文化 CULTURE

国木田独歩 「号外」の心理

2022.10.16
「僕の生命は号外にある」

 国木田独歩の短編には名作が多いが、何度も読み返したくなるのは「空知川の岸辺」(明治35年)と「号外」(明治39年)である。ここでは「号外」について書く。

 舞台は「銀座何丁目の狭い、窮屈な路地にある正宗ホール」。今日もホールに酒飲みたちが集まっている。「ぼろ洋服を着た男爵加藤」は常連客の一人で、飲み仲間には頭のおかしな人だと評されている。それも仕方ない。何しろ男爵の口癖は、「戦争がないと生きている張り合いがない、ああツマラない、困った事だ、なんとか戦争を始めるくふうはないものかしら」なのだ。どうやら日露戦争の影響で皆が興奮状態に陥り、戦況を知らせる号外に飛びついていた日々が恋しいらしい。

「号外に限る、僕の生命は号外にある。僕自身が号外である」

 加藤男爵はポケットから戦時中の号外を出し、読み始める。周りの客はまともに相手にしない。語り手である自分(満谷)は加藤に同情的で、誰もが国家の大事を念頭に置いて喜憂した日々が終わって気が抜けたのは事実だし、「それをがっかりと言えばがっかりでしょう」と一応の共感を示す。
 その後、飲み仲間が帰り、加藤が寝始めると、満谷は店を出る。そして、「(明治)三十七年から八年の中ごろまでは、通りがかりの赤の他人にさえ言葉をかけてみたいようであったのが、今ではまたもとの赤の他人どうしの往来になってしまった」と感慨に耽り、「戦争でなく、ほかに何か、戦争の時のような心持ちにみんながなって暮らす方法はないものかしらん」と考え始める。

甘美な記憶

 人々の些細な会話のやりとりから大きな問題を考えさせる方式は「牛肉と馬鈴薯」と似ているが、「号外」は人間の心理の深いところをついている。加藤男爵は三十前後で、「男爵中の最も貧しき財産ながらも」生活に困らないだけの財はあり、普段は何もしていない。無論、戦地に赴いてもいない。そんな彼にとって、戦争の「号外」は退屈を吹き飛ばす劇薬のようなものだった。
 かたや語り手である満谷にとっては、どうだったのか。満谷は自ら「カーライル」と称しているところを見ると、独歩自身が幾分投影された人物と見ていいだろう(独歩はトーマス・カーライルの著作を好んでいた)。独歩は日露戦争時に『戦時画報』を発行していたことがあり、号外そのものは出していないが、戦況を世に伝える立場にはあった。つまり加藤のような人たちをドキドキさせる側の人間だったのである。

 戦争を懐かしむ心理自体は珍しいものではない。作家の半村良は戦争批判を込めたSFロマン『産霊山秘録』の中で次のように書いている。
「いくさとは不思議なものである。あれほど悲惨でおぞましいものなのに、いったん戦火が遠のきはじめると、生死の境をくぐり抜ける緊張感が、仲間との連帯感が、そして何事もまず生きのびるためという目的の明快さが、たとえようもない甘美な記憶となってよみがえるのだ」

 加藤男爵も「たとえようもない甘美な記憶」と共に生きる人である。しかしながら、彼は国内にいて号外を心待ちにしていた市民の一人であり、戦地で生死の境をくぐったわけでも、直接的に仲間と連帯したわけでもない。無目的で無気力な華族が号外配布時の活気にふれ、矢継ぎ早に報じられる戦況に皆と共に一喜一憂し、いつしか「ロシヤ征伐」に夢中になっていたのである。

号外が生んだ副産物

 昔ほどではないが、今でも号外が出る時は大勢の人が集まり、ざわざわしたムードになる。何も知らない人が号外を入手した人に「何か事件があったんですか?」と尋ねる光景は珍しくない。その場に居合わせた「通りがかりの赤の他人」同士が号外の記事について軽く言葉を交わすこともある。号外には非常時の磁場を作り出して人々の距離感を縮め、即席の連帯感をもたらす力があるのだ。

 そもそも号外とは「何か大きな事件や出来事があった場合に、日々の号を追って発行される新聞の発行サイクルを外して、そのニュースの速報のために臨時に発行、(現在その多くは)街頭で無償配布される新聞」(小林宗之「戦争と号外」)である。号外が最も多く報じたのは戦争であり、戦時中、各新聞社は号外競争に明け暮れていた。1974年に池田書店から発行された『号外』によると、特に日露戦争時の競争は熾烈を極めたようで、例えば大阪では朝日新聞と毎日新聞が争い、「号外数は毎日新聞が実に498回、朝日新聞が389回」(田村紀雄)にのぼったという。

 「僕自身が号外」とまで自称する男爵加藤は、主義主張のある戦争待望論者ではない。新聞社の号外競争が生んだ副産物的な存在であり、大量の号外が作り出した興奮と連帯の幻想に酔いすぎて、そこから抜け出せない人である。満谷にはそのことが分かっているし、立場は違えど本質的に同類だという自覚もある。その証拠に、冒頭の段落で加藤のことを「多少キじるしだとの評」があると紹介しつつ、「かく言う自分もさよう、同類と信じているのである」と書いている。

号外の舞台

 ところで、加藤や満谷が集まっている正宗ホールとはどんな所なのか。このホールは銀座に実在したお店で、正式には「正宗加六」という。当時の新聞記者、松崎天民の『銀座』によると、「全くその頃の酒徒にして、加六の洗礼を受けぬものは、共に天下の酒味を語るに足らずと貶されていた」ほどの有名店で、うまい酒(菊正宗の「灘の生一本」)を飲ませていた。独歩自身も、独歩の弟も、正宗ホールによく来ていたようだ。店内は狭く、毎晩賑わっていた。松崎は『人生探訪』という本で、店内をこのように描写している。

「大小の粗末な卓子二個と、小さな腰掛が十個ばかり、見渡した所十燭光が二個とボンボン時計、楕円形の中鏡が有るのみで、目を喜ばせる飾りも無く、お酌を侍べる美人も居ないけれど、早きは午後二三時より、遅きも日暮んとする頃より、三四人八九人、卓を囲んで盛んに飲む......」

 店主は風変わりな人で、嫌いな客には飲ませなかったので、変人の加藤は一応客としては認められていたことになる。加藤が正宗ホールに通うのは、貧乏華族だからというより、人がひしめく活気のある雰囲気が好ましいからだろう。号外が出た時のムードが忘れられず、他人との距離感が縮まる場所に足が向いてしまうのだ。語り手である満谷も、おそらく同じ理由で来ている。ここならば必ず客がいるし、「赤の他人にさえ言葉をかけてみたい」という気持ちを難なく受け入れてもらえる。まさに号外を思い起こさせるにふさわしい舞台なのである。

「号外」の現代性

 現代において号外など出す意味がない、紙の無駄だ、と一蹴する人もいるだろう。そういう人にはこの小説のテーマは古く感じられるかもしれない。しかし、号外の心理は確実にSNSに引き継がれている。今話題となっているトピックに群がる心理が、まさにそれだ。ある意味、SNSのヘビーユーザーは、毎日とは言わないまでも毎週のように号外に接している。そこで万単位の人が反応する大きな話題で盛り上がった後、また次の話題を欲する。その心理と加藤男爵の心理にそれほど大きな違いはない。
(阿部十三)


[参考文献]
国木田独歩『号外・少年の悲哀』(岩波文庫 1939年4月)
松崎天民『銀座』(中公文庫 1992年11月)
松崎天民『東京カフェー探訪』(リキエスタの会 2001年12月)
浅見雅男『華族誕生』(講談社学術文庫 2015年1月)
田村紀雄『号外』(池田書店 1974年12月)
小林宗之「戦争と号外(1)」(『Core Ethics』第8号 2012年)
半村良『産霊山秘録』(集英社文庫 2005年11月)


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