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竹内好の問題提起 その4 〜平和論と平和運動を考える〜

2023.08.10
 「日本共産党論3」が書かれた1950年の時点では、竹内は平和論ないし平和運動に対して、やや距離を置いていた。平和に賛成すれば平和が実現すると信じる人は、無力であるものを有力と認識しているようなものである。そういう人は、「ひとたび現実的な力にぶつかれば、おなじ基盤で力の讃美に移る」。竹内自身、平和のために組織した力が、まるごと戦争に持っていかれるのを目の当たりにしてきたからこそ、安易な組織力を警戒したのだろう。

「平和論は、平和のときにお祭り行事をやるために必要なのではなく、戦争のときに抵抗となってあらわれる準備をすればいいのであって、そのためには、道徳史観に立つと唯物史観に立つとを問わず、平和が一義的な要請であるという信念の哲学的基礎づけが、署名の数よりも大切だ」
(「日本共産党論3」)

 しかし、竹内は1954年のビキニ水爆実験を境に、平和運動を支持するようになった。当時の竹内は、日本民族滅亡の予感に取り憑かれていた。「現代の理想像」(『知性』1954年8月号)でも、「万一、戦争がはじまれば、その瞬間に日本民族は死滅するかもしれません」と不安を吐露している。今日なすべきことは、「戦争をなくす、あるいは、せめて発生をおくらせるに役立つことしかない」。「戦争の誘発原因を、どんな小さなものでもいいから取り除くこと」なら、誰にでも何かしらなすべき仕事はあるはずだ。

 福田論争の際、竹内は己の旗幟を鮮明にした。福田論争は、1954年末に発表された福田恆存の「平和論にたいする疑問」(『中央公論』1954年12月号)に端を発している。福田は進歩的文化人を批判し、現在の平和論には共産系の思想的打算があり、青年たちを「平和か無か」という極端な思考と生活態度へと駆り立て、資本主義やアメリカを悪玉に見せるような作用があると指摘した。この主張は大きな反響を呼び、反発の嵐が吹き荒れた。
 もともと福田は、雑誌で「平和宣言」が盛んに取り上げられていた時、インテリの観念論に振り回されないように距離を置いていた人である(「観念的な、あまりに観念的な」『表現』1949年1月号)。実践力のないインテリが平和を説き、もてはやされている様子は、福田にとって胡散臭いものでしかなかった。「あなたがた(啓蒙家諸氏)の平和運動とは、意識するとしないとにかかわらず、知識階級の自衛本能から出たものにほかなりません」(「文学者の文学的責任」『文学界』1951年10月号)と痛罵に等しい言葉を浴びせたこともある。「平和論にたいする疑問」は、そうした態度の延長線上に生まれた論考である。

 これを竹内は、「特定の平和論者が平和運動をやっているとみなすところに、福田論文の致命的な錯誤がある」(「福田論争を生かせ」『西日本新聞』1955年1月2日)と批判した。たしかに、特定の思想的、政治的立場からの平和論は存在する。民衆を扇動しようとする人はいる。かつて「日本共産党論3」を書いた者として、竹内もそれくらいのことは承知しているが、ビキニ事件後も福田のように主張するのは「平均の日本人の感覚に照らしてズレ」ている。民衆が平和を願う気持ちは本物であり、特定の平和論に付和雷同して平和運動を行っているのではない。論理が甘い、矛盾がある、指導が正しくないと言って運動を麻痺させるべきではなく、「私たちインテリは、この正しい指導力の成長に協力すべきである」(「最初に民衆の願いがーー福田論文の難点と教訓」『時事新報』1955年1月29日)と竹内は説く。

 後年、竹内と福田は対談を行っている(「現代的状況と知識人の責任」『展望』1970年9月号)。その際、憲法改正の問題についてそれぞれ意見を述べているが、2人のスタンス(気質とも言える)が明確になっていて面白い。憲法擁護の立場をとるなら、全体を擁護しているのか、九条だけなのか、憲法のどこを擁護し、どこに反対するのか、確固たる自覚を持って意見すべきだという福田に対し、竹内は「意見の背後に確固たるものがなければいかぬという最初の前提」が実際的ではないと反論する。そして、福田の政治配慮を鋭く指摘した上で、「全体に対して全部意見を持たなければ発言できないというものでない」と踏み込む。

「いまの場合に九条が問題になれば九条はいいけれども、それとの関連で一条、二条はどうなるかというふうに、問題を出されるのは、そもそも憲法全体が完全な整合体で、かつ法文と実質とが一致しているというフィクションがあって、したがってそれについて意見を述べるものは終始一貫矛盾がなく、論理整合的でなければならんということになる。これは過大な要求で、実際的でないと私は思うんですがね」
(「現代的状況と知識人の責任」)

 福田は対談後、「言を理想、行を現実と規定すれば、その一致をめざす竹内さんは東洋的な理想家だとも感じた」とコメントを寄せている。むべなるかなである。革命を主題としていない日本共産党を批判したように、平和運動に結びつかない平和論、実際的ではない憲法議論は、竹内とは無縁のものだった。認識が深まっているか、論理的整合性に問題がないかを気にする人は、たいてい機を逃す。機を逃してから行動しても遅い。考えたら、行動すること。さまざまな問題は運動の前進にともなって是正され、克服されていくだろう。

 福田の方はそれとは異なり、「人間社会から戦争は永遠に消えてなくならない」(「戦争と平和と」『文藝春秋』1955年6月号)というのが前提にある。戦争が起こる以上アメリカとは協力した方がいい。にもかかわらず、進歩的文化人たちは反米的な平和論を展開している。平和論を超絶対主義にするのは危うい。超絶対主義は挫折すると絶望につながることがある。戦争が起こっても、平和運動が挫折しても、絶望すべきではない。戦争が起こるたびに絶望していたら生きていけない。そもそも日本人は非力なのだから、(自主性さえ持っていれば)「長いものに巻かれろ」でいいのだ。このような福田の態度は妥協的・消極的のように見えるし、反動のレッテルを貼られるのも無理はないが、根底にあるのは、絶望してはいけないという思想である。
(阿部十三)


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