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デヴィッド・リーン 〜イギリス映画の黄金時代〜

2011.02.07
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 集中して観ることができる大作映画というのは、なかなか無いものである。大抵の場合、中だるみして、終わった後に必ず欠伸をしながらこう思う、「これが120分以内にまとまっていたらなあ」。
 つまらない映画を延々と見せられるのは苦痛、はっきり言って拷問である。その苦しみを快楽に転換させることができるのは、出演者か監督の熱狂的なファンか、よほどのマゾである。上映時間が3時間以上あると言われたら、観る前からストレスを感じてしまうのが普通だろう。たとえインターミッションがあると言われても、そのストレスはさほど軽減しないはずだ。

 だが、ごくたまに時間を忘れさせる大作に出会うことがある。デヴィッド・リーンはそういう作品を幾つも作った人だ。彼ほどストーリーテリングの能力に長けた監督はそうそう見当たらない。話の組み立て方がとにかく上手で、長時間でも飽きがこないのである。若い頃に編集技師として腕を磨いていた経験がモノを言っているのだろう。魅力的な長編小説でも読んでいるような趣がある。『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『ライアンの娘』はその好例だ。
 もっとも、大作ばかり撮っていたわけではない。初期の頃はメロドラマの達人として知られていた(私生活でも恋の達人であったらしい)。このジャンルで最も有名なのは『逢びき』。オールド・ファンにとって不倫映画の名作といえば、『マディソン郡の橋』ではなく、これを指す。大して美人でもない平凡な主婦と中年医師の切ない不倫を描いたメロドラマで、「大人の恋愛映画」の代名詞的一本だ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(演奏はオーストラリア出身の美人ピアニスト、アイリーン・ジョイス)のメロディーが効果的に使われている。
 人間ドラマでも、恋愛ドラマでも、コメディでも、リーンの映画は英国紳士らしくどれもベタつくことがなく、品が良い。感動の押し売りもしない。好んで使う役者もアレック・ギネス、ジョン・ミルズを筆頭に、戦後の英国演劇界を代表する名優揃い。本当に安心して観ていられる。

 リーンの代表作といえば、まず『戦場にかける橋』と『アラビアのロレンス』、そして『逢びき』『ドクトル・ジバゴ』『ライアンの娘』。さらに付け加えるなら、超音速ジェット機を作る野望に燃える男と、その巻き添えを食う家族の姿を描いた『超音ジェット機』と、観光でベニスを訪れたオールドミスが現地の男性と出会って恋に落ち、別れるまでを描いた『旅情』。後者のラストシーンはあまりにも有名だ。
 最後に特筆しておきたいのは、1944年の『幸福なる種族』。第一次世界大戦後から第二次世界大戦初期までの平凡な英国人家庭の20年間を追ったホームドラマである。大半の人の人生はとくにドラマティックな事件に彩られているわけではない。それでも取るに足らないような小さな事件はたくさん起こっている。その小さな事件がもしあなたの人生に起こったら、それは誰のものでもなく、あなただけのものである。あなたしか尊いと感じることができないもの、あなたしかその意味を探り得ないものである。人生には基本的に無駄な出来事はない。そのことをこの映画は教えてくれる。
(阿部十三)


写真協力(財)川喜多記念映画文化財団

【関連サイト】
Davidlean.com(英語)
[デヴィッド・リーン略歴]
1908年3月25日、ロンドン郊外のクロイドン生まれ。カメラマン助手、編集を経て、1942年に監督デビュー。『逢びき』、『大いなる遺産』で成功を収め、キャロル・リードと共に戦後イギリス映画界を代表する監督となる。『戦場にかける橋』、『アラビアのロレンス』でアカデミー監督賞を受賞。女優のケイ・ウォルシュ(『イン・ウィッチ・ウィ・サーヴ』、『幸福なる種族』、『オリヴァ・ツイスト』)、アン・トッド(『情熱の友』、『マデリーン/愛の旅路』、『超音速ジェット機』)は元夫人。1955年に映画『風は知らない』の準備で来日時、ヒロイン役に抜擢した岸恵子にべた惚れしたという話は有名。その後、この映画の企画は流れてしまったが、今度は『戦場にかける橋』に岸を起用しようとしていたらしい。よほどご執心だったのだろう。1991年4月16日死去。
[主な監督作品]
1942年『イン・ウィッチ・ウィ・サーヴ(軍旗の下に)』/1944年『幸福なる種族』/1945年『陽気な幽霊』『逢びき』/1946年『大いなる遺産』/1948年『オリヴァ・ツイスト』『情熱の友』/1949年『マデリーン/愛の旅路』/1952年『超音ジェット機』/1954年『ホブスンの婿選び』/1955年『旅情』/1957年『戦場にかける橋』/1962年『アラビアのロレンス』/1965年『ドクトル・ジバゴ』/1970年『ライアンの娘』/1984年『インドへの道』