった神津がベッドで暇をつぶすために、松下研三から持ちかけられた歴史上の謎に挑むという内容で、1作目はチンギス・カン=源義経説、2作目は邪馬台国の場所、3作目は神武東征や欠史八代などの真相を取り上げている。

 この3部作では、先生(神津)が教えてくれることに出来の悪い生徒(松下)がいちいち驚嘆するという一種の様式を保ちながら、謎解きが進む。つまり、「恭介の天才ぶりは遺憾なく発揮された」とか「恭介の眼力には恐れいった」といった表現を繰り返すことにより、さもそこで語られた神津説が真実であるかのように印象付けているのだ。それも、『成吉思汗の秘密』と『邪馬台国の秘密』にはまだ「なるほど」と頷かせるところがあるが、『古代天皇の秘密』は内容が散漫で、「それは言いすぎでは」と突っ込みたくなる箇所で神津の天才ぶりが強調されているので、ちょっとシラける。

平成の3部作

 1980年代、東大を定年退職し、老いの影が濃くなった神津は、『古代天皇の秘密』に挑んだ後、『七福神殺人事件』で連続殺人事件の捜査に関わることになる。関わるといっても、その態度はかなり消極的だ。そして最後に残ったのは、「人生に疲れはてた一老人のわびしい姿」である。

 引退した神津は伊豆に構えた懶惰の城に引きこもるが、平成になると『神津恭介への挑戦』で復活を遂げ、その後、『神津恭介の復活』と『神津恭介の予言』の2作が書かれることになる。このタイミングで新たに登場したのが、美人記者の清水香織。彼女は正義感と功名心とマスコミのいやらしさがごちゃまぜになっていて、あまり好感が持てるキャラではない。そんな香織を口説こうとしているカメラマンの石井は、三枚目というより単なる雑音。この2人のやりとりを延々読まされるのは正直苦痛だ。

 しかし、その苦痛に目をつぶってでも、最終作『神津恭介の予言』は読んでおきたい。ここにはシリーズ全作を総括し、今まで神津恭介がしてきたことは何だったのかを示す重要なフレーズがある。それが「悪魔の囁きのように完全犯罪の発想が生まれると、人は殺意を実行に移す誘惑に駆られる。悪いのは人間ではない。弱いだけなのです」という台詞だ。完全犯罪の芽を潰さない限り、人間は殺人の誘惑に負け続ける。憎むべきは人間ではなく、完全犯罪である。これまで謎やトリックを解明することに心血を注いできたのは、完全犯罪というものへの強い怒りがあったからなのだ。

日本三大名探偵の一人

 神津恭介シリーズの大半は、完全犯罪を打ち崩すことを目的とした本格派の推理小説であり、謎解きの部分に面白みや驚きがある。『刺青殺人事件』や『呪縛の家』のように日本的で陰惨極まりない雰囲気に包まれた作品であっても、結末に向かって非合理的でドロドロした人間ドラマの要素を濃くしていくタイプの作品とは異なり、論理の力をより感じさせるところが、明智小五郎や金田一耕助のシリーズと比べて、モダンな印象を強めている。

 ただ、日本三大名探偵の一人に数えられながらも、知名度がそこまで高くないのは、まさにそのモダンであった特徴が、時代と共にクラシカルなものになり、「謎解きとしては古い」という風に見られてしまうところに起因するのではないか。そういう意味では、1940年前後の一高の様子を、戦争の影と友情とサスペンスを織りまぜて活写した『わが一高時代の犯罪』が、謎解きの古さを感じさせずに読ませる普遍的な傑作と言えるかもしれない。なので、シリーズ未読の読者がいたら、私はこの作品から読むことを薦める。
(阿部十三)


【関連サイト】
神津恭介シリーズ 『呪縛の家』(光文社)

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